Episode3:レン・リキョウ

 それから数日後。ビアンカはRHから外に出て、地上・・のホワイトハウスの中を歩いていた。すでにユリシーズが彼女の警護に就いている事もあって基本的にシークレットサービスの間では彼女の存在は周知されており、一般に開放されているエリアや通常の官邸職員などが勤務しているエリア以外・・であれば、ほぼ顔パスとなっていた。


 ビアンカの存在は父親・・の事も考えると公にはできないので、ホワイトハウス内でも立ち入れるエリアは限られていた。


 そんな限られたエリアの一つ、二階にある大統領の私的な居住エリア。あのファーストコンタクト以降、直接は一度も会っていない。仕事の話も全て補佐官であるレイナーを通してのみであった。



 だからだろうか。ビアンカは久しぶりに地上へ出ると、半ば無意識のうちにこのエリアへと足を向けていたのだ。


 今日はこのホワイトハウスにいるという事はアルマンに聞いて知っていた。ビアンカは何となく足音を立てないようにしながら大統領応接室に近づく。以前にダイアンと話した応接間とは別の部屋だ。応接室には照明が点いていて中から人の話し声が聞こえてくる。そのうちの女性の声はビアンカにも聞き覚えのある声……ダイアンの物だ。誰か客が来ていて歓談中らしい。


「……!」


 彼女は少し緊張した。足音を忍ばせてそっと部屋を覗き見ると、解放感のある室内の中央に応接セットが置かれ、そこで3人の人物が何かを話していた。1人はビアンカの実の母親たるダイアン・ウォーカー大統領だ。そして彼女と向き合うようにソファに腰かけているのは、一見して東洋人・・・と分かる50絡みの壮年男性だ。ダイアンとは仲が良いようで、あのダイアンがビアンカからは想像がつかないくらいリラックスして歓談している。



 そしてもう1人……椅子には腰かけずに、まるでその東洋人男性の秘書か護衛のように斜め後ろに控える、やはり東洋人と思しき若い男性の姿があった。


「……っ!」


 何故かは分からないが、ビアンカはその若い男性を見て無意識に息を飲んだ。アメリカでは例えチャイナタウンでも余り見かけない、袖と裾が長い独特の衣装を身に纏っており、男性とは思えない程の背中にまで垂れた長髪は何筋かの赤い染色が走っているのが特徴的だった。 


 そしてその面貌は東洋人らしい細目のエキゾチックな顔立ちで顔の造作そのものは非常に整っていたが、見ようによっては怜悧な印象さえ与えかねない物だった。事実ビアンカはその男性の顔を見て、背筋に少し震えが走った。その震えがどんな感情に起因するものなのか自分でも判然としなかったが。



 するとその男性がいきなり彼女がいる入口の方に顔を向けた。突然だったので隠れる暇もなく、思い切りその男性と目が合ってしまうビアンカ。感情の読めない細い目に射すくめられて思わず硬直してしまう。


「大統領、先ほどから部屋を覗いているあの可愛らしい子猫はどこの迷い猫でしょうか?」


「え? ……っ!」


 流暢な英語を喋るその男性の言葉に顔を上げたダイアンは、彼の視線を追ってビアンカの姿を見つけると若干だが表情を強張らせた。


 「母親」のその態度にビアンカは胸を締め付けられるような感覚を味わった。何を期待していたというのか。彼女の反応は十分予測できていたはずなのに。しかしこの感覚は理屈ではなかった。


 ソファに座っていた壮年の男性が得心したように手を叩いた。


「ほう、これは可愛らしいお嬢さんだ! ダイアン、君の態度とこのようなお嬢さんがこのホワイトハウスにいる理由から推察するに、彼女が例の……『ファーストレディ』という事かな?」


 壮年男性もまた流暢な英語でダイアンに問いかける。ホワイトハウスの関係者ではないようだが、ビアンカの事を聞いているらしいこの男性は何者なのか。この街に点在するどこかの国の大使館の大使か何かだろうか。ダイアンは隠しても無駄と思ったのか溜息を吐いて肯定した。


「はぁ……仕方ないわね。ちょっとこっちにいらっしゃい」


 ダイアンが渋々といった様子でビアンカを呼び寄せる。その態度には反感を覚えたが、客人達がこちらを見ている前でまさかそのまま帰る訳にも行かない。ビアンカもまた渋々と応接間に入って彼等の前まで歩いていく。ダイアンが空いている椅子に座るように促してきたのでその通りにする。あの若い男性は相変わらず立ったままであったが。


 壮年男性の方が興味深げな視線でビアンカを見つめてくる。ダイアンが咳払いした。



「この娘はビアンカ。今は・・カッサーニという姓を名乗らせているわ。お察しの通り私とダンテの娘よ」


「やはりそうか! という事は彼女が無限の霊力を生み出す『天使の心臓』の持ち主という事か」


「……!」


 『天使の心臓』の事まで知っているのか。ビアンカは本格的に彼等が何者なのか気になった。だが少しだけ認識に齟齬があるようだ。


「それはダンテの『神の心臓』の事よ。この娘の『天使の心臓』は霊力を溜め込むばかりでそれを出力する機能がないのよ。……尤もだからこそカバールの連中に対する『囮』としては極めて優秀な訳だけど」


 ダイアンが補足する。情けないがそれが今のビアンカの現状だ。しかし彼等は『天使の心臓』の事を知っていただけあって、カバールの存在も認知しているようだ。でなければダイアンが当たり前のようにその単語を口にするはずがない。


 ダイアンが今度はビアンカに向かって彼等の紹介をする。


「こちらはシー正威ジンウェイ中国の国務院総理……つまりは首相ね。今は私の個人的な外交政策顧問に就いてもらっているわ」


「宜しく、ビアンカ」


 壮年男性……許が差し出す手を半ば反射的に握り返してから、ビアンカは目を丸くした。


「え……首相って……。確かその国の宰相……ナンバー2という事ですよね? 中国の元首相がアメリカ大統領の顧問を?」


 大統領が大きな政治的実権を握るアメリカには首相という役職は存在しないが、逆に国家元首があくまで象徴的な存在である国では首相が実質的なトップという国も珍しくない。それほどの国の中枢たる存在、それが首相であるはずだ。


 ビアンカの知識が確かなら現在のアメリカと中国はお世辞にも友好的な関係とは言えず、特に貿易関係では米中貿易摩擦を引き起こしており、また中国が強権的な一党独裁体制で国内の少数民族を弾圧している疑いが強く、世界の人権問題に積極的なダイアンは表立って中国やその国家主席である周国星を糾弾している立場であった。


 そんな現在アメリカとは犬猿の仲と言っても過言ではない中国の元高官がホワイトハウス内にいて、しかも大統領顧問に就任しているというのは、極めて違和感のある事象に思えた。



「私は今の中国の国家主席である周国星とは対立しあう間柄でね。奴に追い出されてアメリカに亡命・・してきた身なんだよ。ダイアンはそんな私達を快く受け入れてくれた、言ってみれば同志という訳さ」


「ぼ、亡命、ですか……?」


 許が苦笑して自身の境遇を説明してくれるが、亡命したというのが本当なら相当な紆余曲折があったはずだ。本来とても笑って話せるような内容ではないはずだ。ビアンカはそこにこの許という人物の精神的な強さを感じた。


「彼は中国の元首相としてあの巨大国家の中枢で政治に携わってきただけあって、その経験や政治的センスをただ遊ばせておくのは論外よ。だから私の顧問の1人として協力してもらっているのよ」


 ダイアンが補足すると許は再び苦笑した。


「彼女には匿ってもらった恩があるからね。私に出来る事なら何でも協力するさ。尤も君のお母さんは私の助言など必要ないくらいの辣腕ぶりだからね。実際には名誉職のようなものさ」


「あなたの助言が必要ない辣腕ですって? 本当にそうだったらどんなに苦労しなかったか。全く……中国人らしからぬ謙遜ぶりは相変わらずね」


 ダイアンも許の発言に苦笑顔を向ける。それは少なくともビアンカが見た事も無いようなリラックスした親しみに満ちた表情であった。どうやら2人はただ単に政治的な繋がりというだけでなく、私的な友人関係でもあるようだ。


 しかし許が中国から亡命してきたという事は、その後ろに佇むあの青年も同じく中国から来たのだろうか。



「彼が気になるかい?」


「……っ! あ、い、いえ……すみません」


 許の揶揄するような声に、ビアンカは青年に不躾な視線を向けていた事に気付いて顔を赤らめた。


「ははは、いいんだよ。実は彼の方も君の事が気になっているようだからね」


「え……?」


 ビアンカが面を上げると、その件の青年が彼女の前に歩み寄ってくる所だった。そしてサッとひざまずくと、優雅な所作でビアンカの手を取った。あまりに自然な動作であった為に彼女も呆気に取られて青年の為すがままになっていた。


レン麗孝リキョウと申します。どうぞお見知りおきの程を、美しいお嬢さんフロイライン


「……!!」


 気障な動作でビアンカの手を取った青年――リキョウは、一切躊躇う事無く自然な動作で彼女の手の甲に口づけをした。古い映画などで見た事はあるが、当然ながら自分がこんな事をされたのは生れて初めてである為、ビアンカは驚くと同時に盛大に顔を赤らめて動揺してしまう。


 だがリキョウの動作は気障ではあるものの自然であり、嫌味な感じは全くしなかったので不快感のようなものは無かった。……自然という事はつまり、それだけ手慣れている・・・・・・という事でもありそうだが。


「リキョウも元は中国統一党の高官でな。政変の際も追手共から私を護衛してくれて、一緒にアメリカに亡命してきたという訳だ」


「護衛、ですか……?」


 ビアンカは立ち上がったリキョウの姿を再び見上げる。顔立ちは怜悧だが先の細い中肉中背の東洋人であるリキョウは、ユリシーズやアダムのように見るからに強面で威圧感のある風貌ではない。悪く言うなら、彼等のように一見して頼り甲斐・・・・がありそうな感じではない。


 そんな疑問が顔に出ていたのだろう、許が再び苦笑する。


「まあアメリカ人の君からすると少し頼りなさそうに見えるかも知れないが……彼には特殊な才能・・・・・があってね。その才能に懸けては中国13億人の中でも、彼の右に出る者はそうそういないんだよ」


「特殊な才能?」


「ああ、まあ……君はカバールの悪魔達に狙われているんだったね? ならもしかすると近い内に・・・・彼の力を直接見る機会もあるかも知れないから、ここで私の口からべらべら喋るのは控えておくよ。君もここで余り長話をしたい訳でもなさそうだしね」


「は、はあ……」


 近いうちとはどういう意味だろうか。だが許も、そしてリキョウもそれについて今ここで説明する気は無いようだ。リキョウは無言で柔らかい微笑みを浮かべてビアンカを見つめている。


 彼のそんな視線を意識してビアンカは急に落ち着かない気持ちになった。するとダイアンが咳払いした。



「おほん! さあ、もういいでしょう? 私達はまだ政策についての話が終わっていないの。あなたの相手をしてる時間は無いのよ。早くRHに帰りなさい。仕事・・の話はまた補佐官のビルを通じて伝えるわ」


「……っ」


 さも煩そうに追い払う仕草を取る「母親」の姿に、ビアンカはまた胸を締め付けられる感触を覚えたが、それを表に出せば負け・・なので、努めて平静を装って立ち上がるとにっこりと笑う。


「解りました。お忙しい中わざわざお時間を割いて頂き感謝致します、『お母様』。それではミスター許もミスター任も、私はここで失礼致しますね?」


「あ、ああ……今日は会えて嬉しかったよ」


 2人の険悪な空気に居心地の悪さを感じながらも、他人の『親子関係』に口を挟む訳にもいかない許は、何も気にしていない風を装ってビアンカと握手を交わす。


「近い内にまたお会いしましょう、フロイライン」


 そう言って意味深に微笑むリキョウとも握手をしてから、ビアンカは踵を返して応接間を後にする。ダイアンの方は意地でも見なかった。



 ダイアンの事を意識していた為、部屋から立ち去る自分の背中をずっとリキョウが見つめていた事に彼女は気付かないままであった……

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