Episode6:炙り出し作戦

 イザベラ上院議長の自宅はエマとは反対側に、アンカレジ北部にある住宅街の一角にあった。これより更に北に進むと件のエルメンドルフ空軍基地が存在している。それよりも先はアラスカの広大な原野がどこまでも広がっている。


 こちらの住宅街も高級住宅地のようで、森の中に埋没するように家々が立ち並んでおり、家と家の距離は結構離れている上に森の木々が塀代わりに家同士を遮っている。


「ふーん、良い所じゃない。アラスカっていうとだだっ広くて寒いイメージしかなかったけど、とても静かで落ち着いた所なのね。空気も澄んでて、プライベートもきっちり確保できそうだし」


 ビアンカは住宅街の道路を走りながら車窓から静謐な風景を眺めて呟いた。都会暮らしの彼女としては暮らすには静かすぎる気もしたが、別荘などを建てる分には良いかも知れないと思った。勿論このアンカレジはアラスカ一の都市なので、中心部のダウンタウンに行けばそれなりに発展してはいるのだが。


 だがそんなビアンカの感想とは裏腹に、車を運転しているアダムはその厳めしい顔を更にしかめていた。


「……気に入らんな。人口密度が低い上に死角が多すぎる。良からぬ連中が悪事を実行するには最適の立地条件だ」


 軍人らしくそんな事が気になるようだ。だが同乗しているリキョウもそれに賛同するように頷いている。


「確かに。今は状況が状況ですからね。念の為急いだ方が良いかも知れません」


 どうやら能天気な観光気分はビアンカだけだったようだ。もしかしたら事態は彼女が思っているようにも切迫しているのかも知れない。



 その後数分ほど車を走らせると、やがて目的の場所に着いた。かなり古い佇まいの立派な邸宅であった。これがイザベラ上院議長の自宅であるらしい。 


 車を止めて降りる一行。今度はエマの時のように先客がいて何かトラブルが発生しているという事も無く静かなものであった。敷地を確認するとイザベラの物と思われる車もあったので在宅しているようだ。一応エマの方から事前にビアンカ達(大統領府のエージェント)が訪問すると伝えてくれてあるはずなので問題ないとは思うが。


 インターホンを鳴らすとすぐに応答があった。


『……どちら様?』


「ルース上院議員からご連絡があったと思いますが、DCから来たカッサーニと申します。他に2人のSPがいます」


 インターホンから警戒するような口調の女性の声が響いたので、包み隠す事無く名乗るビアンカ。するとしばらく躊躇ったような気配の後、物音がして玄関の扉が開いた。


 中から60を少し過ぎたくらいと思われる初老の白人女性が出てきた。実年齢より若々しいパンツルックのこの女性がアラスカ州上院議長のイザベラ・ブルーメンタールのようだ。州知事がお飾りである以上、実質的にはこの女性がアラスカ州のトップと言っても過言ではない。


 だがそんな一つの州に君臨している『女帝』に相応しいエネルギッシュさは感じられず、代わりにその顔には深い憂慮と心労が浮かんでいるように見えた。


「……確かにエマから話はあったけど、あなた達がホワイトハウスから派遣されたエージェントなの?」


 こちらに胡乱な目を向けるイザベラ。もうこういう反応は慣れたものなのでビアンカも特に気にすることなくにっこりと頷いた。


「ええ、間違いありません。ビアンカ・カッサーニと申します。こちらは同僚兼SPのグラントとレンです。宜しく」


「……まあいいわ。あまり人目に付きたくないの。早く入って頂戴」


 イザベラは周囲の目を気にしながら素早くビアンカ達を招き入れた。家に入ってすぐの所の応接間に通されて、そこで向き合って座る。




「さて、議長。ルース議員からお電話があったという事で、私達が何の用事で訪ねたかはご存知ですね?」


 ビアンカが口火を切ると、イザベラは顔を顰めつつ目を逸らした。


「勿論解ってるわよ。あの馬鹿げた・・・・法案の件でしょ」


「ほう、馬鹿げた、ですか。そう思っていらっしゃるという事は、例の法案が上院で可決される心配はないと思ってよいという事ですか?」


 リキョウがどんな言い逃れも許さないとばかりに視線を鋭くして問い掛ける。イザベラが少し顔を引きつらせる。


「それは……審議の結果次第よ。私には何とも言えないわ。議会には時として大局的な視野での判断が求められる事もあるし」


 このような歯切れの悪い言い方をする事自体、彼女がこの法案を断固として拒否するつもりがないという事実の表れであろう。


「大局的な判断? 自国のエネルギー採掘権を外国……しかもロシアの企業に売り渡す事がか? アメリカはいつから自前ではエネルギーの採掘も出来ない後進国に成り下がった?」


 アダムが声を低めて糾弾に近い口調になる。あきらかな無礼だというのに、イザベラは何か後ろめたい事でもあるのか、唇をかみしめてまた目を逸らした。


 エマの話によると州下院の議員たちもこの話題を露骨に避けていたとの事だ。やはり何か裏があるのは間違いないようだ。


「議長、これはアメリカの国家安全保障上、極めて重大な影響を及ぼす可能性のある法案です。何か……この法案に賛成せざるを得ない・・・・・・・事情があるならお教え頂きたく思います」


「……!」


 ビアンカが踏み込むとイザベラは一瞬目を見開いて動揺したものの、すぐに気を取り直して固く口を引き結んでしまう。


「……何の事を言ってるのか全く分からないわね。法案の審議に関して第三者からの強要は受けないわ。例え大統領であったとしてもね。話がそれだけならもう帰って頂戴」


 頑なな態度にこれ以上追及しても無駄だとビアンカは判断した。そしてアダムとリキョウを振り返ると彼等も無言で頷き返した。


「解りました、ブルーメンタール議長。今日の所はこれで失礼させて頂きますが、また何か思い出したらいつでもご連絡下さい」


「何も思い出す事なんてないから無駄よ。さあ、出て行って」


 連絡先を受け取る事も拒否され、半ば追い出されるような形でイザベラの自宅を出るビアンカ達。3人はそのまま無言で車まで戻る。




「ふぅ……まあ予想通り・・・・だったわね」


 そして車に乗り込むとビアンカは息を吐いて口の端を吊り上げた。実はここに来るまでの間に予め作戦・・は立ててあった。正直イザベラがすんなりとビアンカ達に事情を話してくれるとは最初から思っていなかった。


 そんなに簡単に誰かに話せる事情なら、エマがもっと詳しい情報を他の議員から聞き出せていただろう。


「ええ、これで大統領府から接触を受けたブルーメンタール氏は確実に何らかのアクションを起こす、もしくは起こされる・・・・・でしょうね」


 リキョウが自信ありげに請け負う。


「そうね。議長や他の議員たちを脅している・・・・・連中のアクションがね」



 ビアンカ達の目的は最初からイザベラへの事情聴取ではなく、大統領府のエージェントを名乗って堂々と彼女に接触する事によって、彼女の背後にいる存在・・・・・・・を炙り出す事にあった。


 イザベラがその連中と自分からコンタクトを取る、もしくはその連中の方からイザベラに何らかの形でコンタクトしてくるでもいい。そこで尻尾を掴んで、可能ならその連中の正体と目的、拠点としている場所などを突き止められれば万々歳だ。


 勿論そんな連中の事、相当に警戒しているものと思われるので、尻尾を掴むと言っても容易ではないだろう。下手に尾行したり盗聴器などを仕掛けてそれが露見したりしたら、余計に警戒されて全て台無しになってしまう可能性がある。普通・・であれば。


 だがここには色々な意味で普通ではない存在が2人もいる。



「首尾はどうだった? 上手くいった?」


 ビアンカが確認するとアダムもリキョウも当然のように首肯した。


「ああ。彼女の家の固定電話及び携帯電話に半自律型マイクロセンサーを取り付けた。どんな言語も音声も一瞬で解析できる。相手先の電話番号や発信元に至るまでな。勿論携帯電話の位置情報も随時追跡可能だ。このセンサーは既存のあらゆる機器による探知や妨害電波を一切受け付けないので絶対に察知される危険はない」


「同じく。一時的に虹鱗をあなたから離して、ブルーメンタール氏に張り付けてあります。ご存知のように虹鱗は私と感覚を共有していますので、彼女が誰かと会えばその相手の顔は私に筒抜けです。そしてやはりご存知のように虹鱗は隠密に徹していれば上級悪魔にさえ察知されませんので安心です」


 どうやら計画通りに進んでいるようだ。あの短い聴取の間に、計画を知っているビアンカも全く気付かない内に仕掛けを済ませている手際は流石という他ない。ましてや何も知らないイザベラには100%気付かれていないだろう。そしてどうやら2人の口ぶりから、イザベラの背後にいる何者かにも気付かれる心配はなさそうだ。



「いいわね。それじゃその時・・・が来るまでは待機ね。何だか刑事の張り込みみたいね?」


 不謹慎ながらちょっとウキウキした様子になるビアンカだったが、アダムが苦笑しながらかぶりを振った。


「張り込みのように近くで待機していたら見咎められて怪しまれる可能性がある。相手はどんな奴等でどれくらい警戒しているのかも不明だからな。それでは俺達の仕込み・・・の意味が無くなってしまう」


「あ……」


 指摘されてその事に思い至ったビアンカ。どうやらまだまだ自覚が足りていなかったようだ。


「私達の能力なら離れていても察知や追跡が可能ですからね。むしろ怪しまれないようこの場からはさっさと離れた方が良いでしょう。後はなるべく自然に行動していましょう。そうですね……時刻もお昼を過ぎた所ですし、どこか適当な店で昼食でも摂りましょうか」


 リキョウにもそう促されたので、刑事ドラマの真似事をしたかったビアンカとしてはちょっと残念ではあったが、確かに少しお腹も空いてきていたので、彼の勧めに従って遅めのランチを摂るべく街の中心部へと戻っていくのであった。 

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