Episode7:目に見えぬ脅威

 アメリカ南部ジョージア州。その州都を兼ねるアトランタは南部屈指の大都市であると共に、かの南北戦争の舞台になった歴史的経緯のある街でもある。そして何よりも……


「ふぅ……ここがアトランタね。南部にはあまり来た事がなかったけど、やっぱり北部に比べて大分暖かいわね」


 ダウンタウンにあるホテルの前で降り立ったビアンカが、強い日差しに目を細めながら呟いた。ジョージア州はすぐ南がフロリダ州であり、そこを抜ければ南部カリブ海という緯度にある。その為フィラデルフィア育ちであるビアンカからすると、同じ季節であっても温暖に感じた。


 普段からかなり開放的なスタイルであるビアンカには、むしろ南部の温暖な気候の方が過ごしやすいくらいかも知れない。



暑がり・・・のお前にとっちゃ、南部の街の方が過ごしやすいんじゃねぇか?」


「……!」


 車を駐車係に預けて自身も車を降りたユリシーズがそう揶揄してきたが、彼が自分と同じ事を考えていたと解った彼女は何故か少し嬉しくなった。


「ふふ、そうかもね。でも私は逆に、あなた達が暑くないのかと思っちゃうわね」


 ユリシーズは普段の黒スーツ姿だし、リキョウもあの袖と裾の長い独特の衣装であったので、外見的にはこの街ではかなり暑苦しく見えてしまう。リキョウが苦笑した。


「神仙は『気』の力による体温調節を下仙に至るまで基礎能力として備えています。赤道直下のジャングルや砂漠、逆に北極圏のような極寒の地でも支障なく活動・・を行う為に必ず訓練させられるのです」


「そ、そうなの? それは凄いわね……」


 ビアンカが感心すると、ユリシーズが面白くなさそうに顔を顰めた。


「けっ、脆弱な人間は不便だな。俺はそもそもの耐性・・が人間とは違うから、少々の温度変化くらいで活動に支障が出たりはしないぜ」


 何故か張り合うように自己主張するユリシーズ。ビアンカも彼の性格は大分解って来ていたので肩を竦めただけだった。


「はいはい、それは凄いわね。でも脆弱な人間で『気』の力も使えない私にはちゃんと配慮してよね」


 手をヒラヒラさせてさっさとホテルの中に入っていくビアンカ。彼等と違って身体的にはあくまで普通の人間である彼女は、ワシントンDCからアトランタまでの長旅で疲れているのだ。万が一の事態を考えて極力電車や飛行機などの交通機関を利用しない事にしているので、車で移動するにはかなり長い距離であったのだ。


 正直今日はもう街に着くだけでクタクタであり、手早くシャワーだけ浴びてからベッドに潜り込みたかった。


「そうですね。街を見て回るのも仕事の話をするのも全て明日以降で問題ないでしょう。今日の所はゆっくり休んで旅の疲れを癒やすとしましょうか。明日の朝9時に部屋までお迎えに上がります」


「ええ、ありがとう、リキョウ。じゃあまた明日」


 それを察したリキョウも賛同してくれたので、まだ無駄にエネルギーの有り余っていそうなユリシーズを放って、さっさと借りている部屋に引きこもるビアンカ。


 因みに部屋は3人ともシングルで別々の部屋だ。ビアンカのシングルは当然だが、ユリシーズとリキョウは同じツインルームでも良いのではと彼女が言ったら、「それは絶対にあり得ない」と口調こそ違うが同じ意味合いの台詞で断固拒否の意向を明確に示されたので、3部屋別々に取る事になったのは余談であった。





「さて、とりあえずアトランタまでやってきた訳だけど……私達は具体的に何をすべきなのかしら?」


 翌朝。一晩ぐっすり休んで疲れを癒やしたビアンカは、大好きな朝シャワーを浴びてさっぱりした所で定刻通り迎えにきたユリシーズ達と連れ立って、ホテルの1階にあるビュッフェで朝食を摂りながら今後の指針を話し合っているのだった。


 ビアンカの問いかけにリキョウが腕を組んで頷く。


「そうですね。やはりまずは事の真偽を確かめねば始まりません。ジョージア州知事とアトランタの市長は当然として、後は州務長官も確認しておきましょう。州務長官にまで奴等の手が回っているとなれば、中国統一党がジョージア州において選挙介入を企んでいるのはほぼ間違いないという裏付けが取れますから」


 州務長官はその州内で行われる様々な選挙を管轄するのが主な役割であり、言ってみれば選挙の責任者である。それだけだと閑職のようにも聞こえるが、一口に選挙と言っても州の上院下院選挙、州知事選挙、連邦議会(国会)の上院下院選挙、そして勿論米大統領選挙と、州の管轄で実施される選挙は多岐に渡り、それらを全て監督している責任者が州務長官なのだ。


 そして州全体の規模となれば、1つの選挙の準備も1週間や2週間で出来るようなものでもない。入れ代わり立ち代わり一年中、常に何らかの選挙の準備が行われていると言っても過言ではないので、州務長官の仕事と役割は重要であり激務でもあった。


 だが逆に言えば選挙関連以外では殆ど政治的な権限はないので、州務長官に何らかの干渉が行われているとすると、それは即ち選挙への介入が目的だと容易に推察出来るという訳だ。



「後はこのアトランタが所属しているフルトン郡の郡政委員会ですね。大統領選では……まあ他の選挙もそうですが票の集計は郡単位で行われますから、ここを押さえられるとかなり大胆な選挙不正も可能となります。そしてこのフルトン郡は州内でもっとも大きな票田です。7人いる郡政委員の方も確認しておかねばなりません」


「……!」


 想像以上の話の大きさにビアンカは少し息を呑んだ。それと同時に自分達が今まで何も考えずに行っていた民主主義の根幹たる選挙というものが、実際にはこのような介入や不正の危機に晒されている事を実感してショックを感じてもいた。


 自分が今まで当たり前だと思っていた事は、全く当たり前などではなかったのだ。



「……アメリカに亡命してきてたった2年くらいだってのに、随分とこの国の選挙制度に詳しいんだな?」


 ユリシーズが目を細めて皮肉気に問い掛ける。だがリキョウは軽く受け流して肩を竦める。


「私が中国にいた頃は郭主席の政権でしたが、その頃から中国は常にアメリカへの内政干渉を目的とした様々なシミュレーション・・・・・・・・を行っていたんですよ。今の周体制になってから、増々対外的な干渉が顕著になりましたが。だから中国政府の高官クラスになると、下手なアメリカの政治家よりも余程アメリカの内情や政治システムに詳しい者もざらにいます。今そんな事を私に聞いてくるようでは、あなた方にはまだまだ危機感が足りていないようですね」


「てめぇ、何をぬけぬけと……。てめぇらがちょっかい掛けてこなきゃ済む話だろうが……!」


 ユリシーズが額に青筋を立てて身を乗り出して詰め寄る。慌てたのは同席しているビアンカだ。


「ちょ、ちょっと、やめてよ、こんな所で! ていうか今はそういう話じゃないでしょ!」


 ここでまた喧嘩でもされて話が進まなくなるのも困る。男2人に女1人の席で男同士が険悪に額を突き合わせているとなれば、周囲の下世話な興味を引き付けてしまう事請け合いだ。案の定ビュッフェにいる他の客達の中には、チラチラとこちらに視線を向けている者もいる。


 話の内容が内容であり余計な注目を引き付けたくはない事はユリシーズも解っているので、耳目を集めかねない自身の言動に気付いて舌打ちすると、素直に身を引いた。


「今のリキョウに言ってもどうにもならない事でしょ。むしろ彼は今の中国政府と対立してて、それで亡命してきてるくらいなんだから」


「ああ、解ってるよ。つい熱くなっちまった。話の腰を折って悪かったな。続けてくれ」


 ビアンカにくどくど注意されて顔を顰めたユリシーズは、降参のポーズで手をヒラヒラさせてそれ以上の文句を遮断した。ビアンカはこれ見よがしに大きく嘆息してからリキョウに向き直った。



「ごめんなさい、リキョウ。続けて頂戴。でもあなたも無駄に彼を挑発するのは控えてね?」


 ビアンカが釘を刺しつつ促すと、リキョウも頭を下げた。


「失礼いたしました、ミス・ビアンカ。ええ、あなたをこれ以上困らせたくはないので私も自重しましょう。それで話の続きですが、私の言いたい事は既に大体伝えてあります。先程挙げた要人たちに中国統一党の調略の手が伸びていないか。まずはそれを確認しましょう」


「でも、確認するって言ってもどうやって?」


 ビアンカ達は司法関係者でも何でもないので、政治家の事務所に踏み込んで強引に調査したりする権限はない。そもそも調査すると言っても何を調べればいいのか。


「確認するだけならそう難しい事ではありませんよ。カバールの悪魔達が蠢くこのアメリカで工作活動をしようと思ったら、奴等に付け込まれないように神仙……最低でも下仙である必要があります。ただの人間ではミイラ取りがミイラになりかねませんからね。相手が神仙であれば、私の方で見れば一目で解ります。そしてこのアメリカに神仙がいる事など特段の事情・・・・・を除いてはあり得ませんので、ほぼ中国統一党……すなわち周国星の手先だと判断できるという訳です」


「なるほど、それなら……」


 ただ相手を見るだけで確証が得られるなら事は簡単だ。だがここでユリシーズが(今度は真面目に)口を挟む。


「そりゃ結構な話だが、同じ事は相手側にも言えるんじゃねぇのか? 相手にもお前が神仙だって事が一発でバレて、変に警戒されるのは宜しくないぜ。奴等はカバールの悪魔どもと違って『エンジェルハート』でホイホイ釣れる訳じゃない。自分達を探ってる奴がいると警戒されたら、尻尾を掴むのも難しくなっちまうぜ」


「ふむ……その指摘は尤もですが、私も含めて神仙は基本的に自らの『気』を抑えており、戦闘などの有事以外は発散しないようにしています。その抑えられて隠された『気』を感じ取れるのは……最低でも相手と同格・・以上の神仙である必要があります」


「……! そういう事か」


 その説明だけでユリシーズは納得したように質問を引っ込めた。だがビアンカにはそれだけでは何も分からなかった。


「え……そういう事って、どういう事? 相手と同格以上じゃないとその人が神仙かどうか解らないという事よね?」


 それがつまりどういう事実に繋がるのか。彼女の疑問にユリシーズが嘆息して口を曲げると、軽くリキョウを睨みつけた。



「おい、別に勿体ぶるような事でもないし、今の内に言っておくが構わねぇよな?」


「はぁ……仕方ありませんね。本当は有事の際にいきなり披露してビアンカ嬢を驚かせたかったのですが」


 リキョウが言葉通り残念そうに嘆息する。


「いらん事考えるな。ビアンカ、こいつは上仙・・だ。つまり数千人はいる神仙の中でもトップクラスに位置するエリート様って訳だ。こいつの言ってる事が本当なら、こいつが神仙かどうか見極められるのは相手も同じ上仙だった場合だけだ」


「や、やっぱりそうだったのね」


 前にリキョウの上司である許正威が、リキョウはとある分野でトップクラスの才能の持ち主だと言っていたのを思い出した。それはこの神仙の事だったのだ。


「そういう事です。無論周国星も本国に何人かの上仙を抱えていますが、上仙はいずれも替えの効かない貴重な戦力。このような遠い異国の直接工作任務にそうそう投入しているはずがありません。いても中仙まででしょう」


 つまりリキョウが神仙だとバレて敵に警戒されてしまう心配はとりあえず無いという事か。勿論リキョウも数年前まで中国の高官だった訳なので、もしかしたら顔を知っている相手もいるかも知れない。なのでどのみち直接顔を合わせない工夫は必要になるだろうが。



 そしてとりあえずの方針を定めた一行は手早く朝食を済ませると、まずは州知事の事務所へと向かうのであった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る