Location5 シカゴ

Episode1:破戒の聖戦士

 イスラム教の二大宗派のうちシーア派が多数を占める国、イラン。その首都であるテヘランはアジア有数の世界都市として有名であり、イランにおける政治・経済の中心として栄えていた。


 しかしテヘランにはからは秘匿されているもう一つの大きな特徴があった。それは国境や学派の垣根も飛び越えてイスラム社会全体を跨ぐ、とある秘密結社・・・・の本部が置かれている事であった。


 テヘランの街中にあるゴレスターン宮殿。19世紀に築かれたガージャール朝の政庁と官邸を兼ねていた壮麗な宮殿であり、世界文化遺産にも登録されている。宮殿の大部分は一般の観光客にも開放されているが、実はこの宮殿には観光客には秘匿された広大な地下部分・・・・がある事を知る者は少ない。


 そしてその隠された地下部分こそが、例の秘密結社の本部である事を知る者も……





「何故ですか! 明らかな脅威が存在していると解っていながら、ただ宗教・・が違うというだけで放置すると言うのですか!? 我々の存在意義は『魔の存在を監視し、人々を守る事』でしょう! あなた方は自身の存在意義に背くと言うのですか!?」


 宮殿の地下にある施設。その施設内にある最も大きな部屋である議事堂。彼等【ペルシア聖戦士団】が結社の方針を決定する時など重要な会議に使用される場所だ。


 円座になった100以上の議席に座る者達に対して中央で熱弁を奮っているのは、1人のイラン人女性。イスラム社会の例に漏れず女性の身分が相対的に低いこの結社においては、かなり珍しい光景だ。 



 議席に座る男達の1人が卓を拳で叩いて立ち上がる。


「言葉が過ぎるぞ、同志セネム! 我々が守るのはあくまでムスリムのみ! 非ムスリムの者共がどうなろうが、それは我等の感知する所ではない! お前が一度独断でアメリカ・・・・に渡った背信行為はかの『ランプ』を持ち帰った事で赦されたが、あれはあくまで特例だ! 次に組織の意向を無視して独断専行に走る事があれば、お前の同志としての位を剝奪し、しかるべき処罰を与える事になるぞ!」


 男の居丈高な糾弾に、他の席に座る男達も多くが同調するように頷いた。しかし女性……セネムも負けてはいない。


「同志バラクよ、本部勤めが長くなってすっかりかつての覇気は老い衰えたようですね。私にはあなた方が宗派を言い訳・・・にして、世界中に魔が蔓延っている現実から目を背けているようにしか見えません」


「なんだと!? 言わせておけば……」


 バラクが怒りに目を吊り上げるが、それに同調していた周囲の男達も口々にセネムを非難し始める。


「我等を臆病者呼ばわりする気か!」

「女の分際で……!」

「やはり女など信用できん! 不合理な事ばかりのたまいおって!」

「非ムスリムの為に我等が命がけで戦う理由がどこにある!?」

「邪教の信徒どもなどどうなろうが構わん!」


 口々に罵られるがセネムも言い返す。


「それがあなた方の本音か! 宗教を隠れ蓑に人命を軽視する臆病者共め! 今すぐ聖戦士の名を返上されよ!」


 互いに売り言葉に買い言葉でヒートアップし、議場が混乱に陥りかけるが……



 ――その瞬間、議場全体に風が吹き荒れた……ような感覚を、その場の全員が感じた。否、それは風と錯覚するほどの物理的な圧力さえ伴う、研ぎ澄まされた霊力・・であった。



 議場にいる全員の視線がその霊力の発生源・・・に集まる。


「サ、サディーク様……」


「……さっきから黙って聞いてりゃ、つまらねぇ事でごちゃごちゃと。話が進まねぇだろうが」


 傲慢な口調と態度で議場を睥睨するその若い男……サディークの視線を受けて、立ち上がって喚いていた男達が畏怖するように目を伏せ顔を逸らせる。それはこのサディークという男が、この場……つまり【ペルシア聖戦士団】において、一目も二目も置かれているという事実を示していた。


 それもそのはず、彼は100名を超える聖戦士が所属するこの組織の位階第2位・・・・・に位置する戦士であった。尤も彼が周囲から畏敬されているのは、その戦士としての優秀さだけが理由ではなかったが。



「サディーク様、お言葉ですが同志セネムは組織の掟を破ったのです。何も処罰が無ければ示しというものが……」


 バラクが畏怖しながらも食い下がるが、サディークは鼻で笑う。


「掟? 俺の記憶が確かなら『ムスリムしか助けてはいけない・・・・』なんて明文化された規則はなかった気がするがなぁ?」


「……っ!」


 痛い所を突かれたバラクの顔が引き攣る。


「結局は不文律、暗黙の了解って奴だろ? 今までは単にそれが当たり前で破ろうとする奴がいなかった。だがそいつは初めてその暗黙の了解を破った。ただそれだけの事だろが。それが許せねぇなら今度そういう規則でも作ってそこの壁に貼りだしておけよ」


「ぐぬっ……!」


 皮肉交じりに揶揄するサディークに、何も言い返せずに顔を真っ赤に染めるバラク。サディークはそれを嘲笑するとセネムの方に向き直る。彼の視線と霊圧に射すくめられてセネムが若干怯む。しかし彼から目を逸らせる事はなかった。



「さて……セネムっつったか? まあそういう訳でお前がどうしてもアメリカに行きたいってんなら、それを止める『規則』はねぇ。だが規則はねぇが……それがこの組織の一員としては突飛な行動だって自覚はあるよな?」


「……っ。は、はい」


 それはセネムも自覚はあるようで、少し顔を歪めて首肯した。


「何故だ? 聞くところによるとお前は、アメリカに渡る為の交換条件・・・・として、あの邪神パズスに絡んだ事件の解決を請け負ってたそうだな? しかも達成不可能と思われた条件を見事にこなして事件を解決させた」


 まさかその『交換条件』を達成できると思っていなかった組織が彼女のアメリカ行きに難色を示したので、先程の押し問答になっていたという訳だ。


 サディークの目から見て、セネムの聖戦士としての実力は良くて中の上程度だ。決して弱くはないが飛び抜けて優秀という程でもない。位階も確か40番台程度だったと記憶している。そんな彼女が解決した事件は、彼女の実力から言えば相当に困難であったはずだ。だが彼女は見事にそれを成し遂げた。


「何故そこまでする? 前にアメリカに行った時は『魔法のランプ』を回収するって目的があったんだろ? だが今回はそれもない。漠然とした『魔物の脅威』ってだけでここでの任務よりアメリカ行きを優先するとあっちゃ、こいつらが納得しないのもある意味じゃ当然だとは思うぜ」


 サディークが議場にいる他の聖戦士達を示しながら問い掛ける。



「……ここには私以外にも大勢の戦士がいますし人々の守り手には事欠かないでしょう。しかし……彼女達・・・には他に味方がいないのです。私はそんな彼女達の力になると約束したのです。私がアメリカに……ロサンゼルス・・・・・・に行く理由はそれだけで充分です」



「彼女達? 約束だと?」


 サディークは眉を上げてセネムをマジマジと見つめるが、彼女は絶対に目を逸らすまいと逆にこちらを力強い視線で睨みつけてくる。詳細は不明だが、セネムにとってその『約束』は譲れないもののようだった。どうやら以前にランプ回収の為に渡ったロサンゼルスで友誼を結んだ相手がいるらしい。


 しばらく睨み合っていた両者だが、やがてサディークが苦笑して圧を緩めた。


「なるほど、随分入れ込んでるようだな。面白い。そういう事なら俺は反対はしないぜ。アメリカでも欧州でも好きな所へ行くがいいさ。ただし、組織からの支援は期待するなよ? そっち・・・で起きた事は全部自分で対処しろ」


「あ……ありがとう、ございます。勿論、です……」


 サディークの霊圧から解放されたセネムは、ガクッとその場に崩れ落ちて息を切らせながら、それでも気丈に礼を述べた。



「アフメット、あんたもそれでいいな?」


 サディークはそれまで一切口を挟まずに成り行きを見守っていた1人の人物を見上げる。その人物……【ペルシア聖戦士団】の位階第1位・・・・・にして最強の聖戦士でもある男は、議席に座って腕を組んだ姿勢のまま鷹揚に頷いた。


「異論はない。元々邪神パズスの封印を成し遂げた時点で許可は出すつもりであった。頭の固い不寛容な者達が難癖を付けていただけだ」


 アフメットが他の議席を睥睨すると、バラクを始めとした反対していた戦士達が気まずそうな表情で俯いた。



 こうして今回の議題・・は可決され、セネムはアメリカで独自に魔物と戦う任務を与えられた。


(ふん……アメリカ、ねぇ。そんなに良いモンなのかね? 正直ここでの任務もマンネリ化してきてたし、俺にも新しい刺激・・ってやつが必要かも知れねぇな。ちょっと旅行がてら俺もアメリカに行ってみるかな。ケンブン・・・・を広める為とか言えばアフメットも納得させられるだろうしな)


 無事にアメリカ行きの許可が出て嬉しさを隠しきれないセネムの様子を見ながら、それにやや触発されたサディークはぼんやりとそんな事を考えていた。



 戦士として誰もが認める実力と実績、そして実家・・の権力……。凡庸なセネムと違って、彼がしばらくアメリカに行きたいと言えばそれに異を唱えられる者は誰もいない。


 唯一目の上の瘤はアフメットくらいだが、聖戦士としての実力はともかく実家の権力は比較にならないくらいサディークが上であったので、組織内での政治力・・・は圧倒的に彼の方が強かった。サディークの実家・・は、この【ペルシア聖戦士団】に多額の寄付・・をしている最大の出資者の1つでもあるのだ。


 彼がこの組織に属しているのも特に崇高な使命がある訳でもなく、生まれ持った膨大な霊力と天賦の戦闘センスの発散先・・・を求めての事に過ぎなかった。極端に言えばそれを満たせるのであれば、別にイスラム教圏に拘る気は微塵も無かった。


(よし、そうと決まれば早速情報を集めるとするか。面白そうな兆候・・がある街を探すべきだな)


 イスラム教圏以外の地域でも様々な『魔の存在』が跋扈している事は彼も知っていた。もしかしたら彼が今まで出会った事がない種類の魔物もいるかも知れない。セネムに干渉するのは避けたい為ロサンゼルスは除外するが、それ以外の地域や街だけでも充分刺激・・を得る事は出来るはずだ。



 サディークは退屈で飽き始めていた日々を変えられるかもしれない切っ掛けに、僅かな期待と高揚を寄せるのであった……



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※セネムについては、同作者の『女刑事と吸血鬼 ~妖闘地帯LA』に登場するキャラクターです。宜しければこちらも是非読んでみて下さい。

https://kakuyomu.jp/works/1177354054885537927

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