Episode5:謎の男

「脱出だと? 貴様……何者か知らんが、邪魔立てする気なら貴様も死んでもらうぞ」


 エメリッヒが2人の警官に合図すると、警官達の顔だけでなく全身・・が変化した。背中から1対の巨大な蝙蝠のような皮膜翼が出現し、頭には角が生えて、割けた口には牙が生え並ぶ。そして筋肉が剥き出しになったかのような赤銅色の肌。その姿はまるで……


(あ、悪魔・・……?)


 ビアンカは唖然としてしまう。そう。警官達が変化した姿は、まるきり聖書や伝奇の中に登場する『悪魔』そのものの姿だったのである。


「ふん、ビブロス共か。俺の相手をするには2匹じゃ足りないぜ?」


 だが男はこの異常な『悪魔』の姿を見ても何ら動揺する事は無く、逆につまらなそうに鼻を鳴らした。


 ビアンカは男の正体も解らないながら、何故かその姿を頼もしいと感じてしまった。そしてすぐにそんな自分の心に戸惑った。つい先程までエイミーを殺した犯人だと思い込んでいた男なのに。



「殺せっ!」


 だがエメリッヒの大声ですぐに我に返る。命令を受けた悪魔――ビブロス達が男に襲い掛かる。ビブロスの1体が掌を掲げると、その先にスパークのような物が発生し、一条の電撃が男に向けて迸る。


 その超常現象に目を瞠るビアンカだが、男は自身も掌を掲げると、その手の前面に黒っぽい半透明の『膜』のような物が出現する。その『膜』がビブロスの電撃と接触すると激しい放電現象が起きたが、電撃が消滅しても『膜』は無傷のままだった。


「ふん!」


 男は『膜』を解除すると、自分から躊躇いなくビブロス達に向かって突進する。その突進のスピードも人間離れしている。


 ビブロスのもう1体が手に剣のような武器を出現させて、その剣で斬り掛かってくる。ビアンカの目から見てもかなり鋭い斬撃であったが、男は容易くそれを掻い潜るとカウンターでビブロスの頭に腰の入ったストレートを叩き込んだ。


 ビブロスの顔面が原型を留めないくらいに凹んで、もんどりうって倒れた。するとそのビブロスは起き上がる事無く、空気に溶け込むようにして消滅してしまった。こいつらは死ぬと消滅するらしい。いや、そんな事よりも……


(う、嘘でしょ……!?)


 悪魔のような姿の化け物を一撃で即死・・させた男の馬鹿げた膂力に、ビアンカは状況も忘れて再び唖然としてしまう。


 もう1体のビブロスが、今度は掌からバスケットボール大の火球を発生させて飛ばしてくる。男は今度は『膜』を張る事無く、まるでボクシングのスウェーのような動作で火球を躱すと、やはり人間離れした速度の踏み込みで肉薄。ビブロスの胸の辺りに強烈な蹴りを叩き込む。


 ビブロスは身体を折り曲げて吹き飛び、壁に激突。口から大量の黒っぽい液体を吐き出すと、やはりそのまま消滅してしまった。


 言葉通り一瞬で2体のビブロスを倒してしまった男がこちらに向き直る。



「化け物め……動くな! 動けばこの女を殺――」


 パーセルがビアンカのこめかみに銃を突き付けて男を牽制しようとする。理由は不明だが男の目的はビアンカのようなので、確かに人質にするのは有効だろう。だが……


『הוּאוּאָצוּ』


 男が全く聞いた事もないような言語で何かを呟きながら、こちらに向かって手を突き出す。すると室内にも関わらずまるで突風のような現象が吹き荒れた。


「何……!」


 その突風は不思議な事にビアンカにはただの強めの風圧にしか感じられなかったが、パーセルとエメリッヒは強烈な衝撃を浴びたかのように大きく後退してたたらを踏んだ。パーセル達が完全にビアンカから離れる。


 その隙を逃さず男が、再びあの瞬間移動の如き踏み込みでビアンカの側に出現・・した。


「あ、あなた一体…………きゃっ!?」


「話は後だって言ったろ。今はここから逃げるのが先決だ」


 男がまるで荷物のようにビアンカを担ぎ上げる。乱暴な扱いに彼女は反発を感じたが、後ろ手に手錠を掛けられたままでは碌に抵抗も出来ないし、それに確かに今はそんな事を気にしている場合ではない。


「おのれ、逃がすか……!」


 パーセルが男に向けて連続して発砲する。だが男は信じがたい事に、左腕だけを高速で動かして銃弾を全て弾き飛ばしてしまう。


「……奴らまで相手にしてる時間は無さそうだな」


 男が呟くのとほぼ同時に、ジェイルに大勢の警官達が雪崩れ込んできた。外から派手に壁をぶち破った時点で騒ぎにはなっていたのだろう。今この警察署にいる警官の殆どか駆け付けてきそうな勢いだ。当然エメリッヒとパーセルは既に人間の姿・・・・に戻っている。



「貴様1人ならともかく、その女を連れていては自由に動けまい。例えここから逃げおおせたとしても、貴様らは最早指名手配犯だ。この街からは絶対に逃がさんぞ」


 エメリッヒが視線だけで人を殺せそうな目で男を睨む。確かにエメリッヒは表向き・・・はこの街の警察本部長なので、実際に脱獄・・したビアンカ達を逃亡犯に仕立て上げるのは簡単だ。だが男はどこ吹く風といった様子で肩を竦める。


「さて、どうだろうな。とりあえずここを脱出してから考えるさ」


 男はビアンカを担いだまま、自らが開けた壁の穴の縁に足を掛けた。ここは4階か5階辺りの高さだが、男は全く構わずにここから飛び降りる気のようだ。慌てたのはビアンカだ。


「ちょ、ちょっと、まさか、嘘でしょ――」


「――心配するな。舌噛まないようにだけ気を付けてろ」


「……っ!」



 慌てる彼女に構わず、男は躊躇いなくビアンカを担いだまま、竪穴から外に向かって身を躍らせた!



「き――――――っ!!!」


 甲高い悲鳴を上げそうになったビアンカだが、直後に物理法則によって凄まじい勢いで地面に引っ張られていく感覚にゾッとして、悲鳴を上げる事すら出来ずに無我夢中で目を瞑って歯を食いしばる。


 物凄い風圧が身体の下から叩きつけられる感触。生きた心地がしなくなる。


『הוּאוּאָצוּ』


 だがその時再び男の口から何か呪文のような声が漏れ聞こえ、次の瞬間明らかに下から叩きつけられる風圧が格段に弱まった。そして……



「よし、もう目を開けていいぞ」


「…………あ」


 男の声にビアンカが恐る恐る目を開けると、そこは既に地上であった。見上げると警察署の外壁が聳え立っており、男が開けた竪穴がかなり上の方に見えた。あんな高さから飛び降りたのだ。なのに自分達は全くの無事だ。


 ビアンカは改めてこの男が何者なのか激しく気になった。だがやはり今はそれを追求してる場合ではなさそうだ。


 あの竪穴やその下の階の窓から大勢の警官達が顔を覗かせて、こちらを指差して何かを怒鳴ったりしている。余り猶予はなさそうだ。



「さて、とりあえずとっととここからズラかるぞ」


 そう言うと男は再びビアンカの返事も聞かずに、彼女を担いだまま物凄いスピードで夜の街に走り出した。


(一体、何が起きてるの……? 私、これからどうなるの……?)


 男の肩に担がれて揺られながら、ビアンカは自らが巻き込まれた事態とこれからの事を思って不安と悲嘆に暮れるのであった。

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