Episode26:母娘邂逅

 ワシントンDC。正確にはコロンビア特別区という名称の、このアメリカ合衆国の首都・・だ。


 尤も首都といっても街の規模自体は、この国を代表する大都市ニューヨークやロサンゼルス、シカゴなどの方が遥かに大きい。いや、それどころかビアンカが住んでいたフィラデルフィアだって、この首都に比べればずっと大きい。


 だが街の規模や人口の問題ではなかった。そういう世俗的・・・な要素を超越して、この街はアメリカという国を象徴するランドマークとして敬われてきた。


 それはビアンカとて同じ事だ。つい数日前まで彼女は一般のアメリカ国民であったのだ。フィラデルフィアから比較的近い事もあって小旅行などで何度か訪問した事はあったが、その時もこの街に足を踏み入れ、ワシントン記念塔やリンカーン記念堂などの歴史的建造物を前にすると何とも厳かで、そして誇り高い気持ちになったものだ。


 だがこの街を、そしてアメリカ自体を象徴する真のランドマークは別にあった。ビアンカもその外観・・を生で見た事はある。その時はまさか自分がその中に入る・・・・事になるとは夢にも思わなかったが。



(ゆ、夢じゃない、わよね? 私、今本当に……ホワイトハウス・・・・・・・の中にいるのよね?)



 これまで散々非現実的な体験をしておきながら、尚彼女は今の自分の境遇が信じられなかった。だってそれも仕方がないではないか。これは余りにも……物語じみていた。


 大統領を国王だの皇帝だのに置き換えてみれば、古典的な貴種流離譚そのものであった。これをすんなり受け入れろという方が無理がある。



 メリーランド州の街道でアダムと合流した後、彼女は揺れるハンヴィーの中で仮眠を取りながらDCに到着後、最低限の身だしなみを整えた状態で、アダムとユリシーズの2人に連れられながら、職員用の通用口を通ってあのホワイトハウス内に足を踏み入れたのであった。


 メインハウスの一部は一般公開されている。主にWHの職員が出入りするような執務棟に関してはやはりとても厳かな雰囲気ではあるが、なんとなくこういう物だろうなとイメージしていた印象からそこまで大きく乖離はしていなかった。


 しかしこの建物は現職大統領とその家族・・・・が居住する、官邸としての役割を兼ねていた。


 彼女は居住棟の方へと案内されていた。どうやら大統領はこちらにいるらしい。まあ時間も時間だし、プライベートな用件となればそれも当然の事か。


 そう……隠し子である実の娘・・・に会うという極めてプライベートな用件であれば。



「…………」


 彼女は無意識の内に、緊張に喉を鳴らして拳を握り締めていた。何度嚥下してもすぐに口の中が渇く。緊張の原因は明らかだ。


 これから実の母親・・・・と生れて初めて会う事になる。いや、赤ん坊の頃には会っているはずなので生れて初めてというのも語弊があるが。正確には物心ついて初めてと言うべきか。


 全く面識がないという意味ではどちらにしても同じ事だ。


 それだけでも緊張するというのに、ましてや相手は雲上の人……このアメリカ合衆国の現大統領その人だというのだ。これで緊張するなという方が無理がある。



「おい、落ち着け……って言っても難しいだろうが、大丈夫だ。少なくとも彼女・・は悪い人じゃないってのは俺が保証する」


「ユ、ユリシーズ……」


 先導して一緒に歩くユリシーズが振り向きながら、彼女を落ち着かせようと声を掛けてくる。ビアンカが縋るような目を向けると彼は頬を掻いた。


「……まあ悪い人じゃないんだが、ちょっと……いや、かなり厳格というか怖い人ではあるんだけどよ」


「……!」


 むしろ不安が増したような気がしてきた。横を歩いているアダムが嘆息する。


「余計不安にさせてどうする。厳格なのは立場上仕方ない事だろう。ましてや彼女が戦っている相手・・の事を考えれば、一切の隙を見せる訳にはいかないのだからな」


 カバールの事だろう。ユリシーズから聞いた所では、この国のあらゆる部分に巣食っているという。それに関してはあのハンター市長も肯定していた。そして実際に彼自身がカバールの一員であり、人知を超えた悪魔だったのだ。


 あんな剣呑な連中が人間の皮を被ってすぐ近くにいるのだ。そしてハンターはカバールと自由党との関係も匂わせていた。それが事実なら敵はこのワシントンDC、そして大統領のすぐ近くにもいるという事になる。


 確かにそんな相手と常に渡り合っている状況を考えたら、神経が張りつめて厳しい態度になるのも自然な事だろう。ましてや当然ながら大統領としての通常・・の職務もある。


 少なくともビアンカなら好んでそんな立場に就きたいとは思わなかった。


 そもそも何故ウォーカー大統領はそんな艱難辛苦の道を歩んでまでカバールと戦う決意をしたのだろうか。ただの正義感や愛国心だけで渡り合うには余りにも強大な相手に思える。


 一度ユリシーズにも聞いた事があるのだが、「俺の口から勝手にあれこれ喋る訳にも行かん。知りたきゃ本人に直接聞け」と返されてしまって解らずじまいであった。


 そう考えると少し興味・・が出てきた。少なくとも緊張は若干和らいだかも知れない。それに加えて……


「大丈夫だ。少なくともお前はあのフィラデルフィアで、悪魔達と直接まみえてきただろ。それを思い返せば大抵の事は乗り越えられるさ」


「……!」


 ビアンカは目を見開いた。ユリシーズの言葉は、まさに今彼女が考えていた事と一致していたからだ。 


「そしてあの時と同じだ。いざとなったら俺がお前を守ってやる。だからお前は余計な心配しないで、思いの丈なり疑問なり遠慮なくぶつけてやればいい」


「……ええ、そうね。その通りだわ。ありがとう、ユリシーズ」


 彼女は万感を込めて礼を言った。彼が付いていてくれる。守ってくれる。そう思っただけで自分の中から不安が消えていくのが解った。彼がおどけた様子で肩を竦めた。


「きっと大統領も今頃、お前に何を言われるか内心で戦々恐々としてるかも知れんぜ?」


「……! ふふ、そうね。そうかも知れないわね」


 ビアンカはその光景を想像して小さく吹き出した。余計な緊張は彼女の中から完全に消えていた。




「……さあ、着いたぞ。ここだ」


「……!!」


 二階に上がり居住棟をしばらく歩いた後(本来は大統領の家族も居住するのだが、ウォーカー大統領は現在は独身で公式・・には子がいない為、大部分は使われておらず閑散としていた)、質の良い木材が使われたドアの前で立ち止まったアダムが、彼女の方を振り向いた。


 ここが大統領の私的な応接室という事らしい。イエローオーバルルームと呼ばれている部屋だ。いよいよだ。だが既に覚悟が決まった彼女は躊躇う事無く頷いた。


「いいわ」


 短く答えると、頷いたアダムがドアをノックする。


「グラントです。目的の人物の保護を無事完了し、こちらにお連れしました。アシュクロフト護衛官も一緒です」



『……ご苦労様、入って頂戴』



「……!」


 中から女性の声で応えがあった。ウォーカー大統領……ビアンカの実の母親の声。勿論テレビやネットの映像などで顔や声は知っている。だが映像で見るのと直に会うのとでは意味合いが全く異なる。 


「失礼」


 アダムがドアを開ける。そしてビアンカを中へと促す。彼女はそれに従って大統領の応接室へと脚を踏み入れる。その後にユリシーズと、ドアを閉めたアダムが続く。


 応接室は広いが、それほど派手な調度品なども無く落ち着いた装いとなっていた。その部屋の中央辺りに低いテーブルとそれを挟むようにソファが置かれており、そこに緑のブラウスとグレーのタイトスカート姿の1人の女性が座っていた。


 実年齢・・・からしてもかなり若々しい容姿で、どう見ても30代にしか見えなかった。ビアンカと同じ色合いの髪をセミロングに垂らし、その容貌は間違いなく美しいと言って良いが、やや細く吊りあがった目はその性格を表わすように、ともすれば冷徹な印象を与えるものだった。


 その顔に掛けている細い縁なしの眼鏡も、彼女の知的で冷徹な印象を補強していた。


 また日々どのようなエクササイズをしているのか、出産を経験しているとは思えない理想的なプロポーションを保っているように見える。


 写真や映像で顔は知っているので見間違えるはずもなかった。この女性こそがアメリカ合衆国の現大統領、ダイアン・ウォーカー本人。この国の歴史上初の女性大統領となった偉人。


 そして……ビアンカの産みの母親。



「来たわね。今更自己紹介も必要ないでしょう。座りなさい」



 ウォーカー大統領――ダイアンはそう言って、自分の対面のソファを指し示す。


「……っ」


 一方のビアンカは物心ついて初めて会う実母の、事務的とすらいえる素っ気ない態度に内心で衝撃を受けた。


 20年近く前に別れただろう実の娘と再会して、第一声がそれか。その表情も特に何の感慨も浮かんでおらず、ただ来客・・に対応しているだけ、という風情であった。ビアンカは無意識に拳を握り締めた。


 ダイアンの眉がピクッと吊り上がり、その目が苛立たし気に細められた。


「何をしているの、さっさと座りなさい。合衆国大統領の時間を無駄にする気なの?」


「……!」


 居丈高な口調と態度からは実の娘、家族に対する愛情や親しみのような感情は一切感じられなかった。ビアンカの顔が青ざめて血の気が引く。



「どうせあなたは私の事を母親とは思っていないでしょう? それも当然よね。そして私もあなたに物心ついてから初めて会う、それも昨日今日母親だと聞かされた女を家族だと思えなどと強制するつもりはないわ。だからお互いビジネスライクでいきましょう」



「……っ!」


 会ったらどんな思いの丈をぶつけてやろうかと考えていたが、先手・・を打たれてしまった。母親と思わなくていい。そう言われてしまったら、湧き上がる全ての思いを口に出せず封印するしかなくなる。


 激情が胸に込み上げ喉元まで出かかる。怒りとも悲しみとも付かない不思議な感情で目が潤む。握った拳が震える。今にも怒りとともに叫び出して、この目の前の憎たらしい女に殴りかかりたい衝動に駆られる。だが……


 スッ……と、大きな手が彼女の肩に添えられる。ユリシーズだ。彼は何も言わなかったが、それだけでビアンカは目の前のダイアンしか認識できなくなっていた事に気付かされた。


 そうだ。後ろには彼がいてくれる。彼は自分の味方だと、守ってくれると言っていた。それだけで彼女は戦える・・・


 相手はカバールの悪魔達とは違うが、これもまた一つの戦いなのだ。そして彼女は自分が根っからの負けず嫌いである事を思い出した。



 先に仕掛けてきたのは相手の方だ。ならば……受けて立ってやる。



 生来の反抗心がムクムクともたげてきた彼女は、怒りや悲しみといった感情を塗り潰すように身体の奥底から闘志・・が湧いてくるのを自覚した。


(ユリシーズ、ありがとう)


 彼はまたしても、そして言葉通り彼女の事を助けてくれたのだ。だが彼に甘えてばかりもいられない。ここからは彼女の戦場であった。



 ビアンカはにっこりと微笑んだ。


「なるほど、確かに変に湿っぽくなるよりその方が合理的ですね、お母様・・・。仰る通り私とあなたは赤の他人。ビジネスライクでいきましょう」


「……!」


 そう言ってソファに座るビアンカに、ダイアンは少し意外そうに目を瞬かせた。ビアンカは再びアダムとユリシーズも怯ませた怖い笑顔で微笑む。


「ほら、座りましたよ? お忙しい大統領の時間を無駄には出来ないんじゃなかったんですか?」


「……ふぅん、なるほど。面白いわね」


 一瞬の動揺から立ち直ったダイアンの方も、目だけは全く笑っていない笑顔を作ってビアンカの視線を受け止める。母娘の視線が交錯し火花が散る。後ろに控えたユリシーズとアダムが、やや居心地悪そうに身じろぎする。 

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