2.母恋し

 「ママが欲しい」


 クリスマスイブの夜、枕元に置かれた大きめの靴下の中に入れられた美代子の手紙に書かれた、その文字を見た時、私は頭を抱え、深い溜め息をついた。


 3年前に妻である小夜子を亡くして以来、娘がふさぎ込んでいることに流石に気付いてはいたものの、美代子自身が表だって泣き言を漏らさないのに甘えて、ついその方面を蔑ろにしていたツケが、今になって回ってきたというべきか。


 単に戸籍上の母親というだけなら、私が再婚すればいいので、簡単、とまではいかないまでも、不可能ではない──私にその甲斐性があるか否かはこの際別にして。


 しかし、そうして出来た「母親」が、美代子の意に沿う存在かと問われれば、はなはだ疑問視せざるを得ないだろう。


 「どうしたもんかなぁ」


 最善とまでは言えずとも、次善の策としては、実家の母──美代子にとっては祖母にあたる存在や、義姉──小夜子の姉で、美代子から見て伯母にあたる女性に頼ることだろう。


 もっとも、あの事故の直後、手を差し伸べてくれたそのふたりに、「美代子は俺がひとりで育てます!」と威勢良くタンカを切った手前、どうにもバツが悪い話ではあるが。


 とりあえず、美代子が以前から欲しがっていた携帯電話(ただし子供向けの機能限定品)を、手紙の入っていた靴下に押し込むと、私はナイトキャップ代わりのウィスキーを軽く一杯ひっかけて、ベッドに入った。


 ──そして、その夜、不思議な夢を見たのだ。


 いや、今にして思えば、アレは夢ではない。少なくとも、曖昧模糊とした潜在意識と記憶の塊りが紡ぐ、絵空事ではないはずだ。


 その夢の中では、パジャマ姿の美代子が、真っ赤な衣装の老人──誤魔化すのは止めよう。言い伝えに聞くサンタクロースそのものにしか見えない衣裳を着た、初老の外国人男性と会話していたのだ。


 「ふぅむ、では、美代子ちゃんはクリスマスプレゼントにママが欲しいんじゃな?」

 「うん。あのね、クリスマスって一年で1回だけのすぺしゃるなプレゼントがもらえる日なんでしょう? だったら、わたしは……ママがいい」


 嗚呼、やはり男親では真の意味で娘の力にはなれないということなのか。

 確かに、家事その他で不慣れな我が身では、娘の世話を満足にこなせているとは言い難いのも確かだ。


 「むぅ……いかに1年だけとは言え、死者の蘇生は、さすがに禁忌に触れるのじゃがなぁ」


 腕組みをして、どうしたもんかと、チラとコチラに目をやりながら考え込む老人。

 その様子からすると、「禁じられているからやらないが、その気になれば死者の復活も可能は可能」らしいという様子が見てとれた。


 私は決意をかためて──届くかどうかわからないが、心の中の声で呼びかける。


 『サンタさん、もし貴方が本物だと言うなら、提案がある。

 3年前に死んだのは、妻である小夜子ではなく、夫である孝太郎だった──そういう風に事実を改変できないだろうか? 

 死者の魂が現世に舞い戻るのが問題だと言うのなら、私が妻の身代りになろう。

 この世から久賀孝太郎が消え、代わりに久賀小夜子が甦るのなら、帳尻は合うはずだ』


 さほど期待はしていなかったのだが、すぐにテレパシーのようなもので返事が来た。


 『む。それなら確かに、ワシの負担も、現世の歪みも最小限に留められるが……お主は、それで良いのか?』

 『──はい。娘のためなら構いません』


 清水の舞台から飛び降りる以上の悲壮な決断だったが、それに対するサンタの答えは、予想外に明るかった。


 『……よ~し、わかった、その方向でとりはからおう! とは言っても、何、心配するな。ワシらが贈る“物”以外のその種のプレゼントは、基本的に1年限りのものだ』

 『! ということは』

 『うむ。来年のクリスマスが来れば、晴れて元通り、久賀孝太郎は復活できる』


 それを聞いた時、私の心に安堵が浮かばなかったと言えば嘘になるだろう。

 いくら娘のために覚悟を決めたとは言え、やはり私も人の子、死ぬのは正直恐い。


 しかし、天国だか地獄だか霊界だか、とにかく“あの世”にいるのが一年間だけで済むと言うのなら、確かに有難い話だった。


 『それでは、明日の朝、お主が目を覚ましたとき、久賀孝太郎の存在は消え、妻である久賀小夜子………』


 サンタのテレパシー(?)の語尾を聞き取る前に、私はスーッと気が遠くなるのを感じた。


 (ああ、これで一年間はあの世逝きか。まぁ、可愛い娘と妻のスキンシップの機会のためなら、この程度は我慢しないとな)


 最後にそう考えていたのだが……しかしながら、翌朝、私が思っていたのとはいささか異なる形で娘の願いがかなっていることを、私は目にすることになるのだった。

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