Location4 アンカレジ

Episode1:超能力少年

 それは今から数年前、まだが8歳になって間もないくらいの頃だった。ロシア北西部にあるレニングラード州の片田舎。林業と農業を生業とする小さな村が彼の世界の全てであった。


 ある日の日中の事。いつものようにこの村に住む同年代の子供たちが集まって広場で遊んでいた。


 この日は全員で陣取り合戦的な遊びが行われていた。二つのチームに分かれて、決められた「本拠地」を占領した方が勝ちだ。しかしその途中で起こる「戦い」については、棒を使って相手を叩いたり石を投げたり、どんな妨害も自由という意外と荒っぽいルールだ。勿論当の子供たちにその自覚は無かったが。



 彼――イリヤは一方のチームに入れられていたが、明らかに彼のいるチームは年齢が下だったり体格的に虚弱な少年ばかりで不利であった。これは偶然ではない。この村の少年たちのリーダー格であるアンドレイの意図によるものだ。


 そしてアンドレイが何故そんな事をするのかの理由もイリヤには解っていた。解っていたが、それに対してどうする事も出来ないのが憂鬱だった。


 そしてゲームが始まると、彼の予想通りの状況となった。体格や年齢で勝るアンドレイのチームは相手側の少年たちを容易く蹴散らして自分達のゴールを守る。そのままこちらのゴールを占領するのは容易いはずなのに、ワザとそれをせずにアンドレイと彼の取り巻き数人がイリヤを取り囲む。


「イリヤ、お前生意気なんだよ!」


「……!」


 アンドレイに木の棒で打ち据えられる。痛みで彼は怯む。そこに取り巻き達も思い思いに拳や蹴りなどで攻撃してくる。


「ちょっと顔が良いからって女子にちやほやされやがって! 調子乗ってんじゃねぇぞ!」


 それはある意味でまだ10歳にもならない子供だからこその、取り繕う事も無い剥き出しの嫉妬。


「この前オリガと2人で会ってただろ! 何話したんだ! 言えよ!」


 叩く力が一段と強くなる。イリヤはこの遊びの振りをした私刑の理由を悟った。オリガはこの村どころか近くの町まで含めて一番の美少女であり、村の少年たち全員の憧れの的であった。



「おい、こいつを押さえろ! オリガが二度と会いたくなくなる顔にしてやる!」


「……っ!」


 アンドレイが取り巻きに命令する内容に本能的な危機感を覚えて、その場から逃げようとする。しかしその前に複数の少年たちに取り押さえられてしまう。必死で暴れるが逃げられない。


「これでその綺麗な頬っぺたをザックリ切ってやるよ。きっと傷が一生残るぞ?」


 アンドレイは木の棒を尖らせた先端をイリヤの顔に近付ける。まだほんの子供だけに無邪気であり、傷害事件となるだろう事の重大さを理解していなかった。彼等は無垢であり、そして残酷であった。


 抵抗できない状況で傷害を受ける恐怖。いや、加減を知らない子供たちは興奮状態にあり、下手をすると加減を間違えて殺してしまう可能性さえあった。少なくとも早熟とはいえ自身も子供であるイリヤは激しい恐怖と命の危険を感じた。



 もう限界だった。親には止められて・・・・・・・・いたが、自分の命には替えられない。



「やめろぉぉっ!!」


「……っ!? な、なんだ!?」


 イリヤの身体から何か目に見えない圧力のような物が噴き上がる。アンドレイや取り巻き達がその力に押されて一斉に弾き飛ばされる。何が起きたのか解らずにイリヤに視線を戻した彼等の目が……更なる驚愕に見開かれる。


「お、お前……なんだよ、それ」


 大きな石塊や木の枝、遊具、それに廃材。それらが宙に浮かんでいた・・・・・・・・。それも明らかに立ち上がったイリヤを中心にして浮遊しているのだ。勿論イリヤが手で持っている訳ではない。そもそも手で持てるような数でも重さでもない。


「お……お……」


「何で……僕を放っておいてくれなかったんだよ」


 彼が手を掲げると、それに合わせて浮遊している物体が動いた。それは明らかにイリヤが自分の意思・・・・・でこの現象を操っている事を示していた。


「ひ、ひぃぃ! ば、化け……化け物……」


 アンドレイや取り巻き達は腰を抜かして這いつくばって逃げようとする。彼等だけでなくその場にいた全員がイリヤに恐怖していた。無様に逃げるアンドレイ達を見て、イリヤの中に昏い嗜虐心のような感情が芽生える。


「おい、待てよ。どこ行くんだ? 一緒に遊ぼうよ」


「……っ! ひっ……」


 アンドレイや取り巻き達の身体も宙に浮かび上がる。彼等がどれだけ恐怖に引き攣って逃げようとしても、イリヤの『力』がそれを許さない。泣き叫ぶ少年たちを見てイリヤは、今まで我慢していた事が馬鹿馬鹿しくなった。もっと早くこうしていればよかったのだ。


 彼が昏い悦びのまま、『力』で少年たちを拷問・・しようとした時…… 



「イ、イリヤ……何やってるの? それ、何なの……?」



「……!! オリガ……!?」


 聞き覚えのある声にイリヤは硬直する。広場の前の通りをオリガが偶々通りかかったのである。そして彼女はイリヤの『力』を見てしまった。彼女の綺麗な顔が信じられない物を見た驚愕で歪んでいる。


 イリヤは動揺から『力』を解除する。アンドレイ達と廃材などの物体が同時に地面に落ちる。


「ひぃぃ!! た、助けて! ママぁぁ!!」


 恐怖から解放された少年たちが広場から這う這うの体で逃げ出していく。しかしイリヤはそれに追い打ちを掛ける事はなかった。彼の目と意識はオリガに集中していた。


「オ、オリ――」


「ひっ!? こ、来ないで、化け物・・・!」


「っ!!」


 イリヤは頭をハンマーで殴られたような衝撃に硬直した。その隙にオリガも身を翻して駆け去って行った。イリヤは呆然としたままその背中を見送るのだった……




*****




 小さな村の事だ。すぐに噂は広まり、悪魔の子として怖れられたイリヤとその両親は村から出て行かざるを得なくなる。だが一度『力』を解放してしまったイリヤは力の制御が難しくなり、転居先でも度々トラブルを起こすようになる。そしてまた転居……


 そんな生活がしばらく続いた後……


 何度目かの転居先のアパート。イリヤたちが住む部屋に誰か訪問者があったようで、両親が応対に出ていた。訪問者は黒い背広姿の男達で、今までのようなイリヤを糾弾する住民達の苦情とは違うようだ。


 男達と話しながら両親は何度か彼の方を振り向いた。そして悲しげな表情でかぶりを振っていた。両親は男達から何か分厚い封筒のような物を受け取っていた。



「……済まない、イリヤ、父さん達はもう疲れたんだ。私と母さんをお前から解放・・してくれ」



「……え?」


 父が何を言っているのかを理解する前に、首筋にチクっとした痛みを感じた。黒服の男達の1人が部屋に上がり込んでイリヤにを向けていた。その銃から発射された何かが彼の首筋に当たったらしい。


「……!! 何するんだ、お前達!!」


 転居生活ですっかり心が荒んでいたイリヤは、男に何か攻撃・・された事を悟って、凶悪に目を吊り上げて『力』を開放する。


「……っ!?」


 だがすぐに身体が思うように動かない事に気付いて驚愕する。同時に意識が急速に遠のいていく。子供の浅い知識でも何か麻酔銃のような物を打たれたのだと解った。


(な……何で、僕が……こんな目に……)


 薄れゆく意識の中で少年は世の理不尽さを呪う。最後に彼の脳裏に浮かんだのは、何故か故郷の村で彼に嫌悪の表情を向けるオリガの顔であった。




*****




「……閣下・・、被験体が目覚めました」


 男の声、そして光を感じた。イリヤが目を覚ますと、そこは全く見知らぬ四方を金属の壁に覆われた無機質な空間であった。いや、一面にだけガラス張りの大きな窓が付いていた。


 そのガラスの向こうに何人かの男達が立っていて、イリヤの事を見下ろしていた。イリヤは身体を動かそうとして、自分が何か大仰な椅子のような物に座らされている事に気付いた。手足はその椅子の脚や肘掛けにベルトで固定されていて動かせない。ついでに頭にも何か大きなヘルメットのような物を被らされていた。


 まるっきり実験動物か何かのような扱いだ。怒りと屈辱を感じたイリヤは『力』でその椅子の拘束を解こうとする。だが……


「……っ!?」


 彼が『力』を使おうとすると頭のヘルメットが激しく明滅して彼に凄まじい苦痛を与えてくる。とても『力』を使う為の集中を維持できずにイリヤは激しく喘いだ。



「ふむ……どうやらESP・・・の兆候に反応して作動する制御装置は成功のようだな。よくやったぞ、ユリー君」


「ありがとうございます、閣下」


 こちらを見下ろす男達の中央にいる風格のある壮年男性が白衣と眼鏡の男性を褒めると、白衣の男は畏まったように恐縮した。中央の男はかなり偉い人間らしい。イリヤの視線を感じたのか、中央の男が再びこちらを見下ろしてくる。


「やあ、気分はどうかね、イリヤ・スミルノフ君。少々居心地が悪い状態なのは許してくれ給え。君の『力』……ESP超能力の事を考えると、そのまま野放しという訳に行かないのは分かってもらえるね?」


「お……お前達は、誰だ! 僕をどうするつもりだ!?」


 イリヤは苦痛と恐怖に苛まれながら精一杯虚勢を張る。しかしそんな物は目の前の男にはお見通しのようだ。



「ふむ、その疑問は尤もだ。君くらいの年齢だと私の顔を見たことがない、もしくは憶えていないとしても仕方がない事だ。私はウラジスラフ・ミハイロフ。このロシアの大統領・・・だ。これだけで我々が何者かは分かってもらえるだろう?」



「……!!」


 イリヤは目を瞠った。若干8歳の少年とはいえ早熟だった事もあり、勿論大統領という存在自体は知っていた。要はこの国で一番偉い人間だ。


 その大統領が自分をこんな目に遭わせている。つまりこれはロシアという『国』がやっている事なのだ。イリヤはそれを悟って絶望した。



「ふむ、中々聡い子のようで助かるよ。それで君をどうするつもりなのかという問いだが……我々は君の『力』が欲しいのだよ」


「……!」


「と言っても君だけに協力してもらった所で高が知れている。君が生まれながらに持っているその『力』を解析し……そしてそれを他の人間・・・・にも使える形でコピーさせてもらいたいのだよ。君と同じ『力』を持つ人間達によるESP部隊・・・・・を作る為に、ね」


「な……」


 イリヤは絶句してしまう。彼のような『力』を持つ人を大勢作る。ミハイロフ大統領はそう言っているのだ。おそらくそれを自分やロシアのために利用する気なのだろう。


「そ、そんな事……そんな事の為に僕を!? く、狂ってる……!」


「そんな事とは酷いな。それに君はあのままだとどこにも定住できなくてやがてもっと大きな事件を起こして人々を不幸にした事だろう。挙げ句に実の親にも売られたんだ。君のような不幸な子供をこれ以上作らない為にも協力してもらえるね?」


「……っ!」


 現実を突きつけられてイリヤの顔が青ざめる。実の両親にすら見放された彼に最早味方は誰もいなかった。ミハイロフが嗤う。


「まあそれにはっきり言えば君の同意は必要としていない。そのためにこのような大掛かりな装置を作ったのだからね。このロシアをまたあのソ連のような偉大な国家とする為の礎となれるのだ。喜んでその身を捧げ給え」



 ミハイロフが合図をすると部屋の一角がスライドして開いた。そこから何人かの男達が入ってきて、動けないイリヤを取り囲んで何かの薬品が入った注射器を彼の腕に刺す。


「い、嫌! 嫌だ、やめて! 助けて、誰かぁぁっ!!」


 泣き叫ぶ少年の願いに応える大人はこの場には誰もいなかった。全てが腐っていて、全てが狂っていた。そして……少年にとって地獄に日々が幕を開けた……


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