Episode19:自我の発露

「ふざけおってこの小僧、よくも儂の邪魔をしおったな! カドモス! デイノ! 小僧を殺せ! マチルダ、文句は言わせんぞっ!」


 『エンジェルハート』を手に入れられる寸前でイリヤの妨害に遭ったバーナードは怒り心頭に発し、配下の中級悪魔達にイリヤの抹殺を命じる。


「制御する手段を失った以上は致し方ありません。残念ですが【ナンバー・ゼロ】の確保は諦めます。最早潜在的な危険因子でしかありませんので、寧ろこちらから処分をお願いします」


 マチルダは無念そうな表情を浮かべながらも、何の躊躇いも無く冷徹に頷いた。


 バーナードの命令を受けた2体の悪魔がイリヤを抹殺せんと動き出した。まずは巨体のカドモスが突出して、イリヤに向かってあの黒い噴霧を吐きつける。あれを吸い込んだら身体が麻痺して無力化させられてしまう。この状況では死を意味する。


「イリヤ、危ない……!」


 ビアンカが思わず警告の声を上げるが、その直後に目を瞠る事になる。イリヤに吐き付けられた黒い噴霧が、まるで彼を避けるように流れを変えて逸れていく。


 どうやら透明な不可視の障壁がイリヤの周りをすっぽりと覆い尽くしているようで、それが黒い煙を完全に遮断しているのだ。不意さえ突かれなければ、そしてあの制御装置さえなければ彼にとっては本来このように簡単に防げる攻撃だったのだ。


『ゴァァッ!!』


 カドモスがその口から初めて咆哮のような声を発し、丸太のような巨大な腕を振り上げて風圧を伴う勢いで叩きつけてきた。体格的には同じ中級悪魔のヴァンゲルフに比肩する。この体積と膂力で巨拳を叩き付けられたら、イリヤの小さな身体など一瞬で原型を留めない挽肉に変わるだろう。


 だが目の前で更に信じがたい光景が展開した。イリヤがその小さな手を、まるでカドモスの拳を受けとめるかのように頭上に翳す。すると……


『……!』


「な…………」


 唖然とした声はビアンカのものだったか、バーナードのものだったか……。イリヤの掌はそれより遥かに巨大で重いはずのカドモスの拳を、まるで重さなど一切感じていないかのように受け止めていたのだ。


 どうやら掌の先に『障壁』を展開してそれで受け止めたようだが、それにしてもあの巨体のカドモスのフルパワーによる一撃を軽々と受け止めてその小さな身体を小動こゆるぎもさせないとは、その障壁は一体どれほどの強度と緩衝能力なのだろうか。


「す、凄い……」


 ビアンカは思わず呟いていた。これがこの少年の本当の力・・・・なのだ。ファイアー島でアダム達と戦った時は制御装置で嫌々・・戦わされていた訳で、そんな状態で十全の力を発揮していたはずがない。



『ゴォォ! ガアァァァッ!!』


 カドモスは全身に血管のような組織を浮き出させながら渾身の力で押し込もうとするが、それよりはるかに小さいイリヤは涼しい顔をしたまま全く微動だにしない。いや、それどころか…… 


「はあぁぁぁ……!」


『……ッ!?』


 イリヤが気合いの叫びと共に両手を更に頭上に掲げていく。すると驚くべき事にカドモスの巨体が浮き上がった・・・・・・。両足も完全に地面から離れて浮遊したのだ。それは何とも馬鹿げた光景であった。


『死ね! 醜い化け物!』


 イリヤがロシア語で叫びながら片手を捻るような動作を取る。するとそれに合わせてカドモスの腕がまるでネジのように螺旋状に捻転した。骨が砕け筋肉が断裂し、血管から大量の血が噴き出す。悪魔の口から聞くに堪えないような苦鳴の呻きが漏れる。


 しかし腕の捻転がその頭と首にも及び、いや、それどころかカドモスの巨体を丸ごと螺旋状に文字通り捻り潰してしまった。恐ろしい異音と共に地獄絵図が展開され、身体中が捻じれた奇怪なオブジェクトと化したカドモスの巨体が地面に落下する。幸い悪魔は死ぬとすぐに消滅してしまうので、ビアンカがあまりその醜い惨殺死体を長く目にせずに済んだのだけは幸いであった。



『ふぅん……何だ。そんなに強くないじゃん。見掛け倒しってやつだね』



 イリヤはロシア語で小さく呟いた。それはロシア語であった為にビアンカには聞き取れなかったが、マチルダは聞き間違いかと疑うような表情で少年の美貌を凝視した。彼女の目には少年がほんの僅かだが酷薄な笑み・・・・・を浮かべているように見えた。


 隠していたのは能力の強さだけではないかも知れない。カドモスに対する凄惨な殺し方といい、マチルダはもしかしたら自分達はこの少年を色々な意味で見誤っていたのではないか、そんな危惧が頭をよぎった。



「……!」


 だがその間にも戦況は動いていた。カドモスが倒される間、何故か一切援護しなかったもう一体の中級悪魔デイノ。その理由・・は奴の様子を見れば明らかだ。


 奴の両手……だけでなくその腕全体が、強烈な光を噴き出して明滅していた。それは明滅しているというより周囲から光の粒子を集めている……。そんな風にも見て取れた。


 カドモスがイリヤの注意を引きつけている間にデイノは、ひたすらこの光を集めて溜めて・・・いたらしい。そしてカドモスを斃したイリヤの注意が自分に向いた瞬間、デイノはその毛むくじゃらの両手を少年に向かって突き出した。


 するとその両手から極太の光の帯のようなものが、まるでビーム光線か何かのように発射された!


「……ッ!!」


 『ビーム光線』はイリヤに直撃すると派手な爆発を巻き起こした。それだけでなく派手な爆発は固い床を抉り、格納されている何機かの戦闘機が衝撃だけで動いて押しのけられた。着弾地点からは未だに爆煙が上がっていてイリヤの安否を確認する事ができない。



(……ド、ドラ〇ンボール?)



 それは以前にビアンカも読んだ事があり、このアメリカを含めた世界中の多くの若者が知っている、日本原産の大人気コミックシリーズに登場するキャラクター達が主要な攻撃手段として用いる攻撃方法に酷似していた。


 いや、酷似しているのは見た目だけではない。


 デイノは未だに光り続けている両腕を引き絞ると何度も繰り返し交互に突き出し、その度に手の先から例の『ビーム光線』が連射、乱射されて、イリヤのいた地点に連続で着弾し続ける。


 その攻撃方法もまた件のコミックシリーズに登場する、とある人気キャラクターがよく使う『グミ撃ち』と揶揄される攻撃手段に似ていた。


 しかしその攻撃手段は作中では殆ど相手に効いた試しがない事でもファンの間では有名であった。となるとこのデイノの『グミ撃ち』も……



『……!!』


『ふぅん、やっぱりこの程度か。念の為ちょっと強めに防御しておいたけど、その必要もなかったかな』


 連続した『グミ撃ち』の爆炎が晴れると、そこには障壁で身体を覆って全くの無傷であるイリヤの姿があった。ただし彼の周囲は酷い有様になっていて、まるでそこだけ小規模な空爆でも発生したかのようであった。それだけにその場で無傷で佇むイリヤの異質さと異能さが際立つ。


 仮にも基地内の格納庫でこれだけ派手な爆発騒ぎが起きているのに、哨戒や巡回の兵士などが誰も駆け付けて来ない事を考えると、どうやらこの格納庫自体が(恐らく)バーナードの『結界』に覆われているのだろう。



「じゃあ今度は僕ノ番だね」


 イリヤは若干拙い英語で喋ると、片方の手を掲げて力を込めるような動作を取った。すると……押しのけられていた戦闘機・・・のうちの一機が抵抗なく浮かび上がったのだ。


 勿論その戦闘機は誰も乗っていないし推進器も働いていない。そもそも恐らく燃料自体入っていないはずだ。


「こレでも……喰らえェェェッ!!」


 イリヤは叫びと共に、身体ごと折り曲げる勢いでその戦闘機を投げつける・・・・・ような動作を取った。


 戦闘機はジェットも点火していないのにそれ以上のスピードで『発進』して、攻撃の直後で硬直していたデイノに直撃した。燃料は無くミサイルなどを含めた弾薬も全て取り外されている。しかしその戦闘機自体が20トンはあろうかという金属の塊であり、それがこのような高速で衝突すればどうなるか。


 デイノは原型を留めない肉塊に変わり果てて、金属の塊に押しつぶされて消し飛んだ。悪魔を殺した戦闘機は格納庫の壁に派手にぶつかってようやく止まった。当然大破だ。



 ビアンカは他人事ながら先程のデイノの攻撃で発生した被害と併せて一体どれくらいの損害がこの基地に発生しているのだろうかと考え、その金額を想像すると怖くなってそれについて考えるのをやめた。 


(……レイナーは任務上で発生した被害は、全部大統領府が受け持つって言ってたからきっと大丈夫よね、うん)


 そう自分を納得させながらも、レイナーの上司・・である自分の母親がこの損害を聞いた時の顔を想像して、命の危機とは別の恐怖・・を感じてしまうのであった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る