Episode28:不退転の決意

「……さあ、これで今自分が置かれている状況が大体理解できたでしょう? 奴等カバールとの戦いは私達に任せておきなさい。この国を裏で食い物にしているクズ共には必ず天罰が下るわ。あなたには新しい身分証とパスポートを与えるわ。それでまだ奴等の勢力が及んでいないオーストラリアに『留学』を――」


「――嫌です。私はどこにも行きません。奴等からコソコソ逃げ隠れするような生活は真っ平です。私も奴等と戦います。自分の自由は自分で勝ち取ります」


 ダイアンの言葉を遮って意思表明するビアンカ。何と言われようとこれだけは譲れない。逃げ隠れする事だけは絶対にしたくなかった。


 ダイアンの眉が吊り上がる。


「何を言っているの? あなたに何が出来るというの? 言ったでしょう。あなたの『天使の心臓』は戦いには何の役にも立たないのよ。あなたに出来る事は何もないの。足手まといにしかならないわ。いえ、それどころか、カバールが『天使の心臓』を手に入れたらどうなるか。不確定要素どころか私達にとってマイナスにさえなりかねないわ。いいからあなたは大人しく――」


「――何を言われようと退く気はありません。そもそもあなたは母親ではなくて赤の他人・・・・ですよね? なら私にあなたの言う事を聞く義務はありません。私は私のやりたいようにやります」


「……っ!」


 ダイアンの表情が若干引き攣る。母親の義務を放棄したのは彼女だ。そして義務は常に権利と表裏一体でなくてはならない。この国は民主主義国家なので、大統領といえど赤の他人・・・・に対して命令して強制的に従わせる権利はない。



 ダイアンが無言で視線による圧力を掛けてくる。威圧して言う事を聞かせる気だ。勿論屈する訳には行かない。ここで退いたらこの先自分は一生逃げ隠れし続ける事になる。そんな生活を送る気は無い。エイミーの為にも、そして自分の為にもだ。


 ビアンカは負けじと目に力を込めて睨み返す。母娘の視線が再び火花を散らす。どちらもお互い退かずに膠着状態になりかけた時……



「ボス……ちょっといいですかね?」



 溜息混じりに声を上げたのはユリシーズだ。ダイアンだけでなくビアンカとアダムの視線も彼に集中する。


「何なの、ユリシーズ?」


「正式な報告は後程上げますが、今回フィラデルフィアにおいて警察本部長のアルバート・エメリッヒ及び市長のジェリー・トーマス・ハンターの2人がカバールの正規構成員である事が判明し、尚且つこの2人を撃滅する事ができました。これは……たった一晩の成果としては快挙だと思いませんか? 今までこんな事ありましたっけ?」


「……!」


 ダイアンの眉がピクッと吊り上がる。


「……何が言いたいのかしら?」


「ふと思ったんですよ。カバールの連中は通常、中々尻尾を出しやがらない。だからこちらも攻めあぐねていた部分がありました。それが今回たった一晩で2人も釣れた・・・。それは間違いなく、奴等が無視できない極めて美味しい餌・・・・・が目の前にぶら下げられていたからだってね」


「……っ」


 ダイアンもビアンカも少し目を瞠った。ユリシーズが何を言いたいのかが解ってきたからだ。


「待って、あなたまさか……」



「俺達は今まで基本的に常に後手に回ってましたが、ここらで方針を転換してこちらから攻勢・・に出るべきじゃないでしょうかね? そして……ビアンカの協力・・があれば、それが可能なんです」



「……!!」


 予想を裏付けられた母娘が共に絶句する。彼が言っているのはつまり……


「貴様、正気か!? よりによって彼女を奴等に対するにしようというのか! それが彼女にとってどれほど危険か分かってて言っているのか!?」


 今まで寡黙に徹していたアダムが意外なほど感情を露わにして、ユリシーズの胸倉を掴んで詰め寄る。だがユリシーズは冷静なままだ。いや、冷徹・・とさえ言える表情を浮かべていた。


「お前に言われるまでも無く解っているさ。だがそのリスクを冒してでもこれは提案する価値・・がある。俺はそれをフィラデルフィアで実感したのさ。彼女は……ビアンカはある意味で、カバールに対する最強の武器・・になり得るってな」


「……っ! この、外道がっ!!」


 あくまで冷徹に持論を述べるユリシーズに激昂したアダムが、彼を殴ろうと拳を振り上げる。サイボーグであるらしいアダムに本気で殴られたら、ユリシーズといえどもただでは済まない。だが彼は回避動作を取ろうとしなかった。


 アダムの拳が容赦なく振り下ろされようとして……



「待ってっ!!」



「……!」


 アダムの拳が止まる。視線を向けた先にはソファから立ち上がったビアンカの姿が。


「ビ、ビアンカ……」


「アダム、心配してくれてありがとう。私なら大丈夫だから彼を離して」


「……あなたがそう言うなら」


 渋々といった様子でユリシーズから離れるアダム。それを確認して彼女はユリシーズに向き直った。



「ユリシーズ……本気・・で言っているの? 私が奴等……カバールに対する最強の武器・・・・・だって、あなたは本心から思っているの?」



「ああ、紛う事なき本心だ」


 ビアンカの静かな問いに、彼は全く目を逸らす事無く答えた。しばらく見つめ合って彼が嘘を言っていない事を確信したビアンカは決断した。そして再びダイアンの方に振り返る。


「お母様、今聞いた通りです。私の『天使の心臓』は使いようによってはカバールに対する強力な武器になると彼が説明してくれました。そしてその実績・・は既に証明されています。これでも私がカバールとの戦いで役に立たないと仰いますか?」


「……アダムが言った通り、極めて危険でもあるのよ?」


「覚悟の上です。私は奴等によって親友を虫けらのように殺されました。そして自分の人生も滅茶苦茶にされました。絶対にこのまま泣き寝入りするつもりはありません。必ず奴等を追い詰めて……一人残らず殲滅してやります」


「……!」


 ビアンカの抑えきれない怒りを感じ取ってダイアンが僅かに目を瞠る。そしてすぐにそんな自分に気付いて少し気まずげに目を逸らす。



「……現実問題としてあなたにはカバールの悪魔達に抗う手段がないわ。実際に奴等に襲われたらどうするつもりなの?」


「それは……」


 ビアンカが喋りかけた所で再びユリシーズが口を挟んだ。


「勿論俺は全力で彼女を守りますよ。そっちのデカブツもそうだろ?」


「……無論だ」


 アダムが低い声で、しかし躊躇いなく頷く。


「でもそれだけじゃ心許ない。実際にフィラデルフィアでも何度か危ない場面はありましたからね。なのでやはりビアンカ自身にも、ある程度自衛・・できるようになってもらう必要があります」


「それは無理でしょう? 『天使の心臓』は戦闘では役に立たない。彼女自身は私と同じでただの人間なのよ。悪魔に対しては余りにも無力だわ」


 極めて高い社会的地位に守られているダイアンと違って、むしろ社会的には死んだも同然であるビアンカを害する事に悪魔達も躊躇しないだろう。


「それに関しては俺にちょっと考えがありまして。これも後で報告しますが、実は一度不覚を取ってアイツ・・・が表に出てきてしまったんですよ」


「な……!?」


 ダイアンが目を剥いた。彼が言っているのはあの『黒騎士』の事だろう。この反応だとダイアンもあの存在の事を知っているようだ。


「でもその時このビアンカがアイツに触れた事で、俺が再び表に出てくる事が出来ました。それで『天使の心臓』は戦闘には直接役に立たないかも知れませんが、間接的・・・には何かに利用できるのではと考えたんですよ。だからその件も含めてアルマンに相談してみようと思いましてね」


「…………」


 ダイアンがしばし黙考する。アルマンは議会図書館の館長でローマ教皇庁から呼び寄せられたという人物。そしてビアンカの父親……ローマ教皇マクシミリアン4世の弟子にもあたるという退魔師。


 確かに『天使の心臓』の事も含めてビアンカの件を相談するには最も適任の人物なのかも知れない。




「はぁ……解ったわ」


 思考の末に遂にダイアンが折れた。


「確かに奴等との戦いに停滞を感じていたのは事実ね。……いいでしょう。あなたの好きにしなさい。ただし一度戦うと決めたからには、後で泣き言を言って来ても聞かないわよ?」


「……当然です。覚悟なら出来ています」


 ビアンカはダイアンの視線を正面から受け止める。三度みたび、母娘の視線がぶつかり合った。


「ふん……視線の強さだけは一丁前ね。ここに残って戦うのはいいけど、どっちにしろ今のあなたは指名手配犯で大手を振って表には出れない身。『ビアンカ・コールマン』は逃走中に死んだという事にして、あなたには新しい名前と身分証を受けて貰うわ。これに選択の余地が無いのは流石に解ってるわね?」


「……ええ」


 ビアンカも不承不承頷いた。確かに今の自分は死んだという事にした方が、元の生活ともきっぱり切り離せる。それに実際一度死んだような物だ。彼女は今までの自分を捨てて生まれ変わり、改めてカバールとの戦いに身を投じていくのだ。


「結構。住居に関しては、当面はこのホワイトハウスの地下シェルターで暮らしてもらう事になるわ。大統領一家の有事の際の避難場所として、一通りの設備が揃っているから不自由はしないはずよ」


 大統領一家。一応ビアンカも血縁的・・・には該当するので、この際遠慮なく使わせてもらう事にした。地下は嫌だの贅沢を言える立場でもないだろう。


「いいわ。それじゃアダム。悪いけど彼女をシェルターの部屋まで案内して。ユリシーズは少し話があるから残って頂戴」


 事務的にそれだけ告げるとダイアンは、まるで犬でも追い払うようにビアンカに退室を促した。その態度に彼女は再び拳を握った。あくまで肉親として接する気はないという事らしい。



「……了解しました。さあ、ビアンカ。部屋に案内する。今日は疲れただろうから、とにかくゆっくり休むといい」


「ええ、ありがとう、アダム。それじゃあお母様・・・、失礼いたしますね」


 ビアンカは敢えてダイアンに対して慇懃無礼な態度で微笑むと、くるっと踵を返して応接間を後にするのだった。

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