Episode7:禁断の研究

「……! 動きがあったぞ」


 アンカレジの街中にある中華料理店。そこで昼食を摂ってそろそろ出ようかというタイミングでアダムが反応した。ビアンカとリキョウの視線が彼に集中する。


「イザベラの携帯だ。非通知で掛かってきたが彼女が通話に出た瞬間に切れた。タイミングからしても明らかに怪しいな」


「そうですね。電話が切れた後から彼女が急にソワソワして、外出用に身支度を整え始めました。恐らくその電話自体が何らかの合図・・だったようです」


 リキョウも虹鱗の視覚を通して見た光景を伝える。ビアンカは頷いた。


「思ったよりも早かったわね。どんな連中か知らないけど、イザベラの自宅を常時見張ってたみたいね」


 イザベラは州上院の議長であり、国民党が過半数を占める議会で最も大きな影響力を持っている。彼女が賛成に回ればほぼその法案は可決したようなものだ。恐らく最重要監視対象・・・・となっているはずだ。ビアンカ達もそれを見越して彼女に接触したのだ。



 ビアンカ達が店を出て車に乗り込むと、同時にイザベラの方も動きがあったようだ。


「彼女も急いでいる様子で車に乗り込みました。やはりどこかに向かうようです」


「……携帯も所持しているな。これなら問題なく追跡できるぞ。俺達は急がずに後を追うとしよう」


 アダムの取り付けたマイクロセンサーとやらは、その気になれば何千キロ離れていても追尾できるらしい。それに加えて……


「そうですね。それに虹鱗の視界からブルーメンタール氏が会っている相手の顔も事前に確認できますからね」


 2人の能力によって、ビアンカ達は急いでイザベラの後を追って接触・・の現場を直接監視しなくても良いので、そこまで急ぐ必要はない。


「そうね。ここにきてスピード違反でアンカレジ市警に捕まるなんて馬鹿らしいしね。ゆっくり行きましょう」


 3人は急がずに車を発進させた。因みにアダムはセンサーから送られてくる情報を脳とは別の受容体・・・・・で処理しているらしく、追跡しながら運転や会話なども全く問題ないらしかった。



*****



 イザベラはアンカレジの本土では最も西端にあたるキンケイドパークという公園に向かっていた。クック湾に面した中規模の自然公園だ。時として浜辺にクジラが打ち上げられる事もあるという。街の玄関口であるテッド・スティーブンス・アンカレジ国際空港のすぐ近くだ。


 公園前の駐車場に車を停めた彼女は、徒歩で公園内に入っていく。しばらく森の中の遊歩道を進んでいくと、目立たない奥まった位置にベンチがいくつか置かれている休憩スペースがあった。


 彼女はそのうちの一つ、ベンチが背中合わせで並んでいる場所に腰掛けた。そのまま数分間緊張しながら待っていると……



「……尾行されてはいないようだな。スキャンの結果、盗聴器や小型カメラ等の機器も仕込まれてはいないと確認した」



「っ!!」


 突然真後ろから聞こえたロシア訛り・・・・・の男の声に彼女は反射的に振り向きそうになるが、


「振り向くな。そのまま前だけ見ていろ」


「……!」


 男の言葉に硬直して、振り向きたい気持ちを懸命に堪えて前に視線を戻す。


「大統領の犬どもが訪ねてきたな。奴等は何と言っていた? どの程度まで内情・・を掴んでいる?」


 男が詰問してくる。彼等・・はイザベラの自宅に盗聴器などの類いは仕掛けていなかった。万が一発見された場合にそこから足が付くのを警戒しての事だ。


「それは……」



「――ああ、何も言う必要はない。我々・・はアメリカ人など信用していない。お前達は口を開けば偽りと欺瞞しか出てこないからな。必要な情報はお前の頭の中から直接読み取らせて・・・・・・もらう」



「……っ!」


 イザベラは恐怖に震えた。以前にも彼等の恐ろしい力を目の当たりにして、警察等に相談しようという気は失せていた。それは大統領府の人間であっても同じ事だ。いや、それ以前に彼女は彼等に絶対に逆らえない理由があるのだが……


「う……!」


 彼女は自らの頭の中を無遠慮に覗かれる・・・・感触に、恐怖と吐き気を同時に催した。これに慣れる事など絶対に出来ないだろう。しばらく不快な侵害の時間が過ぎた後、ようやく彼女の頭の中をかき乱す圧力が消えた。彼女はガクッとベンチにもたれかかって大きく息を吐いた。



「……こんな小娘が大統領府のエージェントだと? CIAを切ったウォーカーの雌狐は余程人材不足らしい。そしてやはり我々の存在は掴んでおらんようだな。お前もよく奴等に余計な事を喋らなかったな。褒めてやろう」


「……マリッサは? 娘と孫達は無事なんでしょうね?」


 上から目線で傲慢に褒められる屈辱に、しかしイザベラは唇を噛み締めて気になっている事を尋ねる。後ろで男が嘲笑する気配があった。


「安心しろ。我々の『ゲストハウス』で丁重にもてなしている。お前は例の法案を上院で可決させる事だけを考えていろ。法案が成立したのち、お前が余計な事を仕出かさんと確信を得たら返してやる」


「くっ……」


 安心しろと言われても相手と違って彼女には男の言葉が真実だと確証を得る方法がないのだ。安心できる訳がない。だがそれでも彼女は男の言葉を信用する以外に選択肢がなかった。



「さて、お前から得たい情報は得られたのでもう用はない。10秒間、そのまま前を向いて座っていろ。振り向いたら『ゲスト』達に新しいレクリエーション・・・・・・・・を体験してもらう事になる」


「……! ま、待って……!」


 イザベラは前を向いたまま男に呼びかけるが、もう返答はなかった。怖いので念の為きっかり10秒間数えてから、彼女はようやく後ろを振り返った。しかしそこには既に誰の姿もなく、ただ反対を向いた無人のベンチがあるだけだった。


「…………」


 イザベラは大きく嘆息すると力なく立ち上がり、家に帰るべくトボトボと歩き出すのだった。



*****



「……イザベラが帰るぞ。といってももう彼女を追跡する理由はなさそうだが」


 レンタカーを運転しながらアダムが呟く。彼とリキョウの実況・・によって、ビアンカはまるでイザベラの代わりにそこに居たかのように細かい状況を把握する事が出来ていた。そのリキョウが補足する。


「彼女には前を向かせたままでしたが、当然虹鱗は相手の顔をしっかり見ています。私には白人の人種の判別は付けにくいですが、あのロシア訛りの英語からしても間違いなくロシア人でしょうね」


 エマから話を聞いた時の推測が当たっていたようだ。しかし気になる事もあった。


「ねぇ……イザベラの頭の中を『直接読み取る』ってどういう事かしら? 彼女は口に出しては私達の事を話さなかったのよね? なのにその男はまるであのやり取りを見ていたように把握してた……」


「そう……ですね。それは私にも不可解でした。彼女は確実に何も喋っていませんし、メモやスマホを見せたりなどもしていません。あの男も特にそういった媒体を確認している様子はありませんでした」


 リキョウも首を傾げている。悪魔や神仙でもそのような事は出来ないはずだ。相手の頭の中を直接読み取るなんて、まるで映画やコミックなどフィクションの中に出てくるテレパシーなどの超能力を彷彿とさせた。


「……! 超能力……ロシア人……。まさか……」


「アダム? 何か心当たりがあるの?」


 何かに気づいた様子のアダムの反応が気になったビアンカが問いかけると、彼はやや自信なさげではあるが頷いた。



「無論まだ確定ではないが、もしかしてという情報ならある。およそ数年前からロシアではウラジスラフ・ミハイロフ大統領の元、人工的に超能力者を作り出す・・・・研究が行われているらしいという情報を国防総省が掴んでいる」



「つ、作り出す!? 超能力者を? そんな事できるの?」


 ビアンカが思わず口を挟んでしまう。隣ではリキョウも少し目を見開いている。


「米軍でも似たような研究は行われたが、ついぞ一度も実用に足る成果はなかった。だがどうも数年前、ロシアはその研究を始めるための何らかの切欠・・を手に入れていたらしい」


「切欠、ですって?」


「想像がつくと思うがロシアの中枢部の防諜体制は極めて厳重で、詳細な情報を得る事は国防総省でも適わなかった。だがほぼ間違いないという推測なら既に付いている。……生まれながらの天然・・の超能力者、その生きたサンプル・・・・・・・を確保する事にロシアは成功したのだ」


「……!!」


 生きたサンプル。天然の超能力者……つまりは人間・・を研究材料に使ったという事か。ビアンカの脳裏に嫌な想像が浮かび上がる。


「……中国も人の事は言えませんが、ロシアも相当の独裁国家ですからね。その『研究』とやらが秘匿されている事から考えても、被検体となった人物の扱いは到底人道的とは言い難い物なのでしょうね」


 リキョウも同じ想像をしたらしく眉をひそめている。因みに中国は神仙という存在がいるお陰か神仙の育成や訓練には熱心でも、それ以外にサイボーグや超能力者などといった人工的な超人を作り出そうというような研究に予算は割かれていなかったらしい。


「恐らくお前達が想像している通りだ。被検体となったと思われる人物はこの数年間に渡って非人道的な扱いを受け続けているものと推測される。だがアメリカとしても確たる証拠を掴む事は出来ていないので、それを糾弾する事は立場上不可能なのだ」


「…………」


 ビアンカは顔も名前も知らないその人物に深い同情の念を抱いた。叶う事ならば何とか助けてやりたいとも思うが、遠いロシアで秘匿されているであろう人物に対しては何も出来ない。



「……まあそういう事情で、その研究の成果によってはロシアが人造の超能力者達を有していたとしてもおかしくはない。そして先のイザベラとのやり取りを見る限りその研究は成功していた、という事なのかも知れんな」


 それはより直近の問題であった。こういう場合は基本的に最悪のケースを想定して動いた方が良い。ロシアは非公式の超能力部隊を保有しており、それが今回の案件の裏で暗躍している可能性が高いと想定しておくべきだ。


「そしてそんな剣呑な連中が……どうやらブルーメンタール氏の家族・・を人質に取って脅しているようですね。恐らく他の有力な議員達も同様の人質が取られているのでしょう」


「……!」


 そうだ。それもまた重要な情報だ。古典的な手段ではあるが、古典的という事はそれだけ古今東西で用いられてきた有用な手段という事でもある。そしてアダムの推測が正しければ、相手は警察の手に負えるような連中ではない。下手な事をすれば人質の身に危険が及ぶだけだ。イザベラもそれが解っているから何も出来ずにいるのだろう。


「あの男が言ってた『ゲストハウス』って何の事かしら? そこに人質がいるとして、どうやってその場所を探せば……」


 何の手がかりもない上にこの連中の用心深さを考えれば、その場所を突き止めるのは至難の業だろう。だが人質を救出してこのロシア人達の陰謀を止めない限り、今回の法案可決を阻止する事は出来ない。



 行き詰まった状況にビアンカが嘆息すると、何故かアダムとリキョウが共に顔を見合わせてから苦笑した。


「え、何なの2人とも?」


「ビアンカ……俺達がその事態を予測していないはずがないだろう? 俺のマイクロセンサーは半自律型と言ったはずだな? 当然既に追跡対象・・・・はイザベラからそのロシア人に移してある」 


「……!」


「虹鱗も同様です。既にその男に乗り移って張り付かせてありますので、このまま彼等の『ゲストハウス』とやらに案内してもらうとしましょう。上手く行けば人質の監禁場所やその人数なども解るかも知れません」


 リキョウも自信たっぷりに請け負う。ビアンカは改めて思い出した。超能力者であるらしいそのロシア人達は勿論脅威だが、こちらにも彼等の想像がつかないような超人・・達がいるのだという事を。


 そしてそんな2人の能力と態度にこの上ない頼もしさを感じるのであった。

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