第3話 箱舟
『夢をみていた。星空を観るために改装間近のロープウエイで悪天候を悔しがりながら夜の高山に登る初老の夫婦の夢を』
『星々の間を駆け続けているのに…何故そんな夢をみるのかしら?』
アルテミスの声がおかしげに笑う。
『多分、スリーパーの意識が混濁したのね。
早速だけど、夜の間の航跡とログ、イベントを引き継ぐわ』
膨大な量のデータと映像、航行履歴が意識の中に流れ込む。
『いつものことだけど、フォアグラにされるために餌を詰め込まれるガチョウの気分になるよ』
『いつものことだけど、吊るし切りにする鮟鱇に水を飲ませる料理人の気分になるわ。
それと火星からアンシブル通信で気になるメッセージが届いているから確認してちょうだい』
『鮟鱇とはあんまりだ! 火星からのメッセージは何を伝えてきた?』
『〝世界の重ね合わせ〟とのみ…詳細はこれから届くと思う。引継ぎはこれ位でいいかしら?眠くてたまらないの。夕暮れにまたあいましょう』
『了解』
アポロンとアルテミスは、地球から蠍座方向に217光年離れた恒星TESS14967の第3惑星TESS14967Cに向けて航行中の恒星間宇宙船アルゴ2を制御する一対の人工意識体(AC)だ。アルゴ2は加速しながら航行しており、現在の速度は光速の約20%、太陽系を離れてからの凡そ150年の航行で地球から12光年の距離に達している。
アルゴ2は太陽系外惑星への植民を目的としているが、生身の人間は搭乗していない。スリーパーと呼称される量子メモリーに記録された人格情報及び対象者の細胞から生成された肉体構成用の特殊iPS細胞のセットが20万人分搭載されている。目的の惑星のテラフォーミング完了後に、予め計画された優先度に応じて徐々にスリーパーの肉体を再構成し、人格を移植して人類としての活動を開始することとなっている。
船体は全長460mの長楕円体、航行にかかわる機能は概ね二重化されており、各々を管理する2体のACが交互に覚醒と休息を繰り返しながら航行している。
ACはそのパフォーマンスを維持する為に、睡眠をモデルとした意識レベルの意図的な低下による休息を必要とする。数百年にわたる連続航行とこの休息を両立する目的から、アルゴ2ではACの二重化と鯨類などの半球睡眠をモデルとした交互覚醒航法が採用されている。アポロンが制御する期間と機能を〝昼〟、アルテミスが制御するものは〝夜〟、引継ぎ期間はそれぞれ〝暁〟と〝夕暮れ〟と呼んでいる。
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