Episode18:断ち切られた縛鎖

 光に包まれていた視界が徐々に正常に戻ってくる。眩しさの余り目を瞑っていたビアンカは、瞼越しに感じる光の圧が弱まって完全に消えた事を悟って目を開けた。


「……!」


 そこは非常に広い倉庫のような場所だった。周囲には戦闘機のような機体が並んでいる。それは倉庫というよりは……


(……格納庫・・・?)


 というイメージを抱かせた。更に視線を巡らせるとマチルダと2体の悪魔、そして彼等に同じように囚われているあの少年の姿が目に入った。直前のマチルダの言葉からしても、どこかに瞬間移動のような能力で飛ばされて連れて来られたようだ。


 そこでビアンカはこの場に自分達以外にもう1人の人物がいる事に気付いた。ビアンカの視線に気付いたその人物が近寄ってくる。



「やあ、気分はどうかな『エンジェルハート』? カドモスの毒は身体を麻痺させるが意識は奪わないから喋る事は出来るだろう?」



 かなり肥満した頭頂部も寂しい壮年の白人男性で、軍服が全く似合っていなかった。


「あ……あなた、は……?」


「おっと、自己紹介が先だったな。私はこのエルメンドルフ・リチャードソン空軍基地・・・・の司令官、フランクリン・バーナード准将だ。短い付き合いになるだろうが宜しく頼むよ」


「……!」

(空軍基地!? 准将ですって!? それはつまり……)


 アメリカ軍・・・・・の将校という事だ。アメリカ軍はアダムも所属しており、大統領であるダイアンの側・・・・・・ではなかったのか。 



「米軍がどれだけ大きな組織だと思っているのかしら? 世界最大の軍隊なのよ? そして軍人だって人間には違いない。色々な思想・・・・・を持った者が所属していて当然でしょう」


 内心が顔に出ていたのか、ビアンカの疑問にマチルダが揶揄混じりに答える。バーナードが忌々しそうな表情で頷く。


「全くだ。去年代わったばかりの国防長官が大統領や国民党寄りであっても、我々まで鞍替えせねばならん理由は無い。私はあんな若造の長官に従う気などないのだ」


「……!」


 以前にユリシーズやレイナーが言っていた民主主義の弱点。組織の長が自由党寄りであれば、その組織自体が自由党に染まってしまう。バーナードは実質的にこのアラスカにおける米軍のトップとも言える存在のはずで、それは取りも直さず在アラスカ米軍が自由党側であるという事実を示していた。



「ふふ、しかしもうそんな事はどうでも良くなる。こうして無事に『エンジェルハート』が手に入ったのだからな。お前からこの話を持ち掛けられた・・・・・・・時は、まさかここまで上手く行くとは予想していなかったぞ」


 バーナードが上機嫌にマチルダの方に視線を向けた。これは彼女の方から持ち掛けた計画だったのか。マチルダは肩を竦めた。


「いえ、CIAとしてもSVRがアラスカに【ナンバー・ゼロ】を連れてきているという情報を得て、それを手に入れたいという目的がありましたので。その為には准将のご協力が必要だったのです」


 マチルダは2体の悪魔……カドモスとデイノを見やった。


「ああ、こやつらをお前に貸して・・・やった甲斐があったというものだ。それで『エンジェルハート』が手に入ったのだから安いものだ」


「……!」


 カドモスとデイノ、2体の中級悪魔が何故人間であるマチルダに従っている風だったのかの謎はこれで解けた。だがそうなるとやはりこのバーナード准将は……



「さて、私は『エンジェルハート』が手に入ったが、お前はその小僧をどうするのだ? カドモスの麻痺が切れた後もその小僧を捕えておけるのか?」


 バーナードが問い掛けると、マチルダはやはり肩を竦めた。


「それに関しては心配ご無用です。私を味方だと思い込んだメリニコフが、あの制御装置・・・・の『ユーザー』に私の声紋も登録してくれましたから」


「……恐ろしい女だ。ただの人間にしてはな」


 バーナードがうっそりと呟く。マチルダはそれには構わず、怯えている美少年を見下ろす。


「さあ、カドモスの麻痺はもう解除したわ。立てるでしょう? いえ……『立ちなさい』」


「……っ!!」


 マチルダがロシア語・・・・で命令すると、少年の額の輪がまたあの不気味な明滅を始めた。少年は頬を引きつらせてぎこちなく立ち上がった。


 SVRの元から連れ出された少年だが、彼ににとって状況は何も好転していなかった。ただ管理者・・・が変わっただけだ。


「安心して、坊や。少なくとも私はあなたに対して直接非人道的な行為を強要したりはしないから。そういうのは個人的には好みじゃないのよ。ただ……が同じ考えとは限らないけど」


「……!」


 『上』……つまりマチルダの所属しているCIAの長官、いや或いはCIAという組織そのものの事か。


 少年にとっては勿論何の慰めにもならない。それどころかまた何らかの研究実験の対象にされる事は明らかであり、ただそれを行う者がSVRからCIAに変わるだけの事なのだ。そしてCIAがSVRより人道的であるという保証は一切ない。



「さあ、坊や。『私と一緒に来なさい』。これからあなたを新しい家・・・・に招待するわ」


 マチルダが冷徹に促すと、少年は泣きそうな顔になりながら彼女の元に歩き出す。ビアンカはそれを見て猛烈な怒りに駆られた。


「ふざけないで……その子はもう充分辛い目にあってきてるのよ。これ以上何をさせる気なの!? あなたは人間じゃないわ!」


「人間じゃない? 見ての通り私は女よ。つまり悪魔じゃなくて正真正銘の人間なんだけど?」


 ビアンカの詰りにマチルダは皮肉気に口を吊り上げて応える。そういう意味ではない。だがマチルダはそれを解った上で敢えて揶揄しているのだろう。


 少年と違ってまだ麻痺が抜けきっていないビアンカは、地面に伏せたまま上体だけを起こして少年を見上げる。


「ねえ、僕。私を見て。私に君の名前・・を教えて欲しいの」


「ナ、名前……?」


 少年が何を言われたのか分からないという風に目を見開く。だがビアンカは彼から目を逸らさずに頷いた。


「そうよ。まさか【ナンバー・ゼロ】なんて名前じゃないでしょ? あなたの名前が知りたいのよ」



「……!! イ、イリヤ……。僕ノ名前・・は……イリヤ・スミルノフ」



 少年――イリヤが自分の名前を名乗ると、彼の瞳に僅かだが力が戻るのをビアンカは見た気がした。名前は自己のアイデンティティを確立する最も重要な要素だ。その人間から尊厳と自己認識を奪うには、名前を奪ってしまうのが一番手っ取り早い。


 逆に言うなら名前を思い出させてやれば……思い出す事が出来るなら、その人間の尊厳を取り戻し自我を賦活させてやれるのだ。ビアンカは以前にユリシーズから聞いた話を思い出し、咄嗟にそれをこの場で実践した。


「イリヤね。私はビアンカよ。よく聞いて、イリヤ。君はれっきとした1人の人間なの。実験動物なんかじゃない。君は自分の嫌な事は拒否できるし、自分のやりたい事をやる権利があるのよ」


「……! や、やりタい、事? 権利……?」


 少年は生まれて初めてその言葉を聞いたかのように目を瞬かせた。


「そうよ! 人間は本来自由・・なのよ! 君だって勿論そう! 君が嫌なら、こんな奴等の言う事を聞く必要なんかどこにも無いのよ!」


「……!」


 イリヤがその大きな目を増々見開く。しかしその横でビアンカの必死の説得をマチルダが嘲笑う。


「お涙頂戴のおままごとはもういいかしら? あなたが何を言おうとこの制御装置がある限り、【ナンバー・ゼロ】は私達の所有物・・・なのよ。それよりあなたは自分の事を心配した方がいいんじゃなくて?」


 マチルダの言葉と共に、バーナード准将がビアンカに近付いてくる。


「ふふふ……『エンジェルハート』を手に入れれば、この儂こそがカバールの頂点に君臨できる。ああ、早くその心臓を味わいたい」


 バーナードが手を振ると、彼の配下であるカドモスとデイノが動き出した。そしてビアンカに対して殺気を向けてくる。彼女の心臓を抉り出してバーナードに献上する気だ。


 ビアンカは内心で激しく焦る。しかし極力それを表に出さずに、ただひたすらイリヤだけを見つめる。ビアンカの視線に見据えられてイリヤの動揺が明らかに強まった。


「イリヤ、このままだと私はこいつらに殺されるわ。それを止められるのは君だけなの。お願い、イリヤ。私を助けて! 君の『力』ならそれが出来る!」


「……っ!? た、助け、ル? 僕が……この、『力』で……?」


「そうよ! 君の『力』は決して悪い物なんかじゃないのよ! 少なくともこの場で私を助ける・・・事が出来るのよ!」


「っ!!」


 イリヤが身体を震わせる。そうしている間にも悪魔達の魔の手がビアンカに迫る。カドモスがビアンカの身体を抱えて抑え込み、デイノが鉤爪の生えた手を貫手の形にしてビアンカの心臓がある位置に押し当てる。


「殺せっ!」


「助けて、イリヤァァァァァァッ!!!」


 バーナードの命令とビアンカの叫びが重なる。そしてデイノの鉤爪がビアンカの心臓に突き入れられようとしたその瞬間――



『や、やめろぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉっ!!!』



「「……っ!?」」


 ロシア語の叫び。そして……強烈な念動波がカドモスとデイノに叩きつけられ、2体の中級悪魔をまとめて吹き飛ばした!


 不思議な事にその衝撃波は、悪魔達と密着していたビアンカには一切に被害を及ぼさなかった。 マチルダが初めて驚愕した表情でイリヤの方に視線を向けていた。バーナードもビアンカも……全員がイリヤに注目していた。


「ふぅ……はぁ……。その、人を……虐めルなっ!!」


 イリヤがこちらに手を掲げて荒い息を吐いていた。今の念動波は間違いなく彼が放ったものであった。



「馬鹿な……制御装置で勝手な行動は取れないはずなのに! 『大人しくしなさい! 今すぐに!』」


 マチルダがロシア語で命令するとイリヤの頭に嵌っている『制御装置』が作動し、彼の脳に直接侵害刺激を与える。脳は全ての感覚神経を束ねている神経細胞の塊だ。あらゆる感覚や痛みは神経を通って脳に伝達されて痛みとして認識される。  


 その脳に直接侵害を与えられるというのは、言ってみれば剥き出しの神経の塊に痛みを与えているのと同じだ。虫歯で空いた穴に針などで刺激を加えると大人でも悶絶するような痛みが走るが、あれとすら比較にならないような苦痛を与えるのがこの『制御装置』の機能だ。


 ましてや年端も行かないような子供である。今までその痛みを怖れる余りに、条件反射的に命令に従うようになっていても全く不思議ではなかった。


 だが今は……


『ぐぎぃぃぃ!! があぁぁぁぁっっ!!!』


 イリヤは脳を貫く途轍もない痛みに悶絶しながらも顎が砕けんばかりに歯を噛み締め、自らの『力』を高め続ける。制御装置がどれだけ光を発しても、イリヤの内から溢れ出る力を抑えきる事ができない。


 そして遂に……


『――――ァァァァァァッ!!!』


 イリヤが一際大きく叫ぶと彼の身体から恐ろしいまでの圧力が噴き出し、彼の頭に嵌っていた『制御装置』に大きな亀裂が走った。その亀裂はどんどん広がっていき、やがて内側からの圧力に耐え切れずに粉々に砕けて弾け飛んだ!



「まさか……自力で楔を断ち切った……!?」


「イ、イリヤ……!」


 衝撃波から思わず顔を背けて、庇っていた腕を解いたマチルダは更なる驚愕の表情を浮かべ、そしてビアンカは命が助かった安堵と、それを成し遂げて自由・・を勝ち取った少年に感謝と喜びの表情を浮かべ……一様に少年の姿を注視する。


「その……お姉ちゃんに、手を、出スな……! 絶対に許さナいぞ、お前達!」


 バーナードも含めたその場にいる全員の視線を集めながら……イリヤは、そのあどけない美貌を引き締めて再び『力』を高め臨戦態勢を取った。


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