Episode4:恋人未満

 シカゴ・オヘア国際空港。シカゴには二つの大きな空港があるが、より規模が大きく個人用のビジネスジェットが発着しやすいこちらの空港をシカゴへの入り口とした。


 市庁舎のあるダウンタウンからは少し離れているが、どのみち今日は予約してあるホテルに泊まって、実際の仕事は明日からになるので問題は無かった。


「アラスカに比べたら近いだけあって、まだホテルに引きこもるには早い時間ね。イリヤはどう? 空の旅で疲れなかった?」


 ジェットから降りてターミナルビル内でイリヤに問い掛けると、彼は大都市の国際空港の人出に圧倒されて目を白黒させていたが、ビアンカの声に正気を取り戻した。


「あ、ううん。僕は大丈夫だよ、お姉ちゃん。こんなに人が大勢いる所を見るノは初めてだから、ちょっとビックリしちゃっただけだよ」


 思えば彼の生まれ故郷はロシアの片田舎であり、その後はずっとロシア政府の研究施設に押し込められて、初めて国外に連れ出されたのも大都会とは言い難いアラスカ州だ。確かにシカゴのような規模の街へ来る事自体初めてだろう。


 その事に思い至ったビアンカは、イリヤの人生がこれまでとは違うのだという事を教えるためにも、ここは一肌脱いでみようと決めた。



「仕事は明日からだし、大丈夫ならこれからちょっと街を回ってみない? ここは大きな街だけあって見所が沢山あるし」


 ビアンカがそう提案するとイリヤは一瞬顔を輝かせたが、すぐに遠慮がちな表情になる。


「え……でも、いいの? お姉ちゃんは疲れてないの? もし迷惑になルなら……」


「遠慮しなくていいのよ。お姉ちゃんもここ最近はあちこち行ってるから段々空の旅も慣れてきたし。それに私もシカゴに来るのは初めてだから、折角だから見てみたい所はいっぱいあるし、それにあなたの服も新しいのを買ってあげたいと思ってた所だから丁度いいわ」


「ええ!? そ、そんな、悪いよ! 僕なンかの為に……」


「遠慮しなくていいって言ったでしょ? 私がそうしたいのよ。女って買い物が好きなのよ?」


 冗談めかして言うビアンカだが、イリヤの服を買ってあげたいのは事実だった。正直イリヤは着せ替え・・・・素材としては超一流だ。彼の服を一緒に選んで買ってあげるという行為に嫌だという女性は滅多にいないだろうと断言出来た。


「それとも私と一緒にお買い物するのは嫌?」


「……! そ、そんな事ないよ! 僕、お姉ちゃんと一緒に色んな所行きたい!」


 わざと少し悲し気な表情でそう聞くと、イリヤは慌ててお出かけ・・・・を承諾した。元々彼自身も行きたかったようだが、ビアンカ達に遠慮していただけなのだ。


「ふふ、嬉しいわ。それじゃ行きましょうか。……勿論構わないわよね?」


 ビアンカはそれまで黙って口を挟まずにいたもう1人の同行者・・・・・・・・に確認する。



「……ったく、お遊びで来てるんじゃないんだぞ?」


 体格の良い黒スーツ姿の男……ユリシーズである。年齢も性別もちぐはぐなこの3人連れは、ターミナルを行き交う人々の好奇の視線を集めていた。親子連れというには年齢が近すぎるし、年の離れた兄弟というのも顔や雰囲気が全く似ていないので違う。さりとて勿論友人同士というのも年代や性別が違うので無理がある。


 どんな関係なのかぱっと見には判別が付かない事による好奇の視線が一番だが、それ以前にこの3人はそれぞれ種類は異なるながら人目を惹きやすい容姿をしていたので、それも注目を集めている一因であった。


「あら? 別に来たくないなら無理に付いてきてとは言わないわよ? 護衛ならイリヤがいるし。あなたは1人寂しくホテルで仕事の事でも考えて唸ってるといいわ」


 しかし視線を集める事に慣れているビアンカは気にせず肩を竦める。ユリシーズは渋面を作る。


「誰も行かないとは言ってないだろ。それにそのガキだけじゃ今一護衛としては不安だしな」


 ユリシーズの言葉にイリヤは少しムッとしたように眉を上げるが、しかしユリシーズに苦手意識がある彼は直接には反抗できず唇を噛み締めて俯く。


 ユリシーズはそれを見て人の悪そうな笑みを浮かべる。アンカレジでの経緯・・は、既に彼もレポートを読んで把握していた。



「なあ、ガキ……イリヤ? 俺も勿論一緒に行ってもいいよなぁ? お前、アンカレジで『俺』を殺した・・・そうじゃないか。ああ、想像すると首や背骨が痛くなるぜ。この精神的苦痛・・・・・の慰謝料替わりって事でいいよな?」


「……っ!」


 イリヤが『ユリシーズ』に敗北寸前まで追い詰められ、ビアンカの機転で逆転できたという経緯も勿論知っている。顔を青ざめさせるイリヤに対して、完全にいじめっ子の風情でにやにや笑いながら威圧するユリシーズ。明らかに悪ノリしている。


「ちょっとあなた、やめなさいよね。小さな子供相手に。イリヤはあなたと違って繊細なのよ」


「へいへい、それは失礼しました」


 ビアンカに窘められたユリシーズは両手を広げて『降参』のポーズを取る。彼女の前でこれ以上イリヤを弄るのは得策ではないと判断したようだ。しかしその後ビアンカがトイレに行って2人になった際に、ユリシーズが再びイリヤにグッと顔を近づける。



「は……小さな子供・・・・・相手にだってよ? 残念だったなぁ、お子ちゃまイリヤ君?」


「……っ」


 ビアンカがイリヤの事を全く異性としては見ていない事を揶揄されて、イリヤが悔しさと屈辱に顔を赤らめる。そしてなけなしの勇気を振り絞ってユリシーズを睨み上げる。


「お……?」


「なんだよ……アンタこそいい歳した大人の癖に、お姉ちゃんに全然相手にされてナいじゃんか」


「……!!」


 思わぬ反撃にユリシーズが若干怯む。それに勇気づけられたイリヤが更に追撃を仕掛ける。早熟で聡い少年であるイリヤは、今までの短いやり取りの間にユリシーズとビアンカの関係性をほぼ正確に把握していた。


「異性扱いはされナいけど、その代わりお姉ちゃんはとても無防備に接してくレるよ? アラスカではお姉ちゃんと同じベッド・・・・・で寝タんだ。アンタにはやりたくても出来なイでしょ?」


「……っ! このガキ……いい度胸じゃねぇか」


 遥か年下で軽く見ていたイリヤに挑発されたユリシーズは憤怒に双眸を燃え立たせて、怒気と共に軽く魔力を発散させて凄んでくる。だがイリヤもそれに少し怯みながらも、負けじとESPをいつでも発動できるように準備しながらユリシーズを睨み返す。


 思いがけず一触即発の空気に包まれかけた2人だが……



「ふぅ……お待たせ。って、何やってるの2人共?」


「「……ッ!!」」


 そのタイミングで用を済ませたビアンカがトイレから出てきて、向き合っている2人を見てキョトンとする。ユリシーズもイリヤも彼女を意識していがみ合っていた事を悟られたくなくて、慌てて互いに離れて何もなかった風を装う。


「あ、ああ、何でもねぇよ。ちょっと親睦・・を深めてただけだ。なぁ?」


「う、うん」


 ユリシーズの同調圧力にイリヤも急いで首を縦に振る。ビアンカは首を傾げた。


「そうなの? まあそれならいいけど、明日からの仕事でもちゃんと仲良くやってよね?」


 アダムやリキョウはその辺はプロフェッショナルらしく、個人的には反目し合っても任務となると抜群の連携を見せてくれた。その点に限って言うと、どうもこの2人は不安な部分があった。


(2人共、実力は確かなんだけどね……)


 まあ時が解決してくれるかも知れないと、ビアンカは軽く嘆息するのだった。


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