Episode20:思考の具現者

『さぁ……次はお前達の番だぞ。覚悟は出来てるよね?』


「……!」


 中級悪魔2体をあっさりと殲滅したイリヤが、ユラッと向きを変えてバーナードとマチルダの方を見やる。


 この少年は能力の強さは勿論、その精神性・・・も危険だ。ただでさえ幼く自制心が緩い所にこれだけ超常の力を持っているのだ。それだけでもどれだけ危うい存在か分かるが、それだけでなくこの少年は人格が形成される大事な時期を、ずっとSVRの非人道的な実験研究の被験者として過ごしてきた。その体験が彼の未成熟な人格にどのような影響を与えたか……


 マチルダは歯噛みした。ビアンカはその自覚も無く、制御不能の怪物をこの世に解き放ってしまったのだ。


 彼女は咄嗟に身の危険を感じてこの場から逃げようとした。


「っ!?」


 そして脚が動かない事に気付いた。まるで何かに縫い付けられたように足が地面から離れないのだ。強い力で押さえつけられているかのような……


『どこ行くんだよ? 散々好き放題してきて、今更逃げられるとか思ってるの?』


「……っ」


 既に彼女は少年の力によって捕らわれてしまっていた。マチルダ自身は只の人間であり、自力で脱出する事は不可能だろう。となれば彼女が助かる道は……


「じゅ、准将……」



「……やれやれ、自分のミスの尻拭いを儂にさせる気か。こっちも部下を殺されておるから、どのみちあの小僧は生かしてはおかんが……この貸し・・は高くつくぞ?」



 マチルダの縋るような視線を受けたバーナードが、嫌らしい笑みを浮かべながら前に進み出てきた。恐らく同じように念動力で拘束していただろうはずのバーナードがそんな拘束など全く感じていないかのように動き出した姿に、イリヤは初めて警戒するような視線を向けた。


『お前……何だ?』


「き、気を付けて、イリヤ! そいつはカバールの構成員……上級悪魔・・・・よ! さっき倒した奴等とは格が違うわ!」


『……!』


 ビアンカの警告と上級悪魔という言葉に、イリヤもとにかくヤバそうな奴という事だけは分かったのか先制攻撃を仕掛ける。


「はぁぁっ!!」


 強烈な念動波をバーナードに叩きつける。人間がまともに受けたら身体中の骨が砕けて即死するだろう威力の衝撃波だ。バーナードは特に回避や防御動作を取る事も無く、それをまともに喰らって遠くの壁際まで吹き飛ばされた。その衝撃だけでも即死ものだが、首や四肢などがおかしな方向に折れ曲がっている。どうみても即死だ。だが……


 でっぷりと太ったバーナードの腹が急激に膨れ上がって破裂・・した。そして中から赤黒い色をした何か・・が空中に飛び出した。それは空中でやはり赤い色をした触手のようなものを四方八方に飛ばし、格納庫の壁や屋根に貼り付けて本体・・を中空に固定した。



「な…………」


 ビアンカもマチルダも……唖然としてソレ・・の姿を見上げた。


 それは直径が優に3メートルほどはありそうな巨大な『脳』であった。その表面には赤黒い血管が脈打っており、恐ろしくグロテスクな外観だ。その脳の下部からまるで蟹か貝のようにニョロっと長い目のような器官が突き出してイリヤの方に向けられている。


 逆に『脳』の上の方からはあの大量の触手が蜘蛛の巣のように格納庫中に張り巡らされて、巨大な『脳』を中空に吊り下げていた。


『うぇ……また物凄く気持ち悪い奴が出てきたな。お前がそのジョーキュー悪魔とかって奴なの?』



『ふぁはは……如何にも。この【思考の具現者イマジネーター】デカラビアの能力、とくと思い知らせてやるぞ、小僧』



 脳の怪物……デカラビアはどこから喋っているのか分からない声で嗤う。その嗤いに合わせて巨大な脳が振動し、表面が激しく脈打つ。グロテスクな光景にイリヤがその美貌を顰める。


『気持ち悪いからさっさと消えなよ』


 イリヤがデカラビアに向けて再び念動波を放つ。ぶら下がったオブジェクトに過ぎないデカラビアは当然回避行動は取れない。再び直撃するかと思われたが、


『馬鹿め!』


 だが念動波はデカラビアに当たる直前に、見えない何かに弾かれたように霧散してしまった。


『防御の障壁が使えるのは貴様ら超能力者だけではないぞ?』


『……! ふん……でも肝心の攻撃はどうするのさ? 手足も何もないそんなナリで何が出来るの?』


 自分の攻撃を弾かれたイリヤが腹立ち混じりに挑発する。たしかにデカラビアの姿はグロテスクでインパクトは絶大だが、誰かを攻撃するには極めて不便そうだ。触手群も本体を固定してぶら下げる以上の役割はないようだ。



『ふぁははは、どれ、今まで幾多の同胞を斃してきた『エンジェルハート』の記憶を利用させてもらうとしようか』


「……!!」


 突然デカラビアの長い目が自分の方を見下ろしてきてビアンカはビクッと身体を震わせる。


「な、何……何なのよ?」


『ほぅ……流石は『エンジェルハート』の守護者・・・。確かに今まで何体もの同胞を斃してきたのも頷ける強さだ。よし、ではこいつにしよう・・・・・・・


 デカラビアの謎の言葉と共に、ビアンカはファイアー島でセルゲイに心の中を覗かれた時とはまた違った不快感が頭の中を駆け巡るのを感じた。


「……! お姉ちゃんニ何してるんだ! 今すグやめろっ!」


 ビアンカが何らかの手段で傷つけられていると見て取ったイリヤが目を吊り上げて、今度はデイノを斃した時のようにまた戦闘機の一機をサイコキネシスで持ち上げた。そして同じような勢いでデカラビアに向かって投げつけた・・・・・


 20トンの質量による物理攻撃はどんな障壁や結界でも完全には防ぎきれない。少なくとも無傷ではいられないだろう。しかし投げつけられた戦闘機が凄まじいスピードでデカラビアに衝突する寸前、その間にいつの間に現れたのか1人の人影・・が割り込んだ。


 ビアンカ達が目を瞠る間もあればこそ、その人影は右手にある黒い炎・・・で構成された剣を縦に一閃。すると戦闘機が自らの勢いも相まって、綺麗に中心から真っ二つに分断された!


「何……!?」


 流石のイリヤも目を瞠った。二つに割れた戦闘機が轟音と共に地面に落下していく。その光景を背景にそれを為した人物も地面に降り立った。


「え…………?」


 ビアンカはその人物を見て自分の目を疑った。何故ならそれは……彼女が非常によく見知っている・・・・・・人物であったから。そして同時にここにいるはずがなく、デカラビアの味方をする事もあり得ない人物であったから……!


 それは体格のいい黒いスーツ姿の白人男性で、少し逆立てた黒い髪に金色の瞳・・・・が異彩を放っていた。




「ユ、ユリシーズ・・・・・……?」




 それは間違いなく彼女が良く知る……そして現在はヴァチカンに『出張中』であるはずの半魔人SP、ユリシーズ・アシュクロフトであった!


「う、うそ……何でユリシーズがここに……!?」


 訳が分からなくてビアンカは呆然と呟く。目の前にいるのはどう見ても本物のユリシーズだ。幻覚などではない。その証拠にマチルダもまた、その突然現れたユリシーズの姿を驚きを持って見つめているからだ。


 ただ彼女の驚きは単に突然現れた謎の人物というより、それがユリシーズであった事による物が大きい様子であったが、生憎今のビアンカにはそこまで気にしている余裕が無かった。



『ふぁはは、『エンジェルハート』よ。お前の記憶の中で【最も強き者】を抽出し、儂の力で具現化・・・させてもらった。これが我が【思考の具現者イマジネーター】の能力よ』



「……!!」


 具現化。ビアンカの記憶にあるユリシーズの姿をコピーして作られた存在という事か。先程の戦闘機を両断した一撃を見る限りコピーされているのは姿だけではないだろう。


『やれっ! 我が『具現化人形イマジン・ドール』よ! あのガキを殺せっ!』


 デカラビアの命令に従って『ユリシーズ』が動き出した。イリヤに向かって片手を突き出す。


『קוׄקוּשִׁידָן』


 その口から呪文のような物が漏れ出ると、突き出した手の先から黒い炎の塊が形成されて勢いよく射出された。


 あれはユリシーズが良く使う攻撃手段の黒火球だ。どうやら本当に彼をコピーしているらしい。その威力は本物と同じなら、下級悪魔程度一撃で消し炭にしてしまう程だが……


「……!」


 黒火球はイリヤの障壁によって弾かれて霧散した。だが障壁にかなりの波紋が波打ち、イリヤが若干顔を顰めた。『ユリシーズ』はそのまま黒火球を連発してくる。これもまた本物の彼が得意とする戦法だ。


『ち……こいつっ!』


 連続した黒火球を受けとめながらイリヤは『ユリシーズ』が油断ならない敵だと実感したのか、目付きが変わる。その小さな身体から更に強烈な圧力が噴き出す。


『死ねっ!』


 障壁で黒火球を防御しつつ、イリヤは空いている手を『ユリシーズ』に向けて翳す。すると突如として『ユリシーズ』の身体が炎を噴き出して燃え上がった!


 パイロキネシスだ。やはりイリヤもこの能力が使えたらしい。紅蓮の炎に包まれる『ユリシーズ』。


『あははっ! 死ねっ! 燃え尽きろぉっ!!』


 立ち昇る炎の柱を見て哄笑するイリヤ。だが直後にその笑いが止まる。


『הְיוׄאוּרָן』


 『ユリシーズ』が再び何かの呪文を唱える。するとその身体から強烈な冷気・・が噴き出し、纏わりついていたイリヤの炎を全て凍らせてしまった。氷の彫像と化した炎の柱が粉々に砕け散る。



『……っ! な、何だよ、それ……』


『ふぁはは、どれだけ強い力を持っていようと、所詮は子供。このような強さの敵と戦った経験はあるまい。我が力に歯向かった事を後悔しながら死ねぃっ!』


 流石に動揺を隠せないイリヤの様子に、上から見下ろしているデカラビアが嘲笑する。今までにも何体もの上級悪魔を斃してきているユリシーズの力を完全にコピーできるのなら、このデカラビアの力はそれらの悪魔達よりも強いという事になる。本体には結界や障壁以外に戦闘能力はないようだが、恐ろしい力である。


 『ユリシーズ』が反撃に黒火球を連打しつつ、右手にあの黒炎剣を生やして直接斬り掛かってくる。あの剣の切れ味はビアンカも良く知る所である。


「……! イリヤ、逃げてっ!」


「っ!」


 黒火球の弾幕に視界を塞がれて『ユリシーズ』の接近に気付かなかったイリヤだが、ビアンカの警告で肉薄してくる敵に気付いた。慌てて障壁の強度を増すと、その直後『ユリシーズ』の黒炎剣がイリヤの障壁に接触した。


「ぐっ……!?」


 イリヤが苦鳴を漏らして体勢を崩す。何とか防げたようだが障壁にかなり大きなダメージを負ったようだ。『ユリシーズ』はそのまま剣を連続で斬り付けてくる。その度にイリヤの障壁が悲鳴を上げる。


「う、ぐ……うぅ……!!」


 少年の美貌が苦痛に歪んで脂汗が大量に伝う。このままでは障壁を破られるのも時間の問題だ。


「イリヤ、テレポートよ! テレポートで距離を取って仕切り直すのよ!」


 彼はロシアの超能力者達の生みの親であり、ならばセルゲイなどが使っていたテレポーテーションも使用できるはずだ。セルゲイはテレポートを自在に使いこなす事であのリキョウと渡り合っていた。


 ならばイリヤもあのような戦い方をすれば『ユリシーズ』相手でも優位に戦えるはずだ。だが彼はビアンカのアドバイスを聞いても顔を歪めてかぶりを振るばかりで、テレポートを使う気配が無かった。何らかの理由で使えないのだろうか。



 実はビアンカは当然知らない事であったが、イリヤはテレポーテーションの能力自体は持っていた。だが瞬間移動は非常に便利だが同じくらい扱いが難しい能力であり、使いこなすには専門的な訓練と熟練が必要であった。


 移動先の座標・・の指定が非常に難しく、少しでもズレがあると足が床にめり込んだり、壁やオブジェクトに身体が半分めり込んだりする羽目になる。この『めり込む』というのは控え目な表現であり、実際には身体がそこに融合・・してしまうのである。 


 そして……ノリリスクにあるロシア政府の秘密の超能力修練場には、机やロッカー、その他様々な家具、それに壁そのものと人間が融合・・してできた奇怪なオブジェクトが数多く収納・・されている倉庫部屋が存在していた。


 テレポートの実験や訓練に失敗した訓練生達のなれの果てである。イリヤはかつて研究施設で幾度もそうしたテレポートが失敗して、人間がオブジェクトに変わる瞬間を目の当たりにしていた。それは幼い少年の心に強烈なトラウマとなって残っていたのである。


 テレポート能力は長く厳しい訓練を経てようやく実戦で使えるものとなるのだ。ましてやこのような戦闘中に慌てて使用すれば、ほぼ100%座標の指定に失敗するのは間違いなかった。



 結果的にトラウマによってテレポート能力という強力な手段を封じられたイリヤは、『ユリシーズ』の畳み掛けるような追撃に一方的に落いつめられてしまう。


 時折念動波を放って反撃しても『ユリシーズ』は全く危なげない動作でそれを躱して、更に苛烈な追撃を加えてくる。


 あの『黒騎士』の事は別として、ユリシーズが敵に回るという事態を全く想像した事が無かった。それはビアンカの中で何故か考慮の埒外であった。


 それがまさかこのような形で『ユリシーズ』と戦う羽目になって、彼女は彼が敵に回った場合の恐ろしさと厄介さを実感していた。


 イリヤも能力の強さでは決してユリシーズに負けてはいない。いや、それどころか幼さも考慮した潜在能力という意味では、ユリシーズのみならずアダムやリキョウも上回っているだろう。


 だがデカラビアも言及していたが、如何せん年端も行かない子供である。実戦経験も圧倒的に不足している。能力の強さだけは上回っていても、それを扱って戦う経験が無く、強大な能力を扱いきれずに逆に振り回されている。それがイリヤの現状と言えた。


 それでは心技体ともに兼ね備えたユリシーズとまともに戦ったら勝負にならないのは必然であった。

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