Episode6:炎と氷

「中国は他国からすると国自体が透明性が低い謎めいた印象があると思いますが、その中でも特に秘匿性が高いのが国家安全部という組織です」


「国家安全部?」


 ワシントンDCを南に伸びる街道をアトランタに向かって走る一台の車。クライスラー製の頑丈そうなジープだ。その車内で同乗するリキョウの説明にビアンカは首を傾げた。


「国家安全部は複数の局に分かれていて、それぞれがアメリカで言えばDIAやNROといった各諜報組織と同様の役割を担っています。そしてその中でも特に厄介なのが対外諜報活動や工作活動を担う第九局ですね。アメリカでのCIAに相当する機関です」


「工作活動……。という事は今回も?」


 ビアンカの問いにリキョウが頷く。


「はい、まず間違いなく第九局が絡んでいるでしょうね。となれば必然的に奴等と事を構える可能性が高くなります。なので事前にある程度の情報は把握しておいた方が良いと思いましてね」


「……!」


 リキョウがあえて敵と表現するからには、そして事を構える・・・・・と言うからには、戦い・・になるかも知れないという事だ。



「その……第九局も、カバールのように悪魔と契約していたりするの?」


 ビアンカの疑問にリキョウは今度はかぶりを振った。


「悪魔はアジアには寄り付きません。アジアに流れている気脈は独特で、悪魔にとっては居心地の良い場所ではないのです。その代わりその気脈を好物とする別の魑魅魍魎が蠢いている訳ですが……。人間と同じく人外の存在にも、風土による棲み分け・・・・が存在しているのですよ」


「そ、そうなのね。でもそれなら第九局が厄介というのは……?」


「無論国家がバックについている、目的の為には手段を厭わない組織というものは、それ自体が厄介な相手ではありますが……第九局が特に厄介なのは、周主席子飼いの神仙・・達が多数在籍しているという点ですね」


「神仙?」


 また聞き慣れない新しい単語が出てきた。ビアンカは情報の把握に忙しい。


「西洋で言えば魔術師に相当するような物でしょうか。東アジアの地に流れる独特の気脈を練り上げて作り出した仙獣・・を用いて、様々な異能の力を振るう能力者達の総称です。どれだけ強力な仙獣を作れるかによって、上仙から下仙まで厳密な階級で区分けされています」



 リキョウによると【上仙】は自然災害を操る程の強力な仙獣を、それも複数作り出して異なる自然災害を操れる最上級の神仙であり、リキョウが知る限りでも極めて才能に恵まれた極少数しか存在していないらしい。


 その下の階級が【中仙】であり、単体の仙獣を従えて自然現象の一部を操る異能を行使する者達で、一芸に秀でている者が多いらしい。一般に神仙というとこの中仙階級の者を指すとの事だ。中仙はリキョウが知っているだけでも百人程は存在している。


 さらにその下には【下仙】がおり、下仙はまだ仙獣を作り出す事ができない見習い階級とでも言うべき立場で、これは数千人規模で存在しているらしい。数千人というと多く感じるが、中国の人口が約13億人と考えると充分に選ばれた才能の持ち主と言えるだろう。


 仙獣こそいないものの、神仙にとって基礎とでも言うべき『気』の力を用いた戦闘術は全員が習得しており、一般人に比べれば遥かに強靭であるらしい。



「現国家主席の周国星は『紅孩児』という精鋭の仙術部隊を擁しており、この『紅孩児』の中核を為しているのも中仙達なのです」


「……あなたもその神仙なのよね? あなたは中仙なの? それとも……上仙?」


 そう問うとリキョウの笑みが深くなった。そして隣に座るビアンカの手に自分の手を重ねると、その秀麗な面貌をグッと近づけてきた。先程からかなり距離が近くて気になっていたというのに、更に大胆に距離を詰められてビアンカは妙な心臓の高鳴りを覚えて、思わず身を仰け反らせてしまう。


「さて……あなたはどちらだと思いますか、フロイライン?」


「わ、私は……」


 昔から異性の目を惹いてきたビアンカだが、気の強さや格闘の強さが災いして、こういう風に異性に大胆に迫られた経験がなかったので動揺して口ごもってしまう。



 ――キキィィィィッ!!!



「……!!」


 その時、乗っていた車が急ブレーキと共に停止した。制動に失敗し思わず前につんのめるビアンカ。そして驚きと恨めし気な目で運転席を見やる。


「ちょっと、ユリシーズ・・・・・!? いきなり何なのよ!?」


 ビアンカが抗議の声を上げると、運転席で車を運転していたユリシーズが人の悪そうな笑顔で振り返った。


「おっと、悪ぃな。ちょっと目の前の道路を鹿が横切ったんでな。つい急ブレーキを踏んじまった」


「鹿ですって?」


 ビアンカは窓の外を見渡してみるが、見通しの良い街道の脇に鹿の姿など見当たらない。


「……ユリシーズ君。男の嫉妬は見苦しいですよ? 私はビアンカ嬢との会話を楽しんでいるんです。邪魔をせずにSPらしくVIPの護送に専念していたらどうです?」


 一方あの突然の急ブレーキでも全く体勢を崩さずに涼しい顔をしているリキョウは、ビアンカに対する時と正反対の冷たい声音でユリシーズを挑発する。


「けっ! SPだからこそ護衛対象への余計な干渉・・・・・を防ぐ義務があるんだよ。具体的にはタラシ・・・野郎の低俗なナンパ行為から守るっていう義務がな」


 当然ユリシーズも負けておらず、あからさまな敵意を剥き出しにして悪態を吐く。まるで炎と氷がぶつかり合っているかのような緊張感のある空気が車内に渦巻く。



 慌てたのはビアンカだ。どうもこの2人は仲が悪いらしいというのは事前に察せられていたが、想像以上に険悪であったらしい。


「ちょ、ちょっと落ち着いてよ、2人とも! これからアトランタで一緒に仕事しなきゃいけないんだから、こんな所で喧嘩は止めてよね!?」


 ビアンカが仲裁するとユリシーズがさも嫌そうに顔を顰めた。


「ち……何でこんな奴と。俺一人で充分だってのに」


「それはこちらの台詞ですね。私1人で事は足ります。そして今回の敵の性質を考えれば、あなたよりも私の方が適任なのは間違いありません」


「適任だ? 相手に手の内知られてんのはお前だって同じ条件だろが。俺1人の方が奴等の意表を突けるぜ」


「あなたにそんな頭があるならばそれも一理あったでしょうが、ただ猛進するだけの猪など奴等からすれば最も扱いやすい相手でしょうね」


「んだと、コラ!?」


 お互い売り言葉に買い言葉でヒートアップしていく。このままでは最悪殴り合いに発展しかねない。ユリシーズは勿論、リキョウも只者ではなさそうなので、ただの喧嘩と放置したら大変な事になりかねない。



「そこまでっ!!」



 ビアンカは敢えて2人の間で大きく手を叩いて注意を自分の方に向ける。


「ユリシーズ……アダムの時もそうだったけど、一々突っかかって話をややこしくしないでよ? 1人より2人の方が少なくとも私は安心できるわ」


「ぬ……」


 フィラデルフィアでも実際にビアンカを攫われた経験のあるユリシーズは苦虫を噛み潰した様な顔で唸る。ビアンカはリキョウの方にも視線を向ける。


「同じ事はあなたにも言えるわよ、リキョウ。まだあなたがどんな力を持っていてどれくらい強いのかも私には分からないんだから、全幅の信頼を置く事なんて出来ないのは当然解るわよね? それにこれからの任務に集中したいんだから、余り緊張感のない振る舞いは謹んでもらいたいわ」


 ビアンカが釘を刺すと、リキョウは少し苦笑するように肩を竦めた。


「ふむ……これは私としたことが焦り過ぎましたね。あなたが余りにも魅力的だったものでつい自分の楽しみを優先してしまいました。お許しください。あなたとの楽しい時間は、この任務を無事終わらせた後の報酬・・として取っておきますよ。それなら構わないでしょう? 私の任務に対するやる気も5割増しというものです」


「う……ま、まあ終わった後でなら……」


 やけに素直に謝罪したかと思ったら全く臆面も無くそんな事を提案してくるリキョウに、ビアンカはタジタジになりながらも消極的に了承した。ユリシーズが目を剥く。


「おい、ビアンカ!?」


「しょ、しょうがないでしょ? 任務が終わった後なら彼の自由だし、それで彼のやる気が出るっていうなら安いものでしょう?」


 ビアンカはもごもごと言い訳・・・を口にする。正直リキョウはユリシーズやアダムと違って物腰柔らかで、かつプレイボーイらしく見た目も美形であったので、このように情熱的に言い寄られて女として悪い気がしないのは事実であった。


「安いものって、お前なぁ……」


「と、とにかくこれでこの話は終わりよ! さあ、まずはアトランタでの任務に向けて集中しましょう! ここでのんびりしてる暇はないはずよ」


 ビアンカが話を切り上げようと再び手を叩く。ユリシーズはやはり苦い顔で溜息を吐いた後、処置無しとばかにりわざとらしくかぶりを振ってから運転を再開した。



 約束通りそれからアトランタに着くまで、車内でリキョウがビアンカに言い寄ってくる事はなかった。それでビアンカはすっかり忘れていたのだが、結局彼が上仙なのかどうかを聞けずじまいであった……

 

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