Episode22:欺瞞の同盟
「あ、ありがと……」
ビアンカは赤面してもごもごとお礼を言いつつ、慌ててリキョウの腕から降りた。
「いえいえ、どういたしまして。何でしたらもう少しそのままでも宜しかったのですよ?」
「い、いや、本当に大丈夫だから。……おほん! それで、これがヴァーチャーなのかしら?」
冗談なのか本気なのか判別が付かない口調と表情のリキョウから赤面して目を逸らしたビアンカは、それを誤魔化すように(といっても本来は最重要の案件なのだが)ホールの奥のフロアに目を向けた。
そこには黒いシートを被せられた大量の機材が立ち並んでいた。リキョウに
「……! 前に見た【パワー】の現物に近いな。間違いねぇ。こいつが【ヴァーチャー】だ」
人の背丈くらいの高さの細長い機械。これに投票用紙を読み込ませて集計するのだろう。流石に機種名の表記はなかったが、天使の翼を模したマークのロゴがプリントされていた。
「……何と言っても票数が膨大ですから、集計に機械の力を借りようという動きが出るのは致し方ありません。中国はそこに付け込んだのですね。本当の意味で完全に安心でクリーンなハードとソフトが出来なければ、投票機に関する問題はまたいつか浮上するでしょうね」
「…………」
ビアンカは何となく悲しくなった。選挙とは民主主義の根幹を成すものであるはずだ。それが崩れてしまったらアメリカは最早民主主義の国ではない、自由の国ではなくなってしまうのだ。
民主主義を汚す卑劣な工作に対して悲しみと、そして怒りを感じた。
「ま、とはいえ今回は未然に防げたんだ。こいつを白日の下に晒す意義はデカいぜ。寝ぼけてる国民共もこれで少しは真剣に選挙ってものに関心を持つだろうしな。国民の関心や世論が動けばカバールや中国だって、そうそう今までのように好き勝手は出来なくなる」
ビアンカの内心を知ってか知らずかユリシーズの励ますような発言に、彼女も少し前向きな気持ちになり顔を上げて頷いた。
「ええ……そうね。これで少しでも世の中が良くなってくれるといいんだけど……」
ビアンカはしみじみと呟く。リキョウが手を叩いた。
「さあ、証拠現場は確保できました。後はCIAやFBIに嗅ぎ付けられる前に大統領府に連絡してこの場所を改めてもらうとしましょうか。現物以外にも色々と面白い証拠が出てきそうですね。例えば……知事や州務長官らが中国と癒着して、このヴァーチャー搬入を許可した文書などの証拠が」
リキョウが再び薄く笑う。そうなれば中国が買収した高官らは逮捕や更迭を免れず、中国とカバールの企みは完全に失敗に終わる事になる。
「さて……これで我々の任務はほぼ完了です。……晴れてビアンカ嬢との
「え……や、約束?」
ビアンカは目を瞬かせる。リキョウは少し悪戯っぽい雰囲気で片目を瞑る。
「おや、お忘れですか? この街に来る途上で任務を完了させた後の
「この街に来る途中…………あっ!」
ビアンカは思い出して目を見開いた。途上の車の中で、無事に任務が終わったらデートするだの何だの……
「あ、あれは、その……」
「当然期待して良いのですよね? 私はそれを楽しみにここまで頑張ってきたのですから。まさかビアンカ嬢ともあろうお人が、その場しのぎの口約束などされるはずもありませんし」
「う、うう……!」
ビアンカの慌てぶりを解っていながら敢えて畳み掛けるように主張してくるリキョウに、彼女は何も言えずに唸る。確かに一度した約束を破るような事は彼女のプライドが許さない。それにリキョウが今回の任務に果たしてくれた役割は非常に大きいのも事実だ。
「わ、分かったわ。でも……デートだけよ?
ビアンカは折れた。リキョウの事を憎からず思っているのは確かだし、デートくらいであれば全く問題はなかった。
「勿論ですとも。望まない女性に対して何かを強要する事は一切致しません。私も一足飛びにあなたとの関係を急ぐ気はありませんからご安心下さい。こういった事は長くゆっくりと楽しまなくては」
リキョウは全く構わない様子で上機嫌に頷いた。とりあえずこれで彼とのデートは決定した訳だが
……
「……おい、俺には何か無いのか?」
するとユリシーズが低い声で訪ねてくる。究極に不機嫌そうな顔をしている。
「頑張ったのは俺も同じなんだがな? あー、あのアモンにやられた傷が痛ぇぜ」
実際に傷だらけの身体ではあるが、わざとらしく顔をしかめて痛がるユリシーズ。ビアンカは少し眉を上げて彼を見る。
「え? ああ、そうね。ありがとう、助かったわ。あなたもご苦労さま」
それだけ言ってやると彼は僅かにつんのめった。
「おい! それだけかよ!」
「ユリシーズ君、あなたは本来SPが本職でしょう? つまりただ職務を遂行しただけです。SPが警護対象に報酬をねだるのですか?」
「……っ! ぬ……」
リキョウが冷静に指摘すると、正論であるだけにユリシーズは言葉に詰まって唸る。
「それに……私はビアンカ嬢とデートを楽しむ訳ですが、そこに横槍を入れるという事はあなたも彼女とデートをしたいという事ですか?」
「……!!」
ストレートに問われユリシーズは再び言葉に詰まった。ビアンカは何となく息を呑んで彼を見つめた。彼からはっきりと言葉に出して伝えられた事はない。もしかしてと思う事は何度かあったが、自分の自意識過剰ではないかとこちらから問うのは怖かった。
「ぬ……ぐ、く…………ちっ! 勝手にしろっ! 俺はちょっと外の様子を見てくるぜ」
進退窮まったユリシーズは舌打ちすると顔を逸らして、そのまま講堂から出ていってしまう。その後ろ姿を見送ってビアンカは盛大に溜息をついた。悲しいような、それでいてどこかホッとしたような複雑な気分であった。
あそこで彼が明確な回答をしていたら、それがどんな答えであれ今まで通りの関係ではいられなくなる。何故かそんな予感があった。ユリシーズが明言を避けた事に胸を撫で下ろしている自分がいる事を、ビアンカは心の中で自覚していた。
こうしてアトランタにおけるビアンカ達の任務は無事に完了した。大統領府から派遣されてきたエージェント達はこの講堂を確保し全ての証拠を洗い出す事で、この投票機が大統領令で禁止されているグローバルマティック社の製品である事、そしてシンプソン知事や州務長官を始めとする州や郡の高官達が中国から買収や脅迫を受けて、ヴァーチャーの導入を黙認していた事などの確証を得るに至った。
これは大きなスキャンダルとなり、知事を始め関わった殆どの高官が更迭や逮捕の憂き目に遭う事となった。ビアンカ達は中国統一党の恐るべき企みを未然に防ぐ事に成功したのであった。
*****
アトランタを代表する大企業の一つであり、全米でも屈指の視聴率と世界的なネットワークを誇る大手ニュースメディア『BNN』。この日はそのBNNの数ある番組の中でもトップクラスの視聴率である花形ニュース番組『ザ・デラックスルーム』の収録日であった。
「……という訳でシンプソン知事は"ライオネス"ウォーカー大統領を本気で怒らせてしまったという訳だね。グローバルマティック社の製品は彼女が大統領令まで出して禁止してる代物。私に逆らう奴は許さないと言わんばかりの今回の苛烈な粛清劇。いやー、怒れる雌獅子には逆らわない方が無難だね。迂闊に前に出ただけで食べられちゃうからね!」
アンカーであるルパート・ケネディによる、自国の大統領に対しての敬意が全く感じられない戯けたトークにスタジオから笑い声が巻き起こる。
この『ザ・デラックスルーム』は彼の毒舌とユーモア混じりのニュースや時事問題解説で絶大な人気を博す番組であった。時に様々なゲストを呼んでの丁々発止のやり取りも人気の一端であった。
そしていつものように番組の収録を終えたルパートがスタジオを後にして専用の控室に戻ると、彼専用であるはずのその部屋に1人の若い男性が椅子に座っていた。ルパートが部屋に入ってくるとその男性が立ち上がった。
「やあ、ルパートさん、いえ……
「ふん……
ルパートはその青年……ヴィクターが自分の控室にいる事に何ら驚きも見せずに、自分のお気に入りのソファに身を預ける。
「はは、それは勘弁願いますよ。でも今回の件で僕が役に立つ事が分かったでしょう? あなたと僕の目的は一致している。今後も協力し合えると思うんですが?」
「ふん、確かにね。最後にちょっとだけ不愉快な思いもしたけど、それ以外はとても上手く行った。目障りだったバルバトスもアモンも死んだ。僕の手を汚す事なく、ね。今のところ君は
ルパートが鼻を鳴らす。今回この
ヴィクターは彼が教えたヴァーチャー計画の全容を上手く『エンジェルハート』達に伝達し、結果として中国人共の企みを潰しつつアモンとバルバトスの排除まで叶った。これで彼の野心は大きく前進する事となった。
「では……僕達
ヴィクターが
「ああ、また何か頼みたい事があれば連絡するよ。君も何か面白い話があれば報せてくれると嬉しいね」
「お約束しますよ」
ヴィクターも笑顔で頷く。表面上はにこやかに握手をしながらルパートはどうやってこいつを散々利用した挙げ句、最終的に切り捨てるかの算段を立てていた。
しかし欺瞞に満ちた盟約を結び控室を辞したヴィクターの顔もまた、酷薄な嘲笑に歪んでいた事をルパートは知らなかった……
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