Episode6:ユリシーズ・アシュクロフト

 大都市フィラデルフィアも、いや大都市だからこそ、住宅街にも元の住人が様々な事情で立ち退いて、その後買い手が付かずに空き家となっている家がいくつもあった。


 そんな空き家の一軒に、現在不法滞在・・・・している住人が2人・・ほどいた。



「……よし、とりあえず追手はいないな? とりあえず今夜はここで明かすぞ」


 空き家の窓から滑るように侵入した男はビアンカも中に担ぎ入れると、その後しばらく外の様子を窺っていたが、ようやく納得したのかある程度警戒を解いてビアンカの方に向き直った。


『שְׁיוׄאוּמֵיאִי』


 男が人差し指を立ててやはりビアンカには聞き取れない言語で何かを呟くと、その指の先に小さな光の球のような物が発生した。ビアンカは再び目にした超常現象に目を瞠る。


 男が指を振ると光の球は上昇していき、天井に接触してそこで止まった。それは簡易的な電球のような効果をもたらし、夜の闇に包まれた廃屋の中を淡く照らし出した。


 その超常現象もさる事ながら、この光が外に漏れて周囲の住民に怪しまれないかと心配になったビアンカだが、男は彼女の心配を見抜いたようにかぶりを振った。


「ああ、問題ない。この空き家の内部に俺の『結界』を張ってあるからな。外からは只の暗い無人の空き家に見えてるさ」


「け、結界、ですって……?」


 よく解らないがやはり魔術的な力か何かのようだ。とはいえそれが手品の類いでない事は、今部屋を照らしているこの灯りや、あの時ビブロスの攻撃を防いだ『膜』、それにこの男が操った風圧のような力からも明らかだ。


 そもそもからしてエメリッヒ達や、あのビブロス達が既に超常の存在であった。もうここに至って彼女は、自分が今までの常識からは考えられないような事態に巻き込まれている事を認めざるを得なかった。



「……あなたは一体何者なの? 何が起きてるの? 何であいつらは私を狙っているの? あの化け物達は一体何なのよ!?」


 今までは矢継ぎ早に状況が展開していた為に聞く暇が無かったが、聞きたい事は山のようにある。質問が口を出るたびに感情が昂って最後は詰問のような口調になっていた。


 余りにも理不尽であった。余りにも不条理であった。自分は精神的にも強い人間で何物にも動じないなどと自惚れていたが、どうもそれ程ではなかったようだ。


「おい、落ち着け……といっても無理か。だが意外だな? あんなに自信満々で自分に出来ない事なんて何もないみたいな態度してたくせに、今じゃすっかり怯えて隅で縮こまった子兎みたいになってるぞ?」


「な、何ですって……!?」


 男の面白がるような台詞に、ビアンカは自分でも思っていた事を揶揄されて羞恥に顔を赤らめる。だが羞恥と同時に男に対する反発も芽生える。


「な、何よ……だって仕方ないじゃない! 急にこんな事態に巻き込まれたら誰だってそうなるわよ!」


 あんな悪魔みたいな化け物に命を狙われる経験など想像できるはずもない。ましてや今は氏素性も知れない怪しい男に攫われて手錠まで掛けられている状態では……



「……!」


 そこで思い出した。まだ後ろ手に手錠を掛けられたままであった事に。


「ちょ、ちょっと……。その前にこれ外せない?」


 ビアンカは身体を捻じって後ろ手の手錠をアピールする。すると男も今気づいたように眉を上げて、それから盛大に溜息を吐いた。


「はぁ……そうだったな。全く……そんな物一つ自力で外せないで、よくデカい態度取れたものだな?」


「……っ。し、仕方ないでしょう? 私は人間なのよ。アンタ達化け物と一緒にしないでよ。……ていうか何なのよ、あなた? 何で私にそんな突っかかるのよ。私、あなたに何か…………あ」


 抗議しつつ男の態度に疑問を持ったビアンカだが、喋ってる途中である事・・を思い出して固まった。それを見て男が皮肉気に口を歪める。


「は……! 思い出したか? お前、人に向かってパチンコでゴミだの何だの、終いには犬の糞まで撃ち込んでくれたよなぁ?」


「……っ! そ、それは、その……」


 男の言っている事は事実だ。少し私生活などでストレスを感じた際に、どうせ付き纏って離れないのだからと、この男目掛けてパチンコで色々な物を撃ち込んで遊んでしまった事があった。(勿論犬の糞を撃ち込んだ時は、ゴム手袋をしていたが)


 別にストーカー相手なら何をしてもいいと思っての行動であった。



「ち……俺も焼きが回ったモンだ。まさか犬の糞を投げつけるような女の警護・・を命じられちまうとはな」



「……! 警護、ですって?」


 やはりこの男があのタイミングで警察署に乗り込んで来たのは偶然ではなかったのだ。だがそれを聞く前に、男が溜息を吐きながらもビアンカの後ろに回り込む。そして手錠の鎖を掴んで、やはり例の聞き慣れない言語で何かを呟く。すると金属の鳴る音と共に手錠が独りでに外れた。


「ほら、外れたぞ」


「あ……あ、ありがとう……」


 ビアンカは自由になった手で手首を擦りながら、少し言いづらそうに口の中でもごもごと礼を言う。それを見た男が再び少し口の端を歪める。


「へ、どう致しまして? さて、それじゃアンタの疑問に可能な限りは・・・・・・答えてやるよ。ただしまだアンタに話す許可・・が出ていない案件については答えられないがな」


「許可?」


 先程の「警護を命じられた」という台詞といい、この男は誰かの命令で動いているらしい。誰か、あるいはどこか・・・の命令で。



「じゃ、じゃあまず……あなたは一体誰なのよ? 名前くらいは答えられるでしょ?」


 とりあえずまず名前は聞いておきたい。面と向かって呼ぶかどうかはともかく、名前が判らないとまず怪しい人物という印象がいつまでも抜けない。男は肩を竦めた。



「それは構わんよ。俺はユリシーズ。ユリシーズ・アシュクロフトだ」



 そう名乗って、男――ユリシーズは、先程の戦いの最中も外さなかったサングラスを外した。


「……っ」


 ビアンカは無意識に息を呑んだ。ユリシーズの瞳の色は……黄金。金に輝いていたのだ。それは人間では決してあり得ない魔性の瞳であった。だがその時ビアンカが感じたのは魔性への恐怖ではなく……


「綺麗……」


 彼女は思わず呟いていた。ユリシーズの瞳は見ようによっては幻想的とも言え、その非人間的な輝きは普通の人間の瞳には決して出せない引き寄せられるような美しさがあったのだ。


 ビアンカの反応にユリシーズは戸惑ったように目を瞬かせる。


「……そういう反応は初めてだな。大抵の人間はこの目を見ると気味悪がって敬遠するようになるからな」


 そう言って微妙に目を逸らすユリシーズ。ビアンカは初めて落ち着いた状況で、尚且つ間近で彼の顔を見たという事に気付いた。



 意外といっては失礼だが、黒いスーツにサングラス、撫でつけた短髪という外見のイメージからするとかなり若い。外見的な年齢は20代半ば程度、少なくともまだ30には届いていないのではと思われる。(勿論それでも19歳のビアンカよりはずっと年上であろうが)


 更に言うなら彼がよく見ると非常に整った容貌をしている事にも気付いた。今までは遠巻きに監視されているだけだったし、こちらもストーカーという意識があった。それに常にサングラスを掛けているから分かりにくかったのだが、こうして間近でサングラスも外した事でそれが分かった。


 身長は185くらいはあるだろうか。体格もスーツの上からでも解るくらいに厚みがあって鍛え抜かれているのが見て取れた。


(な、何よ、こいつ。結構カッコいいじゃない……)


 こうして間近で接する事でようやくそれに気付いたビアンカであった。だがそれを口に出してこれ以上彼を誉めるのは何となく嫌だったので黙っていた。

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