Episode3:音楽と暴力の街
イリヤが正式に『RH』での
『RH』内のブリーフィングルーム。基本的にレイナーの訪問を受けた時は必ずこの部屋で
『エンジェルハート』たるビアンカのみは固定だが、彼女を護衛する役割のメンバーは様々な事情で入れ替わり立ち替わりになる事が多い。
今現在ビアンカと共にこの部屋にいるのはユリシーズ、そして新しくビアンカの護衛役として承認されたイリヤの2人であった。
アダムは何やら国防総省の用事でネバダ州を訪れているらしくこの場には不在であった。同じくリキョウも彼の本来の上司である許正威が別の州に遠出をする用事があるらしく、その護衛として同行しておりこの場には不在となっていた。
これはユリシーズも含めてだが彼等は超人的な戦闘能力は勿論、他にも様々なユニーク能力を所持しており、いずれも替えの効かない貴重な人材といえた。そのためこのように大統領陣営の色々な部署、組織から引っ張りだこであり、ビアンカの任務の際に不在となる場合がある事はどうしても避けられなかった。ユリシーズもボルチモアの任務の際は別件の仕事で不在であったのだ。
なのでダイアンも言っていたが、そうした不在の『穴』を埋められる人材は多ければ多い程いい。イリヤがホワイトハウスに受け入れられた背景にはそうした事情もあった。
「恒例にはなるが……まずはアラスカでの任務、ご苦労だった。ニュース等で知っているかもしれんが、例のエネルギー採掘権法案は無事にアラスカ州上院で否決された。ルース上院議員も殊の外喜んでいたぞ。ロシアの工作拠点を潰せた事も含めてな」
レイナーが口火を切った。彼は新たな任務の通達と同時に、こうして前回達成した任務の事後報告をしてくれる事も多い。とりあえずアラスカの件は上手く行ったようで、関わった者としては安心した。
「それで……その子供が、お前達が強襲したロシアの工作拠点から救出したという例の少年か」
レイナーの視線がイリヤに向けられると、ビアンカは無意識的に彼を庇うように抱き寄せる。
「ええ、そうよ。でもこの子は純粋な被害者であって何も悪くない。それにその能力で無闇に人を傷つける事もしないわ」
「解っている。そう警戒するな。そもそも大統領が直に認めたのであれば私に異論があろうはずもない」
レイナーは僅かに苦笑しつつ肩を竦めた。ユリシーズが手を叩いた。
「それじゃさっさと本題に入ろうぜ。今度はどこの街で何が起きたんだ?」
身も蓋もない聞き方だが、まあ要はそういう事である。基本的にカバール絡みの事件がアメリカ国外で起きたというケースは今の所聞いた事が無い。レイナーが咳払いした。
「おほん! ……まあいい、今度お前達に赴いてもらいたい場所は…………シカゴだ」
「……!」
カバールが拠点としている場所はアメリカ国内でも政治的経済的に重要な街が多い。ここでいうシカゴとは間違いなくイリノイ州のシカゴの事だろう。
五大湖ミシガン湖畔に位置する世界的に有名な大都市であり、ニューヨーク、ロサンゼルスに次ぐ国内第3位の規模を誇る世界都市でもある。ビアンカの故郷であるフィラデルフィアよりも大きい。次の任務の場所はそんな街という事だ。
「今回はそのシカゴの市長からの依頼だ。シカゴ市長サミュエル・アーチボルトが国民党なのは知っているな?」
大統領府に依頼を出すくらいだからそういう事だろう。ビアンカも最近政治の事について学ぶ機会が多くなってきていたので、それは辛うじて知っていた。だが確かイリノイ州の知事は自由党だったはずだ。いわゆるレームダックというやつだ。メリーランド州とは政党が逆のパターンだが。
「ふん……シカゴ、ねぇ。そういや最近あの街はかつてない程ギャング同士の抗争が多発してて、大量の死者が出てるらしいな。過去に類を見ないほどの規模で、街全体の治安にも悪影響を及ぼしてるとか何とか」
ユリシーズが発言すると、レイナーは苦々しい表情で頷いた。
「そうだ。今回お前達に調べてもらいたいのは、まさにそのギャングの抗争絡みなのだ」
元々シカゴの街はかの有名なアル・カポネの時代から、多数のマフィアやギャングが凌ぎを削る犯罪・暴力が蔓延る退廃の都市としても裏では有名であった。現在は昔ほど大規模な抗争が起きたりはせず表向きは華やかな街となっていたが、、表からは見えない部分では未だに数多くのギャングの縄張りが存在していた。
ギャング達は互いに小競り合いを繰り返しながらも全体としてみれば均衡を保っていて、シカゴの街は概ね『平和』と言ってよかった。
「現市長のアーチボルトはそうしたギャングのいくつかと繋がりを持っていて、どこか一つの勢力が突出しないように上手くバランスを保って、街の治安向上に貢献していたようだな」
単に警察を使って強引に逮捕などしても根本的な解決にはならず、また別のギャングが現れたり、仕事に餓えた弁護士たちがハイエナのように群がって逮捕したギャング達を片端から無罪放免にしてしまったりするのだとか。そうなるとギャング達は増長して『表』にも被害を及ぼしやすくなるし、警察の威信にも関わってくる。
「そこでその市長が、ギャング同士を互いに争わせてお互いだけに敵意が向くように仕向けたって訳か。中々したたかな奴だな」
ユリシーズが皮肉気に笑った。確かにそういうやり方もあるのかとビアンカも感心してしまう。だが……それで上手く行っていたなら大統領府に助けを求めてはこないだろう。
何か異変があったのだ。それも市長やシカゴ市警だけでは対応できないような異変が。最初にユリシーズが言っていた抗争の激化に関係があるのだろうか。
「……ここの所シカゴの街に、いや、正確にはギャング達の間で、出所不明の新種の
「……!」
ドラッグと聞いてビアンカは眉をひそめた。フィラデルフィアで高校や大学に通っている時も何度かドラッグの接種を促される場面があった。ビアンカ自身は決して手を出さなかったが、親友のエイミーが一度騙されてドラッグを接種してしまった事があり、その時はかなり大変な思いをさせられた。
元々そういうものに潔癖な性格だった事もあり、それで完全にドラッグを嫌悪するようになった。
「そのドラッグが流行し始めた時期と、ギャングの抗争が手のつけられないほど激化し始めた時期が一致しているのだ。明らかに無関係ではないというのがアーチボルド市長の見解だ」
「なるほどな。だがドラッグのディーラーを見つけてしょっ引くだけならシカゴ市警にだって出来るだろ? 市長が大統領府に助けを求めてきた理由は何なんだ?」
ユリシーズが問うとレイナーは僅かに憂いを帯びた表情になる。
「無論我々も未確認なのだが、ギャング同士の抗争でまるで
「……何だと?」
ユリシーズが僅かに目を剥いた。ビアンカも同様だ。カバールの事を余り知らないイリヤだけはきょとんとしていたが。
これは以前にフィラデルフィアでヴァプラという悪魔が言っていた事だが、基本的にカバールの構成員同士で争う事は禁じられているらしかった。それは奴らの数少ない掟の一つであるようだった。ヴィクターのような例外はあるが、彼も極力組織の目を引かないようにしていたし、それですらかなりリスクのある行動だと言っていた。
そこから考えるとカバールの悪魔が街中で殺し合うというのは明らかに異常な事態だ。その流行している新種のドラッグとやらが関係しているのだろうか。
「勿論お前が言ったようにそのドラッグの出処を探って供給を止めるべくシカゴ市警も動いていたようだが、捜査を担当した刑事が次々と変死するという事態になっていてな。これはどうも尋常な人間の手には負えない案件だと判断した市長が、独断で大統領府に話を持ってきたというのが背景だ」
「…………」
確かにカバールの存在を知っている人間からしたら警察の手には負えないと考えるのは自然だ。その市長の判断は正しいと言えるだろう。
「なのでシカゴで今何が起きているのかを調査し、ギャング達の抗争を止める事と、それに関わっていると思われるドラッグの供給元を突き止めその流通経路を断つ事、そしてカバールの関与が明らかとなればその脅威を排除する事、それが今回の任務だ」
やることだけを聞くと多そうだがドラッグの流行とギャングの抗争は十中八九無関係ではないので、要はドラッグのディーラーを見つけ出し、その供給経路を断つ事が出来れば大体の任務は完了という事だ。
今回は初めてイリヤを同行させる事になるので、むしろ彼がちゃんと言うことを聞いてくれるかどうかの方が心配なビアンカであった。するとレイナーが少し言いづらそうな様子で補足を加えた。
「……それとこれもまあ予め知っておいた良い事なので伝えておくが、その件の新種のドラッグ……どうも『
「……!?」
今度はビアンカが目を剥いた。それは何という嫌な偶然か。否、本当に偶然だろうか。
「ほぅ……面白え。誰だか知らねぇがその名前をつけた奴がカバールだとしたら、俺達を
ユリシーズは目を眇めつつ少し獰猛な感じの笑みを浮かべる。その身体から無意識に発散される闘気と魔力を感じて、イリヤが少し怯えたような表情になってビアンカにしがみつく。
イリヤはエルメンドルフ空軍基地で『ユリシーズ』に追い詰められた経験が若干トラウマになっているらしく、それと
アルマンに「怖いと思う相手がいた方が、イリヤが暴走してしまうのを抑制できる効果があるから」と言われていたのでそのままにしてあるが、もし任務に支障をきたすようであればユリシーズに個別に釘を差しておかなければならないかも、とビアンカは思った。
こうしてビアンカ達は新しい任務に赴く事となった。任地はジャズとブルース、そしてギャングの街でもある、アメリカ有数の巨大都市シカゴ。
この地でビアンカを待つものは過酷な戦いか、はたまた新たな出会いか。彼女は期待と不安と緊張を抱きながら、自らの役割を全うすべくDCを飛び立つのであった。
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