Episode4:化け物の巣窟

 そのままパトカーに乗せられ、警察署内にあるジェイルにぶち込まれたビアンカ。抵抗して警官に暴力を振るってしまった事で、彼女に対する扱いは一気に手荒くなった。


(くそ……何でこんな事に……。でも私はエイミーを殺してなんかいないんだから、きっとすぐに間違いが認められて釈放されるはずよ。そうしたら逆に警察を訴えてやるわ)


 檻に入れられてまんじりともしない夜を過ごす事になったビアンカは、必死にポジティブな事を考えて不安を紛らわせようとする。


 だが現実的に考えて、今のままだと彼女の無罪を立証する証拠がない。あのスーツの男がむざむざ警察の前に姿を現すとも思えない。


 彼女は既に両親が他界していて親戚とも縁が切れているので、保釈金の当てもない。ヴィクターにその役割を期待するのは酷という物だろう。



「……!」


 そんな漠然とした不安に慄いていた彼女は、その時誰かがこのジェイルに近づいてくる足音を聞いた。ジェイルには何故か同じように留置されている被疑者も他に誰もおらずがらんどうとしていた。


 それもまた彼女の不安を煽る要因に一役買っていた。確かにフィラデルフィアは比較的治安の良い街だが、それでも警察署のジェイルに誰もいないなどという事があるだろうか。妙な不気味さを感じていた。


 足音は徐々に近づいてくる。明らかにここに向かってきている。しかも1人ではなく複数いるようだ。ビアンカは緊張に身を固くしながら待った。



 現れたのは3人の男であった。先頭にいるのはビアンカを逮捕したあのジャック・パーセル刑事だ。パーセルは牢の中で緊張している彼女を見て底意地の悪そうな笑みを浮かべる。


「ふふ、大分しおらしくなってきたじゃないか。最初からそうして大人しくしていれば良かったものを」


 その悪意に満ちた言葉と笑みを見て、ビアンカは寮で逮捕された時から感じていた違和感が強くなる。そう……パーセルは明らかに最初から・・・・ビアンカに対して悪意を抱いているような節があった。難癖とも言える強引な逮捕劇にもそれが現れている。


「な、何……? 何なのよ、あなたは。私に何か恨みでもあるの? 私が一体何をしたって言うのよ?」


 少なくとも彼女には全く心当たりが無かった。或いは亡くなった父親絡みだろうか。父は連邦政府の職員だったらしいが、機密性が高い部署らしく娘であるビアンカも詳細は知らなかった。考えられる心当たりはそれくらいだ。


 だが大都市とはいえ一市警察の刑事にしか過ぎないパーセルと、一体どんな接点があったというのか。彼女はそんな事を考えるが、パーセルはかぶりを振った。


「恨み? 別にそんな物はないさ。……まあ、何も知らんのは幸せな事だな」


 ビアンカには理解できない意味深な台詞を呟くと、随伴している2人の警官に合図してジェイルの扉の鍵を開けさせる。そして3人で檻の中に踏み込んできた。


 何をする気かとビアンカが反射的に身を固くするが、パーセルはお構いなしに警官達に合図する。すると2人の警官が彼女に近付いて再び手錠で拘束しようとしてくる。


「……! な、何をする気!? 離してっ!」


 本能的に身の危険を感じたビアンカが抵抗するが、今度は警官も大人しく打たれてはいなかった(尤もあの時とは別の警官だが)。


 ビアンカが繰り出した鋭い手刀を片手で軽々と掴み取る。そして強引に後ろ手に捻じり上げる。


「ぐぅ……!!」


 痛みに呻くビアンカ。物凄い力だ。人間離れしていると言ってもいい。今まで自分より大柄な男と取っ組み合いの喧嘩になった事も一度や二度ではないが、それらに比べていくら警察官とは言ってもこの怪力は尋常ではなかった。それに自分の手刀があっさり掴み取られたのも信じられなかった。


 それでも抵抗を諦めず足で暴れるが、もう1人の警官がやはり彼女の蹴りを受け止めて片脚を掴み取ってしまう。こちらも凄まじい力で全く振り解けない。


「く……!」


 完全に動きを封じられてしまったビアンカは、抵抗も虚しく再び後ろ手に手錠を掛けられてしまう。そしてそのまま強引に押さえつけられて、壁際に据え付けられている長椅子に座らされる。彼女がどれだけ暴れようとしても、警官達の力は相変わらず人間離れしていて全く動けない。


「抵抗などしても無駄だと言うのに、学習能力のない女だ」


 パーセルがそんなビアンカの苦境を嘲笑う。そして彼は牢の外・・・に向かって声を掛ける。



本部長・・・、お待たせしました。じゃじゃ馬の抑え込みが済みましたのでどうぞ」



「……っ!?」

(本部長? 今、本部長って言ったの?)


 ビアンカの知識が確かならば本部長とは警察本部長の事であり、基本的にどの自治体警察でもその組織のトップ・・・に位置する役職であるはずだ。


 果たして牢の外にもう1人の男が現れた。50絡みの少し恰幅が良い男性であった。茶色の短髪は所々白髪が混じっている。この男がフィラデルフィア警察の本部長か。



「ふふふ、よくやったぞ、パーセル。全く……まさかこの街にいた・・とは、私も運がいい。"ハイエナ"ジェリーなんぞにくれてやるものか。この手柄も栄誉も全て私のものだ。カバールでの出世も思いのままだ」



 本部長は訳の分からない事をべらべらと上機嫌に喋りながら近づいてくると、座らされているビアンカの顎を掴んで無理やり顔を上げさせた。


「……っ」


「やあ、お嬢さんフロイライン。ようこそ私の『城』へ。歓迎するよ。私はこのフィラデルフィア警察本部長のエメリッヒだ。極めて短い付き合いになるだろうが、以後お見知り置きを」


 慇懃な口調とは裏腹にビアンカの顎を掴むその手は無遠慮極まりない。彼女はせめてもの抵抗に頭を激しく振ってその手を振り払う。


 だがそんな儚い抵抗はエメリッヒの嗜虐心を満たしただけのようで、彼は嗤いながら更に強い力でビアンカの顎を把持してきた。


「うぐ……!?」


 やはり恐ろしく強い力に抗えず彼女は苦し気に呻く。何が起きているのか全く把握できなかった。解っているのはこの男達は彼女に対して何らかの悪意、害意を持っているという事だけ。



「さあ、それでは……『宝』を頂くとしようか」



 エメリッヒは嗜虐心に満ちた笑みを浮かべながら右腕を掲げる。すると目を疑うような事象が起きた。


(あ、あれは……何!?)


 エメリッヒの右腕が見る見る内に変化・・を遂げていく。まるで果物の皮でも剥がすようにエメリッヒの腕の皮膚が剥がれていき・・・・・・、中から異形の『腕』が姿を現したのだ。


 それは人の腕の形だけは残しているものの、エメリッヒの身体とは不釣り合いな程の大きさで、赤黒い血管が脈打っているかのような節くれだったおぞましい表皮に、太い指の先にはビアンカの腹など容易く貫けそうな鋭く長い鉤爪が生え並んでいた。


 それは、明らかに人間の腕ではなかった・・・・・・


(な、何!? 一体、何なの……!?)


 この時点でようやく彼女にも、何か尋常ならざる事態が起きている事が理解できた。あれは明らかに特殊メイクなどではなく、本物・・だ。


 いや、腕だけではない。エメリッヒの顔も異常に口が裂けて、目も赤く発光する縦長の瞳に変化していた。それは人間ではない、完全におぞましい化け物の面貌であった。


 パーセルや2人の警官はエメリッヒの変化を見て驚いている様子が無い。それどころかニヤニヤと相変わらず厭らしい笑みを浮かべてビアンカを押さえつけている。彼等の顔もまたエメリッヒのように口が裂けて目が赤く光る醜い顔に変わっていた。こいつらもエメリッヒと同じような存在なのだ。



「い、嫌……嫌ぁぁぁっ!! 誰か、誰かぁぁぁぁっ!!!」


 ビアンカは声を枯らして絶叫する。しかしそれは虚しくジェイル内に響くのみで、誰かが駆け付けてくる気配はない。エメリッヒが嗤う。


警察署ここは私の支配下にあるのだ。叫んでも誰も来るものか。だからこそ強引に逮捕してここに連れ込んだのだよ。ここなら誰にも邪魔される事はないからな」


「……っ!」


 醜く裂けた口で喋るエメリッヒの言葉にビアンカは絶望する。


「安心しろ。お前の心臓・・が欲しいだけだ。無駄に暴れなければ痛みを感じる間もなく死んでいる事だろう。じっとしていろ」


 遂に明確な殺意を口にするエメリッヒ。理由は全く分からないが、この化け物達は彼女を殺そうとしている。それだけは間違いない。


「嫌! 触らないでっ!」 


 暴れるなと言われて、その通りに出来るはずなどない。彼女は生存本能から全力で暴れ狂った。だが後ろ手に手錠を掛けられている上に、人間以上の身体能力を持っているらしい化け物に取り押さえられていては、碌に抵抗できるはずもない。


 動けない彼女の胸の辺りに、エメリッヒの怪物の腕が近付いてくる。黒っぽい色をした禍々しい鉤爪が視界の中で光る。あれがもうじき彼女の胸を刺し貫くのだ。



「た、助けて……。誰か、助けてぇぇぇェェッ!!!」



 武術を身に着けどんな危険にも自分で対処できると豪語し、実際複数の男相手にも負けた事はなかった。だがそれはこの状況では何の役にも立たなかった。


 自分の力及ばぬ事態もあり得る。その当たり前の理を彼女は初めて実感したのであった。尤もこのような状況を体験する人間はそう多くはないだろうが。


「ははははは――」


 気丈でどんな男にも負けないと自負していたビアンカが、絶望して少女のように泣き叫んで助けを求める姿にエメリッヒは哄笑する。そして容赦なく鉤爪で彼女の胸を抉ろうとした時――



 丁度ビアンカたちがいる壁際の、少し逸れた位置辺りの壁に大きな亀裂が走る。そして内側・・に向かって大きく凹む。……薄い板ではない堅牢な建物の壁が、である。



「……! 何事だ……!?」


 エメリッヒやパーセル達が、思わずビアンカへの行為を中断してその現象の方に目を向けた。次の瞬間大きく内側に凹んだ壁に、更に外側から圧力が加わり壁が完全にぶち破られて大きな穴が開いた。大量の破片が飛び散り、壁の中の建材や配管なども千切れて露出していた。


「な……」


 飛び散る破片や粉塵などから顔を庇っていたエメリッヒ達は一様に唖然とする。彼等が見守る中、壁に開いた大穴から1人の男・・・・が姿を現した。



「ふぅ……ギリギリ間に合ったか。外側から位置を特定するのに少し手間取っちまったな」



 そうボヤく男の姿を見たビアンカもまた、その目を大きく見開いた。その男が壁をぶち抜いて登場したからではない。いや、それも勿論驚いたが、それ以前にその男は彼女がある意味・・・・で非常に見覚えのある男だったからだ。


「あ、あなたは……」


「こうして直接・・話すのは初めてだが、生憎今はゆっくり話してる暇がない。まずは急いでここから脱出するぞ」


「……!」


 それは最近ビアンカの周辺に出没するようになって、今回もエイミーを殺した犯人ではないかと彼女が睨んでいた、例の……黒いスーツとサングラスのストーカー男であった!

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