Episode17:ハイエナの罠

 光の奔流はすぐに収まった。ビアンカがそれでもしばらく目を背けていると……


「ぐ……くっ……」


「っ!? ユ、ユリシーズ……!?」


 聞き慣れた声にビアンカは反射的に腕を下ろして、弾かれたように視線を振り向かせた。そして……


「きゃあっ!? ちょ、ちょっと! 何て格好してるのよっ!?」


 そして慌てて再び目を覆ってしまった。その顔は盛大に赤く染まっていた。



 そこには確かに彼女の知っているユリシーズがいた。あの『黒騎士』になって復活した事で、彼が受けた傷も綺麗に治っているようだった。そこまではいい。問題は彼の格好・・だった。


 あの『黒騎士』になった時に着ていたスーツは全部弾け飛んでしまったらしく、彼は一糸纏わぬ全裸・・であったのだ。


 鍛え抜かれて引き締まった肉体と、そして一瞬とはいえ股間のモノが視界に飛び込んできてしまった。勿論彼氏もいた身のこと、それほど初心でもないつもりではあったが、何故かユリシーズの裸を見た事で、まるで生娘のような反応をしてしまったのであった。



「……好きでこうなった訳じゃないんだが」


「い、いいから、とにかく何か着てよ!」


 微妙に納得がいかなそうなユリシーズの台詞を聞きながら、ビアンカは未だに火照った顔を逸らしたまま怒鳴った。


「わかったわかった。……ったく、ちょっと待ってろ」


 溜息とともに彼の気配が遠ざかる。そしてしばらくすると再び気配が近付いてきた。


「……もういいぞ」


「……!」


 彼の言葉にビアンカは視線を戻した。そこにはジーンズに革ジャンスタイルのユリシーズが立っていた。丈が長めのブーツまで履いている。スーツ姿とは全く違う印象となりビアンカは目を瞠った。


「……っ。ど、どこにあったのよ、そんな服?」


 思わず似合ってると口走りそうになり、それを押し留めて誤魔化すように別の話題を振る。ユリシーズはそんな彼女の心の動きに気付いたのか気付いてないのか、口を曲げて肩を竦めた。


「俺達が乗ってきたリンカーンの後部座席にあったんだよ。元々何か衣装が置いてあるのには気付いてたが、その時はそれ以上気に掛けてる余裕がなかったからな」


「そ、そうだったの……?」


 ビアンカは更に精神的な余裕が無かった為、後部座席など一度も見なかったし気にも掛けなかった。どういう理由で衣装一式が置いてあったか解らないが、車だけでなく服まで取られる事になった車の持ち主にビアンカは心の中で再び謝罪した。


「恐らくお前には聞きたい事が山のようにあるだろう事は解ってる。だが今はゆっくり話している時間がない。DCに着いたら今の件についても可能な限り説明する。だから今はDCに向かう事を優先するぞ。いいな?」


「……私の本当の父親の事についても?」


「……! ああ、その事についてもだ」


 ユリシーズは一瞬表情を歪めたが『黒騎士』であった時の記憶はあるらしく、頷いて約束した。



「それと、その……済まなかったな。怖い思いをさせちまった。これだけは信じて欲しいが、アレ・・は俺であって俺じゃないんだ。あんな事をするつもりじゃなかった。それは――」


「――解ってるわ。アレが今のあなたと別人だって事は何となく理解できる。だから、DCに着いてその後ちゃんと全部説明してくれたら許してあげるわ」


 ビアンカがそう言うと、ユリシーズは一瞬虚を突かれたように目を瞬かせた。そしてすぐに苦笑した。


「ふ……そういう所はお前の母親にそっくりかもな。それも約束しよう。……よし、じゃあ行くぞ。幸いというか奴の乗ってきた車がある。今度はあれを拝借するとしよう」


 ユリシーズが示すのは、悪魔プルフラス――エメリッヒが乗ってきたレクサスだ。確かにそれがベストだろう。しかも今度は良心の呵責も無い。


「ええ、行きましょう」


 ビアンカも頷いて車に向かって歩き始める。ユリシーズは先行して車内の確認などをしている。


「奴め、キーを置きっぱなしだぞ。まさか自分が負けるとは露ほども思ってなかったんだろうがな」


 ユリシーズが珍しく声に喜色を滲ませる。だがビアンカは……それを微笑ましいと思う余裕・・が無かった。



「ユ、ユリシーズ……」


 掠れた声で彼の名前を呼ぶ。


「何だ、どう…………」


 彼女の声に車内から振り向いたユリシーズが言葉の途中で硬直する。彼の目線は……




「ほ……まさかプルフラスが負けるとはねぇ。意外と言えば意外だが、私にとってはむしろ運が良かったかな?」




 ビアンカを背後から抱きすくめて・・・・・・、その喉に手を這わせている男へと向けられていた。


「貴様……! ち……"ハイエナ"ジェリーか!」


「その呼び名はあまり好きではないんだがね。それよりはハンター市長・・・・・・と呼んでくれた方が嬉しいねぇ」


「っ!?」


 ビアンカが驚愕に目を見開く。後ろから抱きすくめられていたので顔が見えなかったが、その台詞が正しいなら、この人物はこのフィラデルフィアの市長・・、ジェリー・Tトーマス・ハンター本人という事になる。


 何の前触れも無かった。車を確認しているユリシーズを後ろで待っていたら、突然後ろから抱きすくめられたのだ。勿論反射的に暴れようとしたが、何故か身体が全く動かなかった。



「エメリッヒ君には困ったものだよ。カバールの会議で私がこの地区の『管轄者』に決まったというのに、いつまでもそれを不服に感じていてね。挙句にカバールを出し抜いて『エンジェルハート』を独占しようとした。これはカバールに対する重大な背信行為だよ。君が始末してくれてむしろ手間が省けた」


 ハンターは言葉の合間にも抱きすくめたビアンカの身体をまさぐる。やはりハンター市長もカバールの構成員だったのか。ビアンカは這い回る手のおぞましさに耐えようと歯を食いしばる。


「貴様……その薄汚い手を離せ!」


「薄汚い? 失礼な男だな、君は。私はとても清潔で綺麗好きな事で知られているんだがね。それに離せと言われて離す馬鹿がいると思うかい?」


 ハンターはユリシーズの神経を逆撫でするようにおどけた態度で嗤う。案の定ユリシーズの額に青筋が立つ。


「貴様とくだらん問答をする気はない。カバールに献上するつもりなら、貴様に彼女は殺せんはずだな? では人質としての価値はない。今すぐ彼女を離して俺と勝負しろ。さもなくば……」


「おお、怖い怖い! あいにくプルフラスを屠った君の力は見ているのでね。そう自由には使えん力のようだが、それでも警戒するに越した事はない。私はエメリッヒ君と違って用心深い性格でね。ここは堅実に行かせてもらうよ」


 ハンターはビアンカを抱えたまま一歩後ろに下がった。ユリシーズは反射的に前に踏み出そうとするが、そこに……



「ヤツを足止めしなさい!」


「……!」


 ハンターが大声で合図すると上空から次々と影が舞い降りてきて、ユリシーズとハンター達の間に立ち塞がった。ビブロス共だ。4体いる。 


「ははは! しばらく彼等と遊んでいなさい! 私はその間に舞台・・に向かって、君を歓迎する準備・・を整えておくとしよう!」


「ち……待てっ!」


 舌打ちして追い縋ろうとするユリシーズだが、その間にビブロス共が立ちふさがる。その間にビアンカを連れたハンターの気配が遠ざかっていく。



「ユリシーーー……ズ……!」



 ビアンカの叫びが小さくなっていき、やがて気配と共に完全に消えてしまった。


「くそっ! 邪魔だ、雑魚どもが! どけぇぇぇぇっ!! ビアンカ・・・・ァァァァァッ!!」


 ユリシーズの咆哮が夜の街道に虚しく響き渡った……

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