図書室の二人

@utsunomiya_ayari

第1話 梶井基次郎『檸檬』

 入学式以来、ぽつぽつと図書室に来ていたのは、居場所がないからであった。


 私は成績もそんなに良くないし、見た目も自分では普通のつもりなのにギャルとかいわれる。内心では「そんなに浮ついていない」と思っていたものの、やっぱり浮いているのかなあと悩んでいた。


 もっとも今に始まったことではない。


 中学の頃からだった。高校に入って両親の反対を押し切って髪なんか染めてみたけれど、特に変わった気分になりもせず、こんなもんかと思わされていた。


 付き合いは広い方だったけれど、仲のいい友達は思い出せない。


 家に居ても勉強しろと煩いので、放課後はずっと図書室にいて本を読むふりをしたり、勉強をするふりをしたり。


 大抵はだらだらと帰宅を促す放送が流れるまでボンヤリとしていた。


 高校に入学してからもそれは変わらなくって、両親に勉強しろなどといわれるのも面倒なので図書室に通っていた。


 図書室にはいつ行っても誰も居ない。


 中間期末テストの時ぐらいにしか人は来ないだろうというのが分かった。


 丁度いいじゃないか。


 毎日図書室へ来て、今日は天気もいいので、勝手に窓を開けるとすぐそこには桜が満開に咲いていて、風でひらひらと花びらが散り飛んでいっている。


「桜の木の下には死体が埋まっている……かあ」


「梶井基次郎お好きなんですか?」


 背後からいきなり声をかけられヒャッと変な声が上がる。


 私と対照的に真っ黒に腰まで伸ばした髪は、丁寧に編み込んであって、真っ黒の枠の分厚いセルフレームの眼鏡をかけていた。


 肌は外に出ないのか矢鱈と白く、肌の下の血管が薄らと浮き上がり仄かに桜色に染まっている。


 そんな彼女が上目遣いにこちらの目のど真ん中を射貫いてくるので、思わずドキドキさせられる。


 一目見て分かった。図書委員という奴である。


 なんだか時々見かけていたような気がするが、根暗な奴と思いつつも何となく気になっていた人物だった。


 今時校則通りに臑の辺りまでスカートを降ろしていて、少しだけ見える隙間からは黒いストッキングを履いているのが見えた。


 成績のいいお嬢様というのか、いかにも苦手なタイプの人物であった。


「かじいもとじろうってなに?」


 無視してしまおうかとも思ったが、目を射貫かれているので拘束された状態になってしまっている。


「あれ? いまの台詞って梶井基次郎の事じゃなかったんですか?」


「桜の木の下に死体が埋まっているっていう奴? あれ元ネタがあったの?」


 そう言うと何やら嬉しそうに黄色い本を背中から取り出してきた。


「『梶井基次郎全作品集』です。梶井基次郎は小編小説を二十一本発表したところで亡くなっています、しかしその作品は三島由紀夫なども絶賛していました」


「そ、そうなの?」


 見た目に反して本の話になると圧が強くなる。


「丸善に檸檬を置いて爆弾に見立てた話はごぞんじですよね?」


「う、うん知ってる」


「『桜の木の下には屍体が埋まっている!』というのは、先ほどの『檸檬』の梶井基次郎の作品です」


「へーそうなんだ」


 何となく感心が出てくる。


「梶井基次郎は面白いですし、これ一冊で全作品読み終わらせますけれどいかがです?」


 さっきの本を私に渡そうとしてくる。


「え、いやなんか難しそうだしなあ」


「図書室を利用するのは時間を潰すためでも、勉強をするためでも無くて、本を読むためですよ詩織さん」


「ん、あれ? 私名乗ったっけ?」


 突然したの名前で呼ばれて吃驚してしまう。


 彼女はしまったというような顔をして、調べたんです。いつも図書室に来てくれるから。というとかあーっと耳まで真っ赤にして俯いてしまう。


「えーと、うん。まあいいよ別に。同じ学年でしょ? 別に気にしなくていいよ」


「あ、ありがとうございます。じゃあこれ読んで下さい!」


 また梶井基次郎を押しつけてくる。なかなかこれでいて強情な娘のようだ。


「わかった! わかったってば! 読みますよ、読みます。えーと委員長は……」


「東風です」


 そう言って彼女はまた顔を赤らめ俯いてしまった。


「東風さん。珍しい名前。それより下の名前教えてよ。そっちだけ名前で呼ぶなんてズルい」


「あの……栞です。詩織さんの『詩を織る』という字じゃなくて、本に挟む方の『栞』です」


「う、あ、そ、その同じ名前だったんだ、ははは奇遇だね」


 何やら俯いたまま指を絡め合いもじもじしている。


「じゃあ東風さん……」


「栞です! 栞と呼んで下さい!」


 急に素早い動作になりまたこちらの目を射貫いてくる。


「う、うん分かった分かった、じゃあ私も詩織でいいよ」


「呼び捨ては駄目です『詩織さん』と呼びます」


「じゃあ私も『栞さん』で……」


 と、いった途端私の唇にヒンヤリとした柔らかい感触が伝わる。


 栞さんが人差し指でこちらの唇にシーッと合図するように指を当ててきていた。


 そして強い意志を感じさせる言葉で。


「『栞さん』はやめて下さい、『栞』と呼び捨てにして下さい!」


「う、あん分かった。じゃあ私のことも呼び捨てで」


「それは駄目なんです、私は呼び捨てにはしません『詩織さん』と呼びます」


 窓の外で一際強い風が吹き、カーテンがクルクルと舞って桜の花びらが図書室内へと入り込む。


 彼女は私の両手を握ると「今後ともよろしくお願いします」とまた目を一心に見つめて強い言葉で言ってきた。


 私も内心酷くドギマギし、頭の中が混乱しつつも。


「よ、よろしくお願いいたします」


 と、いうのが精一杯だった。


 これから毎日図書室に足を運ぶことになるとはこの時は思いもしなかった。


 図書室で一個の檸檬が炸裂し、爽やかな柑橘の香りが広がったような気がした。


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