Episode17:本気の戦い

「ぬぁぁぁぁぁっ!! あの売女めぇぇっ!! やはりCIAなど、アメリカ人など信用できん! 欺瞞と腐敗で凝り固まったハイエナ共だ! セルゲイ! あの女にまんまと一杯食わされた責任は取ってもらうぞ!」


 マチルダに利用されていた事を知ったメリニコフが今更怒り狂うが、全ては後の祭りだ。マチルダに篭絡されて嵌められたのは自分も同じであるのに理不尽な怒りをぶつけるメリニコフに、しかしセルゲイは冷徹な表情を崩さず反論しなかった。


「だがまずは貴様らだ! アラスカでの工作を滅茶苦茶にしてくれた貴様らだけは絶対に許さん! せめて貴様らの首を獲る事でこの失態の補填をさせてもらうぞ」


 メリニコフはアダムとリキョウを指差して、口から泡を飛ばしながら怒鳴る。だが当の2人は妙に静かであった。



「……あのCIAの女が一枚上手だったか。俺達がここに踏み込む事やあのビアンカの行動も予測していた節があったな」


「ええ、全くです。まんまと利用されてしまいましたね。しかしビアンカ嬢もよくよく敵に捕らわれる性質さがのようです。これもまた『エンジェルハート』の特性なのでしょうか」


 アダムもリキョウも相変わらず静かな調子で、苦笑さえ浮かべて会話している。その様にメリニコフが青筋を立てる。


「貴様ら、聞いとるのか!? 今すぐ――――――おごっ!?」


 喚いているメリニコフの鼻面にアダムの鉄拳が炸裂し、聞き苦しい啖呵を強制的に中断させた。それは肉体と共に感覚まで強化されているはずのメリニコフにも見切れない速さであった。


「……さっきから煩いぞ、白ブタ野郎。俺は今非常に気が立っている。これからすぐにビアンカを助けに行く必要がある。これ以上お前らと遊んでいる暇はない」


「ぬご……な、な……き、貴様……」


 メリニコフが鼻血を噴き出す鼻を押さえながら驚愕する。セルゲイの方も、対峙しているリキョウから感じるプレッシャーが格段に上昇したのを感じ取って目を見開く。


「あなた方の戦力を分析しようと、必要以上に慎重になって出し惜しみ・・・・・していたのが仇になりましたね。……ここからは本気で行かせてもらいますよ?」


「……!」


 リキョウの気迫に押されるようにセルゲイが一歩あとずさる。



「ぬ、ぬ……本気だと? ふざけるなぁ! それは儂らの台詞だ! 殺してやるぞ、米国人め!」


 傷つけられたメリニコフが怒り狂って力を高める動作を取る。すると奴の身体が更にバンプアップし、上半身の服が全て弾け飛んだ。その肥大した筋肉は腕だけでも成人女性の胴体くらいの太さがありそうだ。


「うごおぉぉぉぉぉっ!!」


 野獣のような咆哮と共にメリニコフがアダムに向けて突進する。その巨体からは考えられないようなスピードで肉薄すると、上段から巨拳を打ち下ろした。豪拳は唸りを上げて床に打ち込まれ、凄まじい轟音と衝撃、そして極小規模なクレーターを作り出す。途轍もない威力だ。まともに当たれば一撃に原型を留めない肉塊へと変わってもおかしくはない。


 まともに当たれば、だが。


「うぬっ!?」


 メリニコフがアダムの姿を見失って視線を泳がせる。あり得ない話だ。今の彼は肉体に比例してその感覚も極限まで強化されている。今なら撃ち込まれた銃弾もはっきり認識して、摘み取る事さえ可能だろう。


 その彼が攻撃を躱されるのは勿論、ましてや敵の姿を見失う事などあり得ないのだ。だがそのあり得ない事が起きている。



「……この姿・・・でいられる時間は長くない。速攻で決めさせてもらうぞ」



「……っ!?」


 少し離れた場所に出現・・したアダムの様相が変わっていた。全身から赤い光のようなものが放出されている。アダムの切り札の一つである『倍速機動モード』だ。


「ふんっ!」


 アダムの姿が再び消えた、と思った瞬間にはメリニコフのすぐ後方の至近距離に出現した。テレポートでもないのに、まるで瞬間移動したかの如き速度であった。


「ぬわっ!」


 メリニコフは咄嗟に裏拳を放つが、その時にはアダムの姿は再び消えて今度はブレードを一閃してきた。鋼のように強固になっているはずのメリニコフの身体に深い裂傷が走った。


 怒り狂ったメリニコフが再び現れたアダムに渾身のストレートを放つが、その攻撃に合わせてアダムがブレードを振るうと、彼の太い腕が脆い木の枝のように綺麗に切断された。


「ぬがぁぁっ!! 貴様ァァァァァァァッ!!!」


 手負いの野獣と化したメリニコフが今度は残った腕を薙ぎ払い、強烈な衝撃波を放ってきた。肉弾攻撃より遥かに広い攻撃範囲。しかしアダムの倍速機動モードはその攻撃範囲からも容易く逃れた。


 そして衝撃波を放ったばかりで体勢の整っていないメリニコフに一瞬で接近。ブレードを横に薙いだ。



「お……お、おぉ……」


 メリニコフの極太の首に赤い直線が走る。その線からやがて大量の血液が迸り出す。


「……終わりだ。ロシアの工作員」


 アダムの宣言とともにメリニコフの頭が胴体と泣き別れになり、地面に落ちた。その切断面からまるで噴水のように血液が噴き出した。やがて時間差で胴体もゆっくりと横倒しになる。


 ほぼ同時にアダムが大きく息を吐いて、倍速機動モードを終了させる。瞬間的に戦闘力を倍増させるが、その代わりに非常に身体への負担が大きい文字通りの切り札。もう少し戦闘が長引いていたらアダムの方がエネルギー切れで動けなくなっていただろう。彼の圧勝のようで、実際にはそれなりに際どい勝負ではあった。



「……!」


「さて、あなたの上司は死にましたよ? あなたも上司の後を追いますか?」


 一方セルゲイとリキョウの戦いも、リキョウが2体目・・・の仙獣として白豹の麟諷を召喚した事で、互いの戦力は完全に拮抗状態となっていた。リキョウも2体の仙獣を同時召喚する事で気力の消耗が激しいが、セルゲイとてサイキック能力を無限に使い続けられる訳ではない。


 リキョウは冥蛇の力を防御に回し、麟諷の風と空気の力を駆使してセルゲイを攻め立てる。セルゲイもまたテレポートや障壁でその攻撃を捌きつつ、衝撃波やパイロキネシスで反撃するが全て冥蛇の水壁に阻まれる。


 攻撃と防御の応酬が続くが、互いに決め手を欠いている事も確かであった。そこにアダムがメリニコフを討ち取るという情勢の変化が起きた。


 セルゲイは状況の不利を悟った。と、同時にこのアラスカの地における工作任務の失敗も。


「……この借りはいずれ必ず返す」


 それだけを告げてセルゲイは、範囲を拡大したテレポート能力によってこの場から消え去った。


 撤収したようだ。それを確認したリキョウは仙獣を送還して大きく息を吐いた。討ち取る事は出来なかったが、あのセルゲイはかなりの強敵であったので余り欲を掻くべきではないだろう。撤退させただけでもとりあえずは充分だ。




「……何とか終わったな」


「ええ、そうですね。しかしまだビアンカ嬢の救出という大仕事が残っていますよ」


 戦闘に勝利した2人は休む間もなく動き始める。ビアンカがどこに連れ去られたのか、本来・・であれば当ては全くないはずだが……


「ふむ、あのマチルダ女史は絶対に何か仕出かすと思って、予め虹鱗をビアンカ嬢に張り付け直させておいたのが役に立ちそうですね」


「俺は元々ビアンカの遺伝子データを登録・・する事で、彼女の居場所が常に把握できるようになっている」


 ボルチモアで彼女が攫われた時にも活躍した機能だ。どうやら超人である2人にとって、連れ去られたビアンカの居場所を探り当てる事は造作も無い作業であるようだ。


 そして2人は各々の能力によってビアンカの居場所を既に掴んでいた。


「これはまた……意外と言えば意外な場所ですね?」


「そう……だな。まさかという思いだ。だがこれでマチルダが軍の兵士を引き連れていた事と、その兵士達が悪魔であった事の説明が付く」


 2人はビアンカの居場所を把握して、ほぼ同時に唸った。そして早速救出に向かおうとするが……



「――ね、ねぇ、ちょっと! 置いてかないでよ! あなた達、私達を助けに来てくれたんじゃないの!?」



「「……!!」」


 女の叫び声にアダムとリキョウは動きを止めた。そしてぎこちなく声のした方に振り返った。広いホールのような部屋の壁際に並んだ檻。そこにアラスカ州の議員たちの家族が収容されていた。


 殆どの人質たちは目の前で展開されていた超常の戦いに怖れ慄いていたが、1人だけ鉄格子に取り縋ってこちらを睨んでいる若い女がいた。どうやら彼女が先程の怒鳴り声の主のようだ。



「……ああ、しまった。俺としたことが、ビアンカが拉致された事ですっかり彼等の存在を忘れていた」


「そうですね……。それにあれは……イザベラ上院議長の娘、マリッサ女史ですね。彼女を放置していくと後々が面倒な事になりますよ」


 どのみち元々何の為にこの場に乗り込んだのかを考えたら彼等を残して放置していくという選択肢はない。これでアダム達の『任務』は無事達成できた訳だが、2人にその喜びは皆無であった。


「即座にビアンカの救出に向かう事は出来そうにないな……」


「ええ、こればかりは仕方ありませんね。なるべく早く彼等を安全な場所まで送り届けるしか出来る事はないでしょう」


 アダムとリキョウは揃って盛大な溜息を吐きつつ、自分達が救出に向かうまでビアンカがどうか無事でいるようにと祈るばかりであった……

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