第5話秘密と隠し事
彼女の部屋は、彼女自信を写す鏡のようで、俺の感情はとても落ち着いた。
何というか……居心地が良いのだ。
正直、自分のアパートよりも安心出来て、それは母が生きていた時の実家を思わせた。
そう言えば、この部屋の色は、母が良く好んだ色合いだなと気付いた。
奇遇だ……この時はそう思ったんだ。
息子だから、母に似た人に惹かれるのか?何て考えたりもした。
だから、疑いもしなかった。
そんな俺に彼女はキッチンから問い掛ける。
「健君は、好き嫌いある?」
「……特には…………嘘です。セロリとブロッコリーが嫌いです」
視線に耐えきれず白状してしまった。
彼女に隠し事はしたくない、何て彼氏でもないのに。
まあ、願望は強いけど。
「了~解です」『…一緒ね…』
「え?…何か言いました?」
「言ってないよ?」
「そうですか?…なら良かったです」
フフっと言う笑い声は聞こえたけど、その後の声は俺には聞こえなかった。
リズムの良い包丁の音と、鍋を火に掛けた音が、女性がそこにいると教えている様で、月並みだけど新婚を連想させて、それが少しだけ俺を高揚させた。
次第に気分がのってきたのか、鼻唄が聴こえてくる。
「…好きだあった~」
「随分懐かしい歌を知ってるんですね」
「ああ、そうね。そうかもね。そう言う誠君も良く知ってるね?私よりも年下なのに」
「俺の親父もこの歌が好きだったから、知らないうちに覚えたんでしょうね。まあ、母さんが好きで歌っていたから、親父も好きになったそうですが」
「……そっか……」
それきり、葉子さんは鼻唄を口ずさまなくなった。
この時、葉子さんは何を思っていたのだろうか?今はもう聞くことも出来ないけれど。
出来上がった料理はどれも俺の好きなものばかりで、もしかして、リサーチして作ってくれたのかもしれない、そう考えていた俺の頭は、多分生暖かい状態にでもなっていたのだろう。腐る前、見ないな感じ。
◇◇◇
料理が終わって、後片付けは俺がしますと申し出た。
「有り難う、じゃあお願いしようかな?」
「任せてください!…こう見えて後片付けは得意です」
「フフ、ではお任せします」
彼女はそう言うとお風呂を掃除に行ってしまった。
二人分だから簡単に洗い物は終わってしまった。どうせだから拭いてしまってしまおうと思った俺は、食器棚を開けたのだ。
「……これ?」
隠して……置いたのだろうか?
女性なら未だしも男で食器棚を開けるのは、きっといないに等しい。
俺だって葉子さんが近くにいたら、洗って乾燥されておくに留めただろうから。
でも、何のために?…葉子さんには付き合っている彼氏がいるのだろうか?
いや、彼女に限って……もしそうなら俺を家に上げる筈はない。彼女はそんな女性じゃない。
そう思って元の場所に戻そうとしたが、時計は俺の手から離れなかった。
……見覚えのある男物の腕時計だった。
別にヴィンテージ物でも高価な物でもなく量産されている物だから、考えすぎだろうと思ったが、それにしても男物の腕時計が独り暮らしの女性の部屋にある事実が俺を焦らせた。
風呂掃除が終わったから戻ってきたのであろう彼女に問い掛ける。
あくまで俺は彼女を独占できる立場には無いから、然り気無くを装った。
「葉子さん、これ?」
「ああ、父のなの。……この前来たとき忘れて行ったのね」
「……そうなんだ」
なら、何でそんな所に有るんだよ?とは聞けない。聞ける立場にない。
俺は今、無性に彼女の特別になりたかった。
「ねえ?今日……泊まってく?」
「えっ?……いいの?…でも葉子さんが困るんじゃない?」
案に時計の主との関係を邪推しての逆質問だった。
「……困ることが有るなら…言わないわ」
どうする?
どうする、俺。
「……泊まってく…」
それしか言えなかった。
予定しての事じゃない。
期待……は多少あったさ。……でも。
着替えが無いとか、アメニティが無いとか、女性じゃないからどうとでもなる。
◇◇◇
俺は今、促されるまま沸いた風呂に入ってる。
「お湯はどうかな?…お風呂の使い方は大丈夫?」
ドアの向こうから彼女の声がする。
「調度良いです。……使い方は、さっき習ったから、解ります」
「なら……良かった」
それきり彼女の声はしなくなった。
俺は何時もより念入りに体を洗った。
乙女かよ!?と自分に自分で突っ込みたくなったが、それでも何かしてなければ、緊張してどうにかなりそうだった。
何時もは体を洗うだけで、直ぐに風呂から上がるけど、今日は時間をかけてしまった。だからだろう、少しのぼせてしまって、頭がクラついた。
葉子さんに水を貰うとコップ一杯の水を勢い良く飲み干した。
水が喉を通るのまで解るほど、神経は研ぎ澄まされている。
葉子さんは、俺に水を渡すとお風呂に入りに行ってしまった。
俺は駄目だとは解っていても、時計があった食器棚を開けて在処を確認する。
でも……腕時計はもう、そこには無かった。
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