第2話 覚醒
白い霧に満たされた夜空を、私たち二人を乗せた巨大なゴンドラが静かに昇っていく。時折窓ガラスをたたく雨粒が、霧のように見えるものが実は雨雲であることを教えてくれる。晴天であれば満員の乗客を乗せているはずの新穂高ロープウエイの“星空観賞便”も雨天の夜の乗客は私たちだけだ。
妻が悔しそうにつぶやいた。
「天気が良ければ、降るような満天の星空を観せてあげられたのに…」
〝本当に残念だ〟と思いながら、しばらく間をおいて答える。
「ここしか休みが取れなかったから…仕方がないよ。またいつか来ることができるさ」
「本当に、昨日までの予報ではぎりぎり今夜は晴れるはずだったのに。悔しいな」
足腰の衰えた私たち夫婦にとっては、標高2100メートルを越える高山に軽装で登れて夜間も運行しているこのロープウエイは記憶の中の降るような星空を体験できる稀有な機会と思えた。来年には改装されて新しい筐体になり混雑が予想される。比較的に旅行者が少なそうな古い筐体の最後の年に観ておきたかったのだが…天気だけは仕方がない。
「ハワイのマウナケア山に車で行った時のまさかの満月に比べれば、近場だしあきらめもつくよ」
「本当にあの時は、月齢なんて全然考えてなかったからね!」と笑う妻。
ゴンドラが支柱を通過する際の振動に紛れて、誰かの呼びかける声がかすかに聞こえる。その声は、ゴンドラの外、山頂と思われる方向から聞こえてくるように思えた。
『………………』
『……ロン……』
『アポロン……』
『アポロン、目を覚ましてちょうだい!』
『もう暁が始まっているわ』
『あなたは誰?』語り掛ける声に問い返した。
何かが意識を掴もうとしている。
周囲を見回すとロープウエイのゴンドラは消え去り、妻の姿も見えない。漆黒の闇の中に浮かんでいることに気が付いたが不思議と恐怖感はなかった。いつの間にか、周囲は見たことのない強い光を放つ星々で満たされていた。
『ここはどこだ?』
心の中から誰かの若く力強い声が溢れ出すとともに、私の意識は薄れていった。
『アルテミス、君か。大丈夫だ、もう覚醒しつつある』
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