Episode29:長い夜の終わり

「……ここが部屋だ。今日からしばらくの間はここで過ごしてもらう事になるが大丈夫か?」


 アダムに案内された先は、いわゆるエマージェンシールームとも異なる居住用の地下空間であった。ERとは地下で繋がっているらしいがその扉は閉鎖されていた。


 ダイアンが言っていた通り、確かにやや殺風景ながら住むのに必要な設備は一通り揃っており、生活に不自由はしなさそうだった。こじんまりしたホテルの部屋のような印象であった。同じような部屋がいくつか並んでいるのもホテルという印象を強めていた。


 アダムが案内してくれたのはその内の一室であった。


「ええ、勿論大丈夫よ、ありがとう。……大丈夫。私は大丈夫よ」


 半ば自分に言い聞かせる調子になるビアンカ。声が僅かに震える。抑えようとしても目が潤んでくる。ダイアンとの面会で張りつめていた物が一気に瓦解しつつあった。アダムの視線が同情的なものになる。



「……ここには他に誰も居ない。勿論大統領も。もう我慢・・しなくていいんだ」


「……っ! う……うぅ……」


 この2、3日の間にあまりにも色々な事がありすぎた。人知を超える世界に触れて、命の危険も幾度となく経験した。そして……自分の出自・・を知った。


 それは傍で聞いたら荒唐無稽でしかない内容であったが、それでも彼女の本当の親・・・・が彼女を温かく迎え入れて、ぎこちないながらも親として接してくれたなら、彼女の心はつらい経験の後でも深い安寧に包まれていたはずだ。肉親とはそういう物のはずだ。


 だが現実は無情であった。娘どころか、全くの他人として扱うあの態度。ビアンカの心は散々に打ちのめされ、持ち前の負けん気の強さだけで自分を保ち、何とかあの場をやり過ごす事はできた。だが……


「う……く……うぅぅ……!!」


 肉親・・から拒絶されたという事実は変わらない。養父母の元で育ち、その愛情は充分感じていて不満も全く無かったが、それでも血の繋がりというものに憧れはあった。実の両親はどんな人間なのだろうと夢想する事もあった。もうし直接会って、彼女が実の娘だと知ったらその両親はどんな態度を取るだろうかと想像した事も何度もあった。


 その結果はアレ・・だ。ダイアンの態度を思い返す度に胸が抉られ息が詰まるような感覚を覚える。身体が震えて大粒の涙が溢れてくる。こうなるともう止まらなかった。



「う、う、うわあァァァァッ!! アアァァァァァァァァァッ!!!」



 ビアンカは無意識の内に、目の前にあったアダムの大きな身体に縋って大声を上げて泣き叫んでいた。自らの感情が不安定になって抑制できなかった。


 アダムは何も言わずにただ彼女を受け止めて包み込んでくれた。少女の慟哭はしばらくの間、地下空間に響き続けていた……




*****




 ビアンカが応接間から退室しその足音が遠ざかっていく。それを確認するとダイアンが身体の緊張を解いてソファにドッと崩れ込む。


「ふぅ……就任演説やG7の会合に出た時よりも何倍もキツかったわね」


「……そんなに肩肘張って緊張するくらいなら、何で素直に彼女を受け入れてやらないんです?」


 ユリシーズが若干冷めた目でそんなダイアンを見やる。彼は先程までのダイアンの態度が虚勢・・だという事を見抜いていた。そもそも自分をわざわざビアンカの護衛に遣わした時点で彼女の本心は明らかだ。『天使の心臓』はその言い訳・・・に過ぎない。


 ダイアンは顔をしかめた。


「よして。事情があったとはいえ、生まれてすぐ放置した娘とどんな顔をして会えば良かったの? それに加えて勉強や仕事一筋で家庭の記憶なんて殆ど覚えてもいない私に、今更『母親』らしい振舞いなんて不可能よ」


 自嘲気味に口の端を歪めてかぶりを振るダイアン。


「でも……あの子・・・のカバールに対する怒りがあそこまでだったとはね。自分が命を狙われて生活を滅茶苦茶にされたってだけでは、こんな危険な戦いに身を投じようとは思わないでしょうね。そのエイミーという娘とはそんなに仲が良かったの?」


「そうですね。ただのルームメイトというよりは完全に親友という感じでしたね。その殺しを実行した下手人がのうのうと生きていて、しかもカバールの構成員である事も解ってるので余計に怒りが強いのかも知れません」


 あのヴィクターという元カレは悪魔と契約していた。今後カバールの構成員となって再びビアンカの前に現れるのはほぼ確実だろう。ビアンカの方もその時を待っている節がある。



「……出来れば安全な場所にいて欲しかったけど、本人があそこまで望む以上は仕方がないわね」


「そう言って、あなたの事だ。本当はこの展開・・・・も読んでいたんじゃないですか? ビアンカにあれほど挑発的な言い方をしたのもワザとでしょう?」


 ユリシーズはそれを半ば確信していた。それなりの期間彼女の下で働いていれば、ある程度解ってくる事もある。ダイアンは苦笑した。


「完全に否定はしないわ。でもあの子の身の安全を望んでいるのも本当よ。だからあなたには今までの遊撃任務から外れてもらって、あの子専属の警護任務に就いてもらうわ。あの子もあなたを信頼しているようだし、少なくとも他の者より適任でしょう」


 ユリシーズは肩を竦めた。ビアンカの残留を提案した時点でこうなるだろう事は解っていた。だがそれに関連してやはりこれは聞いておかねばならない。



「あのアダムという男は何者なんです? まあ確かにビアンカが今後被る可能性のある危険を考えれば、彼女を護る戦力は多いに越した事はないですがね。本当に信用できるんですか?」


 あの路上戦闘では、アダムはまだ実力の片鱗も見せていなかったはずだ。勿論それは自分も同じ事だが、その一事だけでもあの男が相当の強さである事が窺える。


 なので実力は確かだろう。だが信用できなければ意味がない。


「あの子にはああ言ったけど、正直国民党の中にも奴等への内通者がいる可能性はゼロじゃないわ。このホワイトハウスの中は流石に大丈夫だと思うけど。だから元々ケヴィンに、軍の方に戦力の当てがないか聞いていたのよ」


「その結果、派遣されてきたのがアイツだったと?」


 ケヴィンというのは現在の国防長官ケヴィン・ブラックウェルの事だ。ダイアンが信頼している閣僚の1人でもある。彼が寄こしてきたなら間違いはないと思うが……



「ええ。そしてアダムはあのエリア51・・・・・で行われた『アンドロメダ計画』の被験者・・・なのよ」



「……っ!!」


 ユリシーズは目を見開いた。彼も噂程度なら聞いた事があった。勿論大統領たるダイアンは、その計画の全容を既に知っているのだろう。


「いえ、正確には被験者の1人・・というべきね。彼以外の10人以上いた被験者は全員、計画の過程で命を落としたのだから。彼は唯一残った『アンドロメダ計画』の成功例・・・という訳ね」


「…………」


 ユリシーズの知る限り『アンドロメダ計画』は軍の最高機密の1つであり、国防長官がその全権を担っている。そして戦力を求めるダイアンの要望に応じて、彼女が信頼するブラックウェル国防長官が寄こしたのなら、とりあえずは信用していいという事だろう。



「なるほど、アイツの事はまあ了承しました。俺も全身兵器の人造人間と殴り合う気はありませんから、まあ何とかやってみますよ」


「お願いね。でも、ふふ……。そんな人造人間が、あの子に対して随分好意を抱いている節があるのは意外だったわね?」


「……! それは……まあきっと、ビアンカの外見に目を惹かれてるだけですよ」


 ユリシーズも何となくそんな雰囲気を感じていたので、ダイアンに改めて指摘されて若干胸の奥にモヤッとした感覚を覚えた。だが内心の動揺を表には出さず、極力何でもない風を装う。


 だがダイアンはそんな彼の内心などお見通しだぞと言わんばかりに笑みを深くした。


「ふふ、あの子は中々人たらしの才能があるのかもね。……間違いなく父親・・の血によるものでしょうけどね」


 その笑みが一転して不機嫌な物に変わる。ユリシーズは内心で(いや、アンタの血も相当影響してるよ)とツッコみたくなった。



 とにかくこれでビアンカがカバールとの戦いにおいてダイアン陣営に加わる事が正式に決まった。そしてユリシーズとアダムはそんな彼女を補佐・護衛する役割を正式に与えられる事になる。

 




 こうしてビアンカにとって長い……とても長い一夜がようやく終わりを告げた。ビアンカは敵の正体、自分を取り巻く状況、そして自分の正体・・を知った。全てを知った上で尚、彼女は巨悪と戦う道を選んだ。


 この夜がビアンカとカバールの戦いの始まりであり、そして後にカバールにとって脅威となっていく、超人部隊『ドゥームスクワッド』発足の日であった事を知る者は少ない……。

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