2.おかえりなさいませ、エオラ・ロ・トルウェッチ子爵令嬢

 気がづいた瞬間、サキは恐怖に支配された。


 その場に崩れ落ちたことも気づかなかった。サキは直前の記憶の中に取り残されていた。


 巨大な大釜。なみなみと注がれた油。もくもくと湯気が立っていた。


 手足を縛られて縁に立たされる。目隠しはされなかった。


 突き落とされる。


 全身を襲う痛みは、激痛という言葉を以てしても表現できない。エオラ・ロ・トルウェッチに対する徹底的な否定だった。


 釜の上で逆さ吊りになる。全身から滴り落ちる高温の油が肌を、肉を揚げてゆく。全身の激痛はそのまま、鼻の穴に油が流れ込んで激痛を誘う。


 絶叫すれば、口の中に油が入り込んでくる。


 自らの体が揚がってゆく。


 絶叫。喉が震えている感覚だけがかろうじて分かる。目と耳はすでに機能しなかった。けれども、想像だけはできる。


 絶叫に歓喜する民衆。


 再び揚げられる。


 ――揚げて吊るされての無間地獄。


 サキはまるで我を忘れていた。その場でのたうち回り、ありもしない油に殺されかけていた。振り払おうと手足をばたつかせて、時には口や鼻、耳に入った油をかき出そうと指を突っ込んでいた。絶えず叫び声をあげた。


「お帰りな……ああ、サキ様、大変でございました」


 サキにリタの言葉は届かない。サキは世界から戻ってきてもなお処刑されているのだから。


 リタがサキを抱きしめた。リタの腕の中では依然としてサキが揚げられているのだろう、激しくみじろぎをして暴れていた。サキには何も見えていなかった。何も聞こえていなかった。


 断末魔。


「サキ様、サキ様――」


 サキの意識を取り戻すため、リタは強く抱きしめて自らの声を聞かせる。それ以外に何もできなかった。

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