Episode23:それぞれの夜明け

 ホテルへと着いたビアンカ達。空軍基地に拉致された時はどうなるかと思って生きた心地がしなかったので、こうして再びホテルに戻ってこれてビアンカは大いに安堵した。


 部屋は最初にチェックインした時に3部屋しか取っていなかったが、イリヤは頑としてビアンカと同じ部屋がいいと聞かず、ビアンカもまた警戒心ゼロであっさりと了承した。



「……まああなたもこれまで酷い目に遭ってきたようですし、我々もあなたを殺そうとした負い目がありますので今夜だけは大目に見ましょう。しかし……イリヤ君、私は解って・・・いますからね? 子供だからと余りそれを利用・・し過ぎない方が良いと忠告しておきましょう」


「……っ!」 


 ホテルの部屋で別れ際、リキョウが小声でイリヤに釘を刺す。イリヤがかなり早熟な少年だという事は既に見抜いていた。そして早熟というのはつまり、外見以外のあらゆる面・・・・・で大人に近いという事だ。


 イリヤがビアンカに懐いて彼女の言う事を聞くようになった背景には、いわゆる一目惚れ・・・・的な感情が強く働いた結果であろうと、虹鱗の目を通してあの状況を見ていたリキョウは確信を持っていた。


 イリヤは間違いなく、強くて美しく、そして自分を虜囚から解放してくれる切っ掛けを作ったビアンカに惚れて・・・いるようだった。


 だがビアンカの方はイリヤをただの子供だと思っておりその感情には気付いていないので、良くて弟扱いのようなもので、異性……つまり恋愛対象としては見ていないだろう。


 まあそうそう間違いもないとは思うが、それでもイリヤが子供だからというだけで無防備なビアンカに接する事が出来るのは面白くないので、彼女の目が離れた隙に釘だけは刺して牽制しておくリキョウであった。



*****



「さあ、ここなら安全よ。今日は本当に……疲れたわ。でもあなたはもっと大変だったわよね。ほら、こっちにいらっしゃい」


「う、うん……」


 ベッドに腰掛けて大きく息を吐いたビアンカは、イリヤに自分の隣に座るように促す。少年は少し顔を赤らめて緊張した様子でビアンカの隣にちょこんと座る。彼女はそれを単に少年が環境の変化に戸惑っているだけだと思い込んでいた。


 落ち着いた環境で改めて間近に見ると、本当に芸能人か子役のモデルだと言っても全く違和感のない華やかな美少年ぶりであった。ビアンカにはそういう趣味・・・・・・は無いはずであったが、そんな彼女をして若干妙な気分になってしまうのを止められない程に、危うい魅力のようなものが発散されていた。



「あー……おほん! その……大丈夫だった? あなたの処遇を勝手に決めちゃったけど、迷惑じゃなかった? もし何かあなたに希望とかがあるなら言ってくれれば善処するわ。自由であるべきって言ったのは私なんだから」


 イリヤが放つ魔性の色香(?)に、このままだと妙な気分になると思ったビアンカは咳払いして意図的に別の話題を振る。ただこれはこれで話しておかねばならない話題ではあった。


「う、ううん、いいよ! ぼ、僕もお姉ちゃんと一緒にいたい! 逆に、本当にいイの? 僕……なんかが一緒にイて。お姉ちゃんの迷惑になラない?」


 逆にイリヤに不安そうに問い返されてビアンカは気付いた。彼はビアンカが思っているよりずっと状況を理解している。自分に行く場所も帰る場所もない事が解っているのだろう。逆にここでビアンカに見放されたらどうしていいのか分からないはずだ。


 ビアンカは彼を安心させる為に微笑んでしっかりと頷いた。


「勿論よ! 私、こう見えても偉い人達に伝手があるのよ。あなたの事、絶対に納得させてみせるわ。でも……これだけは約束して。前も言ったけど、あなたの『力』は身を守る以外の目的で普通の人に対して絶対に使っては駄目よ? もしあなたが好き勝手にその『力』を使ってしまうようだと、それこそお姉ちゃんの『迷惑』になってしまうから」


「……! う、うん、勿論だよ、約束する! 絶対に使わないよ! 使うのはあの悪魔?って奴らだけにする。それなら大丈夫でしょ? 絶対にお姉ちゃんに迷惑は掛けない!」


 イリヤは必死な様子で何度も首を縦に振る。この約束を破ったらビアンカに見放されてしまうという恐怖は、少年の力の暴走を抑止する充分な効果があるかも知れない。


 ビアンカは安心して微笑んだ。



「ええ、それでいいわ。ありがとう、イリヤ。さあ、今日は本当に疲れたからもう寝ましょうか」


 ビアンカはそう言って手早く寝支度を整えると、当然のようにイリヤを同じベッドで一緒に寝るように促した。


「え……お、お姉ちゃん……?」


「ん? どうしたの? あなたも疲れたでしょうし、今日はゆっくり休んで頂戴。もう誰もあなたに酷い事をしたりしないから安心して寝るといいわ」


「え、あ……そ、そうだけど、そうじゃなくて……」


 ビアンカが余りにも意識せずに促すので、イリヤの方が却って戸惑って遠慮がちになってしまう。先程のリキョウの忠告・・が彼の頭をよぎる。


「あ、もしかして嫌だった? そうよね。大きなベッドで1人で伸び伸びと寝たいわよね。あなたの今までの境遇から――」


「――い、いや、そんな事ないよ! 嫌なんかじゃナいよ! お、お姉ちゃんと一緒に寝たい!」


 イリヤは慌てて否定した。リキョウも今日は大目に見ると言っていたし、ビアンカと同禽できる機会など今後そうそうあるとも思えないので、ここは思い切って彼女の好意・・に甘えさせてもらう事にした。


 それに彼自身ここ何年も殺風景な独房の中で、粗末な寝台や毛布にくるまって1人寂しく眠る夜が続いていたのだ。人のぬくもりに飢えていたのは事実であった。


「そう? ふふ、嬉しいわ。さあ、いらっしゃい」


 ビアンカは嬉しそうに微笑んでシーツを開ける。イリヤは生唾を飲み込むと、その『禁断の花園』に勢い込んでダイブするのだった……



*****



「昨夜、イザベラから連絡があったわ。あの法案が上院で可決される事は絶対にないって太鼓判を押してくれたわ。あなた達がやってくれたのね?」


 翌日になってアンカレジを発つ為に空港でビジネスジェットに乗り込むビアンカ達を、エマ・ルース上院議員が見送りにきていた。ビアンカは彼女と握手しながら頷いた。アダム達がメリニコフらを退けて、人質を保護して無事に家族の元に送り届けた顛末は既に彼等自身の口から聞いていた。


「ええ、簡単ではありませんでしたが、何とか上手く行きました。今回のロシアとカバールの工作については大統領にも詳細を報告しますので、二度と同じ事が起きないように手を打ってくれると思います。これでもうアラスカは安泰です」


「本当に……よくやってくれたわ。あなた達には借りが出来たわね。今後ウォーカー大統領が必要とした時は、アラスカは全面的に彼女に協力すると約束するわ。イザベラも文句は言わないはずよ」


 エマは自信を持ってそう請け負ってくれた。ビアンカも今回の事件での苦労が報われた気がして嬉しくなった。


「ええ、とても心強く思います。ありがとうございます、ルース議員」


「礼を言うのはこっちよ。本当にありがとう。気を付けて……これからも頑張ってね」


「ええ、ルース議員も」


 ビアンカは再びエマと固く握手を交わしてから、アダム達が待つジェットに乗り込んだ。勿論イリヤも一緒だ。



「さあ、待たせたわね。それじゃあ帰りましょうか……ホワイトハウスに」


 そして彼女らを乗せたビジネスジェットはエマに見送られながら、アンカレジから一路ワシントンDCを目指して飛び立っていった……




******




 そこはアメリカから遠く離れた欧州イタリアの地。その首都であるローマの只中にあるヴァチカン市国。キリスト教の総本山とも言えるこの地で、ユリシーズは処置・・を受けている真っ最中であった。


「……どうですか、師匠?」


 中央に置かれた寝台以外には何もない奇妙な部屋。その寝台に横たわって目を閉じているユリシーズに向かって手を翳している1人の人物。その人物の後ろでやや不安げな声を掛けるのは、ユリシーズに同行してヴァチカンまでやってきたアルマンであった。


「ふむ……信じられんな。一度完全に封印が解けている。この状態から応急処置・・・・とはいえ、よく再び封印する事ができたものだ。我が娘・・・ながら大した力だ。尤もそれを自分の意思では使えんのが惜しい所だが」


 アルマンの師。そしてビアンカを娘と呼ぶこの人物。それは紛れもなくこのヴァチカンの主にして現ローマ教皇・・・・・である、マクシミリアン4世その人であった!


 まだ齢50を超えていない実年齢に相応しく、若々しく覇気と威厳に満ちた空気を纏った剛毅な印象の壮年男性であった。無限の霊力を供給する『神の心臓ゴッドハート』の持ち主であり、弟子であるアルマンですら肌が泡立つほどの膨大で研ぎ澄まされた霊気が今この瞬間も発散され続けていた。



「ええ、本当に。しかしビアンカはそんな不自由な『天使の心臓エンジェルハート』を抱えながら、とてもよく頑張ってくれていますよ。彼女のあの強さ・・は父親と母親、果たしてどちらに似たのでしょうかね?」


「……アレ・・の話はするな。まさか女の身で本当にアメリカの大統領になってしまうとは……。ビアンカの強さは間違いなくアレ・・譲りであろうな」


 マクシミリアン4世が苦虫を噛み潰したような顔で呟く。そして話題を変えるように、寝台に横たわるユリシーズに視線を戻す。


「さあ、さっさと用件を済ませてしまおうか。改めて『暗黒の御子』を封印し直す。これは世に出してはならん厄災そのものだ」


 そして教皇はその膨大な霊力を用いて『封印の儀』を執り行っていく。アルマンも助手としてその儀式をサポートする。そして数時間に及ぶ処置・・の末……




「…………む。もう、終わったのか?」


 麻酔・・が切れたユリシーズが目覚めて身体を起こす。そこは既にあの処置室・・・ではなく、ヴァチカン宮殿内にある客間のベッドの上であった。 


「ああ、滞りなくね。気分はどうだい?」


 部屋のソファに腰掛けていたアルマンが、ユリシーズが目覚めた事を悟って近付いてきた。ユリシーズは自分の身体を改めた。


「……正直あまり気分は良くないな。泥水が身体の中で跳ね回ってるような感じだ」


「はは、まあ師匠の霊力が浸透してる訳だから、半魔人の君にとっては不快かも知れないね。まあもうしばらく休めば身体に馴染んで落ち着いてくるよ」


 アルマンは小さく笑う。ユリシーズもこの感覚は以前にも一度体験しているのでそれは解っていた。彼はアルマンが立った椅子の向かい側に、未だに足を組んで座ったままの人物に視線を向けた。


「あー……世話になったな」



「ふん……数時間もの封印の儀式でお前の悩みを解決してやった義理の父親・・・・・に対して、まともに礼も言えんのか?」



 その人物……マクシミリアン4世は相変わらず立ち上がる事無く、ふんぞり返ったまま皮肉気に鼻を鳴らす。ユリシーズは露骨に舌打ちする。


「ち……誰が父親だ。自分しか面倒を見きれないからとか言って退魔の旅に世界中連れ回して、体よくこき使ってやがっただけの癖によ。挙句に教皇になる目が出てきたと見るや、今のボスに俺を押し付けて・・・・・教会内での出世と権力闘争を優先しやがった事は忘れてねぇぞ」


「ふん、人格の封印に成功したとはいえ『悪魔王の落胤』など監督できるのが私しかいなかったのは事実だろうが。それに押し付けたとは人聞きの悪い。ダイアンがカバールとの戦いに際して戦力を必要としていたから、元夫・・として一肌脱いでやっただけの事。お前とて最終的には了承しただろう?」


 全く悪びれる事も無く肩を竦めるマクシミリアン4世。それどころか人の悪そうな笑みまで浮かべている。それはキリスト教の頂点として世界中の教徒から尊敬と思慕を集めるローマ教皇とも思えぬ態度と言動であった。


「ち……アンタのその姿を世間の奴等に暴露してやりたいぜ。普段信者やTVの前では猫かぶりやがってよ」


 この男に何を言っても通用しない事を良く知っているユリシーズは、それでもせめてもの嫌味をぶつけて顔を顰める。



「ふ、誉め言葉と受け取っておこう。それで……お前の目から見てビアンカはどうだ? 今後もカバールと戦っていけそうか?」


 マクシミリアン4世が真面目な顔になって問い掛けてきたので、ユリシーズも態度を改める。


「……まあ、な。正直危なっかしい所だらけだが、それでもよくやってると思うぜ。ただボスとの間は未だにギクシャクしたままだけどな」


「まあ、それは仕方あるまい。磁石の同じ極同士が反発し合うようなものだ。時間を掛けるしかないだろうな」


「ああ、それは俺も同感だ。カバールとの戦いに関しても、俺以外にも・・・・・あいつをサポートできる奴が増えてきて、まあ今の所は順調って感じじゃないかね」


 俺以外にもという所にアクセントを置いた話し方と皮肉気な表情に、マクシミリアン4世が若干面白そうに眉を上げた。



「ほぅ……ほぅ? そうか、そうか。なるほど、これは興味深いな。まさかお前とビアンカがなぁ?」


「……おい、何か勘違いしてないか? 俺とあいつはアンタが想像するような間柄じゃないからな? ただの護衛対象ってだけだぞ?」


 ユリシーズがそう釘を刺すが、マクシミリアン4世は楽しそうな表情のままアルマンの方に向き直る。


「こやつがビアンカの事を意識しているのは確定・・として、ビアンカの方はどうなんだ? こやつにはありそうか?」


「そうですねぇ。私の見た所では確実に憎からずは思っているようですね。ヴァチカン行きの報告をした時も随分寂しそうでしたし」


「ほぅ、それはそれは! 新しい楽しみが出来たな!」


 アルマンがユリシーズの噛み付くような視線に構わずとぼけたように答えると、マクシミリアン4世は増々面白そうに手を叩いた。


「勝手に確定させんじゃねぇ! アルマン、お前も否定しろよ!」


 ユリシーズが憤怒かそれとも別の感情によるものか、顔を紅潮させて怒鳴る。それを見た教皇が増々笑い転げる。ユリシーズは翌日ヴァチカンを発つまで、娘の近況を聞きがてらの教皇にこの件で弄られ続けたのだった……

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