Episode8:『カバール』


「……カバール、ですって? それがあいつらの名前なの?」


 ビアンカはとりあえず彼の話が真実だと仮定して話を進める事にした。そこで躓いていてはいつまで経っても話が核心に進まないからだ。


 それに彼女は今、彼が口にしたカバールという言葉に聞き覚えがあった。確かあのエメリッヒもそんな単語を口にしていた。ユリシーズが頷いた。


「……カバールって名称自体は、サークルとかそういった意味合いと同じで固有名詞じゃない。この国を裏で食い物にして好き放題やってる奴等がいるんだよ。政治家や企業家、メディアや芸能界、そして司法関係者・・・・・にも……この国の上層部の至る所に病巣のように蔓延ってるクソ共さ。そいつらが裏で組んでいる組織、というかネットワーク自体をカバールと呼んでいるのさ」


「……!」


 司法関係者……。あのエメリッヒはそれに該当するのだろう。いきなりこんな話だけを聞かされたら映画や小説の視すぎ、陰謀論だと笑い飛ばしている所だが、生憎実際に巻き込まれて命まで狙われた身としては到底笑い飛ばす事などできない。


 いや、ただの・・・悪人達に命を狙われたというだけではない。



「じゃああの悪魔みたいな化け物は何なの? 本部長も腕が怪物みたいに変わってたし。あいつらは……人間じゃない、の?」


 勿論人間ではあり得ない。あれが作り物などでない事は、その場にいたビアンカが一番よく解っている。


「悪魔、ね。まあその認識で概ね・・間違いはないな。この世界とは異なる世界の住人で、欲に塗れた人間どもに召喚されて契約を結んで、力を貸す代わりに犠牲となった人間達の魂を食い物にする……。まあやってる事は聖書なんかで書かれてる悪魔そのものだな。或いは奴等の方から欲深い人間どもに接触して契約を持ち掛けたのかも知れんが」


 ユリシーズは可笑しくもないのに乾いた笑いを上げる。


「いずれにせよこの国の暗部に巣食ってるクソ共が『悪魔』と契約していて、お前が実際に見たように人間離れした力を得ている。といっても悪魔と【契約】しているのはカバールの構成員達だけで、例えばさっきのケースならあの本部長だけだろう。周りの奴等はその本部長が【使役】している雑魚悪魔・・・・に乗っ取られたり入れ替わられたりしてるだけだ」


「……!」


 あのビブロスとかいう連中の事か。ユリシーズがそう断言するからには、ビアンカを直接逮捕したパーセル刑事も同じように使役される雑魚悪魔という事になる。



「カバールの連中は悪魔の力を使って、あらゆる悪徳に手を染めていやがる。麻薬や奴隷の売買、ペドフィリア、殺人スナッフ、ネクロフィリア、カニバリズム……他にも何でもござれだ。文字通りこの国を食い物にしてやがるのさ。国民は何も知らない。ただ奴等が好きな時に入れ食いできるまな板の上の食材って訳だ」



「…………」


 怒りと嫌悪に満ちたような彼の言葉と表情が全てを物語っている気がする。彼は以前からこのカバールとやらと戦い続けているのだろう。いや、彼だけでなく……


「そして俺達のボス……つまりお前の母親・・でもあるダイアンは、議員の頃からずっとカバールとの暗闘を続けてきた。この国を奴等の支配から解放する為に戦っているんだ。だがただの一上院議員じゃ力不足だった。しかし彼女は今や大統領になった。カバールは彼女の当選を阻止できなかった。だから奴等は彼女に対して警戒を強めて……彼女の弱み・・を突こうと躍起になっているって訳さ」


「……っ!」


 ビアンカはここに至ってようやく話の流れが見えてきた。自分が奴等に狙われたのはそれが理由なのか。



 ダイアン・ウォーカー大統領は以前に結婚していた夫と死別しており、現在は独身で子供もいない、とされていた・・・・・・。それはつまり解りやすい弱み・・が無いという事も意味しており、カバールとしてはやりにくい相手であっただろう。


「だが……ダイアンには実は子供がいて、こうした争いに巻き込まれる事を怖れた彼女によって市井に隠されて、一般市民として暮らしているって噂はカバールの間でも広まっていたらしくてな。それを察知したダイアンが、お前を密かに監視しながら警護するように俺を派遣したってのが事の成り行きだ」


「…………」


 そして恐らく自分の管轄内・・・にその子供がいる事を突き止めたエメリッヒが、あの強引な逮捕劇を企てたのだ。エイミーはそれに巻き込まれて殺されたのだろう。恐らくビアンカに濡れ衣を着せて逮捕する、ただその為だけに。


 ユリシーズが言っていた、好きな時に入れ食いできる食材、という言葉が思い起こされた。奴等にとってはエイミーを殺した事などその程度の感覚なのだ。


(エイミー……ごめんなさい)


 彼女が死んだのは間違いなく自分のせいだ。自責の念と共に……猛烈な怒り・・が湧き上がってきた。


 エイミーは物静かだがとても頭が良くて優しい子だった。お互いに性格は正反対だったが不思議と馬が合った。2人は親友だったのだ。


 その親友が理不尽な理由で命を奪われた。虫けらのようにあっさりと。




「私……これからどうなるの?」


「とりあえずこうなった以上、この街にはいられん。ここを脱出してDCの……ホワイトハウスに行く事になるな。そこで自分の母親に会ってもらう事になるだろう。後の詳しい事情は全部大統領本人から聞けばいいさ」


 それはそうなるだろう。彼女は今やこの街では、殺人容疑で逮捕された警察署から脱走した指名手配犯なのだから。だが……


「それで一生どこかに匿われて暮らすの? ここまでやられて泣き寝入りなんて冗談じゃないわ。あいつらに自分のやった事の報いを受けさせてやるのよ」


 エイミーの仇を取る。そして彼女自身の生活を壊してその命を狙った事を後悔させてやりたい。彼女はやられっぱなしのままで終わる性格ではなかった。


「……それについては俺達や大統領に任せておけ。とりあえずDCに着いたらお前には新しい身分証を……」


 彼女は激しくかぶりを振ってユリシーズの言葉を拒絶した。


「いやよ! 私も戦うわ! カバールだか何だか知らないけど、そんな奴等に私の人生を好きになんてさせないわ! 私の方から乗り込んであいつらを――」


「――いい加減にしろ!」


「っ!!」


 大声で一喝されてビアンカが思わずビクッと身体を震わせる。見るとユリシーズが今までの調子からは考えられないような怖い顔で彼女の事を睨んでいた。



「あの怪物どもを見てまだそんな事を言っているのか? 奴等はお前を殺す気だぞ? というよりそれが奴等の目的だ。いいからお前は余計な事・・・・を考えずに無事にホワイトハウスに逃げ延びる事だけを考えてろ。これ以上俺の仕事を増やすんじゃない!」


「な……」


 自分の怒りを余計な事などと言われてカチンときた。目が吊り上がる。


「何よ、余計な仕事を増やして悪かったわね! 別にあなたに守ってくれなんて頼んでないわ! 自分の身くらい自分で守れるわ!」


「はっ! 良く言うぜ! あいつらに取り押さえられて『助けてぇ~』て泣き叫んでたのはどこの誰だ?」


「っ!!」


 早くも黒歴史になっていた記憶を呼び起こされてビアンカは盛大に顔を赤らめる。


「う、うるさい! それでも、私は……」


「お前に何が出来る? ビブロスの1体さえ倒せないような、ただの人間のお前に?」


「……! う……」


 それはより根本的な問題であった。男相手にも負けない自信がある彼女だが、それはあくまで人間相手の話だ。あの化け物共は火球や電撃を放つ魔法のような力を操る上、身体能力も人間とは比較にならないくらい高いようだ。奴等に押さえつけられていたビアンカはそう感じた。


 ビアンカが現実的にあの怪物と戦ったとして……正直勝てる自信はなかった。


「現実が見えたか? なら大人しく俺に付いてこの街を脱出するぞ。今日一日はここに身を潜めて、明日の夜には出る。文句は言わせん」


「く……」


 居丈高にそう命令するユリシーズに、ビアンカは唇を噛み締めて呻く事しか出来なかった…… 

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