5.………

「ダ・カーラが娘、アルカドス・ダ・カーラのお帰りですよ、っと」


 この部屋に戻ってくるよりも以前から嫌な兆候は現れていた。サキがアルカドス・ダ・カーラ聖公女として人生を歩みはじめてから一度もリタと出会わなかった。リタの代理人、いわばアルカドスの世界の人々の言う『神の降臨』が実現しなかったのである。


 定期的にサキと会うこと。動向を互いに確認しあうこと。絶対に守らばければならないルールとして決めたものである。


 リタは約束を放るような存在ではなかった。もし仮に、何食わぬ顔で現れたならば薬物による処刑の人道性について嫌になるほど聞かせてから文句を言うつもりだった。


 なのに――サキが目のあたりにしたあの部屋には見る影もなかった。使用人の姿もなければ、白で埋め尽くされていた光景はいずこへ。薄暗い室内のあらゆるところに影があった。薄闇に支配されている。荒れた、という言葉が頭に浮かぶ。


 部屋をうろつきまわって違和感を探した。リタの身に何かが起きたことは間違いない。アルカドスの前に姿を現さなかったことを考えるとかなり早い段階で何かされたのだろうけれど、手がかりの一つすら残していないというのは考えたくなかった。


 サキとリタの接点はこの部屋だけ。


 ならば、この部屋に何か残してくれなければ困る。


 荒らされた形跡はなし。


 タブレットは充電中。ボタンを押せばホーム画面。何かしらのメッセージもなければ、いじった形跡もない。


 薄型テレビに据え置きのゲーム機。


 気持ち程度に飾られた植物は枯れていて、その横のぬいぐるみは相変わらず微笑んでいる。


 変わらない配置。照明がついていない代わりに常夜灯がついている点を除けば、変わったところなんて見当たらない。


 サキはソファーにもたれかかった。まさか何も残せないほどのスピード? 背中だけでなく首もソファに預けた。背もたれのヘリに両手を広げて、力なく天井を見上げた。どうしたものか――


 サキに対して何か行動があるとは踏んでいたけれども、直接リタに手を出す可能性は低いと思っていた。このパターンは最後の最後に話したけれども、大した対策を練っていなかった。臨機応変、その場の判断で、としか。


 照明フードの中の常夜灯が形作る曖昧な輪郭を眺めていたら、聞き慣れない音を耳にした。聞いたことがある、けれどもこの部屋で聞いたことのない音。金属と金属が絡まり擦れあいぶつかり合う音。


 鍵?


 聞き耳を立ててみればそれなりに大きな音だった。壁のすぐ向こうから発せられているようだった。


 ひときわ大きな音。鍵が引き抜かれた。


 サキが音のする方向に顔を向けるのと、部屋に光が差し込むのは全く同じタイミングだった。

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