Episode8:初戦

(……遅いわね。何かあったのかしら?)


 遮蔽モードで透明になって従業員用のスペースに侵入していったアダムを見送ってから、既に10分以上が経過している。ビアンカは何度も腕時計を確認した。


 ただ魔力の出所を確認して戻ってくるだけにしては時間が掛かり過ぎている気がする。もしかして行ったに罠があって窮地に陥っているのではとも思えてくる。


 そう思うと居ても立っても居られなくなるビアンカだが、彼女がスタッフに見咎められずにこの先に侵入する手段がない。下手をするとアダムに迷惑を掛けてしまう怖れもある。


 結局動くに動けず、もどかしい思いを抱えながらアダムの帰りを待っていると……



「……ビアンカ」


「っ!? ア、アダム……! ああ、ビックリした! 良かった、無事だったのね!?」


 壁際に設置された水族館の生き物を紹介するパンフレットが大量に置かれた棚の影からアダムの巨体がのっそりと出現し、突然声を掛けられたビアンカは思わずビクッとしてしまう。しかしすぐにアダムだと解って安心して息を吐いた。


 そしてすぐに恨めし気な視線で見上げる。


「何やってたのよ? 随分時間が掛かったじゃない」


「済まなかったな。その事についても話したいが、ここではまずい。とりあえずホテルに戻ろう」


 アダムはやや周囲を警戒するような様子でビアンカを促した。やはり何かあったようだ。だとすると確かにここで立ち話という訳にも行かない。


「わ、解ったわ」


 ビアンカも同意して、早々にナショナル水族館を出てチェックインしているホテルに戻るのであった。




*****




「え、館長も悪魔だったの?」


 戻ってきたホテルのラウンジでビアンカはアダムから事の顛末を聞いていた。アダムはうっそりと頷いた。


「ああ。中級悪魔だったがな。だがそれはつまり老衰殺人以外にもこの街に悪魔が潜んでいる事の確実な証拠という事にもなる」


 ビアンカもDCにいる時に格闘技の特訓だけでなく、アルマンから悪魔についての知識を教わったりもしていた。


 それによると中級悪魔は上級悪魔……つまりはカバールの構成員達が契約している悪魔達の側近のような立ち位置で、高い自律性を持っていて主人に服従しつつも独自の判断で行動するとの事。あのヴァンゲルフ……ジャック・パーセル刑事もエメリッヒの指示ではない独自の判断で罠を張っていた。



「そして館長室には隠し部屋があり、そこであの殺人が行われた事は間違いない。館長のPCから館長室を訪れた事のある客のリストを探し、その中から容疑者の名前が無いか照会してみた」


「そ、それで……?」


 勿論館長室に来訪した人物が全員殺人に関わっているとは考えにくい。大半は通常の用事・・・・・で館長室を訪れただけだろう。だがそれがビアンカ達が容疑者・・・と睨んでいる人物なら話は別だ。



「老衰殺人が起き始めてからの期間中、あの部屋を訪れた容疑者は……全員・・だ」



「え……ぜ、全員、ですって?」


 ヘリー・ブロック下院議員。マルクス・レーラー州議員。そしてヴァンサン・コルベル主席判事。この3人は全員、殺人の期間中にこの水族館の館長室を訪問していた、という事か。


「ああ、残念ながらな。これでは特定は出来ん。つまり振り出しに戻ったという事だ」


「…………」


 ビアンカは脱力した。まあ最初から上手く行くとは思っていなかったが、アダムに思わぬ苦労をさせた割には収穫がゼロだったというのは正直申し訳ない。


 そんな彼女の様子にアダムは微苦笑した。


「俺の方は何という事も無い。それに館長を倒した事は、奴等に対する強烈なメッセージになったはずだ。警戒を始めた奴等はすぐに気付くだろう。君の存在にな」


「……!」


 確かにそうかも知れない。ビアンカの『天使の心臓』は悪魔にとって無視できない物らしいので、放っておいても向こうからやってきてくれるようになったと言える。これで炙り出されてきた奴が犯人だ。となればアダムが館長を倒した事には意味があった訳だ。





 アダムの言っていた事は、翌日には早速現実の物となった。ビアンカは他の殺害現場を調べる為、アダムと共に街の中心部にあるM&Tバンク・スタジアムへと赴いていた。このボルチモアを代表するNFL(ナショナル・フットボール・リーグ)チームのボルチモア・レイヴンズの本拠地たる巨大な競技場スタジアムだ。


 事件現場はこのスタジアムの中にいくつかあるトイレの一つだ。因みに男子トイレである。その日スタジアムで試合が行われ、試合終了後に観客がトイレに入った所発見したらしい。つまり犯行はスタジアムでレイヴンズの試合中に行われた事になる。何とも大胆な話だ。


 この日は試合が行われておらず、そもそもそんな異常な死体が発見されたばかりという事もあって、スタジアムも開いてはいるものの閑散としていた。



「レイヴンズかぁ……。イーグルズの天敵みたいな感じたったから、元フィラデルフィア市民としては正直あまり印象良くないのよね」


「フットボールが好きなのか?」


 アダムに問われてビアンカは肩をすくめた。


「まあ人並みにはね。パパが良く見てたから私も自然と見るようになってね」


「そうか……」


 今は亡きビアンカの養父エリック・コールマンの話題に、アダムが少し慮ったような口調になる。ビアンカは苦笑した。


「別にそこは気を使わなくていいわよ。もう何年も前の事だし私の中ではもう割り切りが出来てるから」


「そうか。君は強いな」


 そんな話をしながら事件現場となった男子トイレに向かう2人。そのトイレがある手前には比較的広めのフードコートスペースがあった。普段はプレーオフの日でもテナントのファストフード店は営業していたりするが直近で死体が発見された影響か、この日はどの店も閉まっており人の気配がなかった。


 ――日中の街中、大きな施設の中とは思えないほど不自然・・・に人気がなかった。



「……! これは……結界・・か。ビアンカ、警戒しろ」



「え……?」


 アダムに警告されてビアンカもようやく気付いた。周囲から不自然なまでに人の気配が消えている。そしてそれと入れ替わるように、まるでビアンカ達を挟み撃ちするかのように前方と後方から複数の足音。


 彼女らが向かっていたトイレに続く通路から複数の人影が姿を現した。全員男性だ。それと同時にビアンカ達がやってきた通路からも退路を塞ぐように何人かの男達が現れた。


「……! こいつら……!」


 ビアンカは慌てて警戒態勢を取る。まさかこれほど早く仕掛けてくるとは思っていなかった。



「ふ、ふ……ギルタブルが倒されて何者の仕業かと思ったが……まさか『天使の心臓』が自分から舞い込んで来るとは。これは思わぬ僥倖だな」



「……!」


 前方の男達の後ろから笑い声が聞こえ、そのままビアンカ達に見える位置まで進み出てきた。焦げ茶色の髪をした壮年の白人男性だ。頬が落ち窪んだ痩身が印象的であった。その顔を見たアダムが眉を上げる。


「……マルクス・レーラー院内総務か。貴様がカバールの構成員だったのか」


 3人の容疑者のうちの1人だ。どうやら目の付け所は正しかったようである。レーラーが薄く笑う。


「それを知る意味はあるまい? どうせ今からここで死ぬというのに。ああ、勿論『天使の心臓』は別だぞ。お前達、男は殺して構わんが女の方は殺さずに捕らえろ」


 問答無用とばかりにレーラーが、引き連れている男達をけしかけてきた。その指示に応じて男達の姿が変化・・していく。ビアンカも見覚えがあるビブロスを始め、他にも頭が2つある狼のようなシルエットの悪魔や、前にも見たミツバチの頭と翅を持つ悪魔、全身が焼け焦げたような皮膚をしたゾンビのような姿の悪魔などがいた。恐らく全て下級悪魔と思われるが、数が前後合わせて10体ほどはいると思われる。


 フィラデルフィアを脱出した時と同じような状況だ。あの時はユリシーズ1人ではビアンカを守りきれず窮地に陥った。だが今の彼女はあの時とは違う。


 ビアンカは手足に装着しているグローブとシューズを意識した。


「やれっ!」


 レーラーの指示と共に悪魔達が一斉に襲いかかってくる。殆どの悪魔達はアダムの方に向かう。そして彼を殺すべく様々な遠距離攻撃を仕掛ける。ビブロスは火球や電撃、ミツバチ悪魔は毒針のような攻撃、頭が2つある狼は口から火炎放射のような炎を吐き出す。ゾンビ型の悪魔は遠距離攻撃がないのか、腕から骨のような鋭い突起を生やしてアダムに襲いかかる。


 アダムはそれらの攻撃にビアンカを巻き込まないように敢えて彼女と距離を取りつつ、悪魔達を迎え撃つ。


「ビアンカ、君なら出来る! 自分を信じろ!」


「……っ!」


 殺到する悪魔の殆どを自分の方に引きつけつつアダムが激励する。ビアンカは激しく緊張しながらもその激励を受けて己を奮い立たせた。



 激戦の轟音や閃光を背景に、彼女の方にもビブロスが1体向かってきた。火球などの遠距離攻撃を使ってこない。レーラーから生け捕りにしろと命じられた為か。右手に作り出した武器が剣ではなく棍棒のような鈍器であった事から間違いないと思われる。


 彼女を捕らえるのはビブロスの一体で事足りると思われているのだ。殺すよりも生け捕りの方が遥かに難易度が高いはずなのに。


(……舐めるな!)


 その事実にカッとなった彼女は激情に燃える瞳で迫りくるビブロスを睨みつける。ビブロスが棍棒を横に薙ぎ払ってくる。殺さないよう手加減しているせいか何とか彼女にも見切れる速さであった。


「しゅっ!」


 呼気と共に上体を反らせて棍棒を躱す。そして反動を付けるようにして白い指ぬきグローブに包まれた拳を全力で打ち込んだ。


 ――パァンッ!!


 訓練の時と同じ不可視の波動が弾ける。ビブロスが明らかに苦痛を感じたように仰け反って怯んだ。


(……! いける!)


 手応えを感じた彼女は大胆に踏み込む。ビブロスは再び棍棒を横に薙ぎ払って牽制してくる。彼女はやはりスウェーでそれを躱すと、今度は敵の脚めがけてローキックを蹴り込む。


 シューズからもインパクトの瞬間に霊力の波動が発生し、ビブロスが大きく体勢を崩す。これならいける。普通に暴漢と戦っているくらいの感覚だ。


 ビアンカは更に踏み込んで拳による連打を叩き込む。その都度グローブから霊力が弾け、ビブロスにダメージを与える。


 ビブロスが堪らんとばかりに翼をはためかせて後方に飛び退ると、今度は棍棒を縦に振り下ろしてきた。先程より速い一撃であったが、大振りな攻撃は軌道も読みやすい。彼女は半身を逸らすようにして振り下ろしを躱すと、がら空きになったビブロスの側頭部めがけて得意のハイキックを繰り出す。


『……!』


 キックは狙い過たず悪魔の頭に命中。今までで一番強くて大きな霊力の波動が発生し、まともに食らったビブロスが吹き飛んで床に倒れ込んだ。そして……そのまま空気に溶け込むようにして消滅した!



(た、倒した……。私、やったわ!)


 相手はこちらを生け捕るつもりで全力でなかったとは言え、初めて自分だけの力で敵を倒す事ができた。

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