休息

(八)



 マーヴェリックの航海は七日目に入った。サターンとの遭遇以来、目立ったトラブルもなく、航海はいたって順調に進んでいた。


「アニス、僕らは今どのあたりを進んでいるんだろう?」


 バーニィは、航海長に向かって話しかけた。アニスはコンソールを操作して、マーヴェリックの航路を確認する。


「……んーと、四分の三はもうとっくに超えてるみたい。このスピードでこのまま行ければ、マクマリーン基地はもうすぐだよ」


 アニスの報告を聞いて、乗組員クルーたちの意気が上がる。目的に向かって着々と進んでいるということに、彼らはみな充実感を抱いていた。


「ねえ艦長、私からちょっと提案があるんだけど」


「なんだい、エミリア」


 手を挙げたエミリアに、バーニィが答える。


「このあたりでちょっとひと休みして、ふねを浮上させるというのはどうかしら? たまには、お日様に当たりたいわ」


「おーっ、イイこと言うぜ、エミリア! 俺も、こんな狭っくるしいふねの中には正直アキアキしてたんだ」


 ジオが、エミリアの意見に全面的な賛成を表明した。

 発令所にいるそのほかの乗組員クルーたちも、彼女の提案に同意のようだった。確かに、この航海がはじまってから、彼らはいちども外の空気を吸ってはいないのだ。


「クリフはどう思う?」


 バーニィは、副長にも意見を求めた。


「僕も賛成だな。ここまでかなり距離を稼いだし、乗組員クルーにも休息が必要だ」


 否定的なことを言うかとも思ったが、クリフが予想外に人間的な台詞を発したので、バーニィはちょっと驚いたようだった。


「ハンス、君の意見は?」


 マイクに向かって、バーニィは機関室のハンスに問いかける。


「艦長に任せる」


 いつも通り、ハンスは短く答えた。


「マーヴェリック!」


 バーニィはマイクを切り替え、コンピュータルームを呼び出した。


「僕らはこの海域において、ふねの浮上と半日の停泊を要求する。なにか問題は?」


《とくにございません、艦長》


 マーヴェリックの機械音声が、バーニィの指示を受け入れた。発令所の中に、乗組員クルーたちの拍手と歓声がわき上がった。




「イヤッホウ!」


 ジオはとびっきり大きな叫び声を上げて、艦橋セイルの上から真っ逆さまに海に飛び込んだ。その姿に、バーニィやハンスたちも続く。ふだんは体を動かすことが苦手なフリッツでさえも、たまらずその大きな体を空に踊らせた。


「もう、サイッコー!」


 アニスは、今までに見たことがないほど澄み切った海の水を体中に感じて、心の底から喜びを表現した。

 空はあきれるほど高く、青く。その中心で光り輝く太陽は、少年たちをまぶしい光で暖かく包み込んでいた。

 何よりも、胸一杯に吸い込んだ空気のおいしさは、いままで狭い艦内に閉じ込められていた彼らにとっては最高のごちそうだと感じられた。

 周囲を用心深く調べた後、マーヴェリックは航海開始からはじめて海上に浮上していた。天気は快晴で波も穏やか、まさに休暇バカンスには絶好のコンディションだった。


 マーヴェリックが停船している周囲の海水は、泳ぐには少々温度が低かったが、艦内に備え付けられていたウェットスーツによって、快適に水遊びを楽しむことができた。また彼らはボートを海に浮かべ、その上で昼食ランチや日光浴を十分に満喫した。


 乗組員クルーたちが思い思いの方法で海を楽しんでいる中、クリフは艦橋セイルに立てたパラソルの下で、相変わらずパソコンを操作していた。シャツ一枚の軽い服装にこそなってはいるが、彼はほかの仲間たちのように水の中で遊ぶ気はないようだ。そのとき、クリフはもうひとりの海に入らない人物に気がついた。


「マノン、君は泳がないの?」


 クリフは、そばに座っているマノンに向かって問いかけた。同時に彼は、航海がはじまって以来、はじめてマノンに話しかけたということに気がついていた。


「うん……」


 マノンは、うつむいたまま答えた。


「あなたは?」


「僕、泳ぎは得意じゃないんだ。足のつかないところで、水の中に入るのはちょっとね」


「怖いの?」


「……」


 クリフは自分が怖がりだということを認めるのが嫌で、その問いには答えなかった。


「私は、ダメなの」


 沈黙に対し、マノンが続けて言った。


「海の中に入ると、自分の体が溶けてなくなってしまいそうな気がして……」


 体が溶ける? 思いもよらないことを言うマノンを、クリフは不思議な気持ちで見つめていた。あおく透き通ったその瞳の奥に、彼女はどんな秘密を隠しているのだろう。

 そのときクリフは、これまでの人生で出会った人たちの中でも、どのタイプにも属しないこの少女に、多大なる興味と関心を抱きはじめていた。


「やあクリフ、マノン、楽しんでる?」


 そのとき、海から上がってきたバーニィがふたりに声をかけた。その手には、クーラーボックスから取りだしてきた清涼飲料ソフトドリンクの缶が握られていた。


「あ、サンキュ」


「ありがと……」


 バーニィからジュースを手渡されたふたりは、短く礼を言った。バーニィはパラソルの下のリクライニングチェアに腰掛けながら、隣に座っているマノンに話しかけた。


「ねえ、マノン。あれやってよ」


「あれって?」


 バーニィは、両手の指を口元でひらひらさせながら言った。


「ほら、あのオカリナ。一曲聴かせてほしいな」


 その横で濡れた身体を拭いていたアニスが、それを聞いて近寄ってきた。


「オカリナ? えー、あたしも聴いてみたい!」


 思いがけないリクエストを受けたマノンだったが、しばらく考えをめぐらせてから、ゆっくりとうなずいた。彼女は立ち上がって、ポケットからオカリナを取りだした。


「それじゃ……」


 そう言ってマノンは、軽く頭を下げた。バーニィとアニスは、期待を込めて拍手をおくった。

 マノンは目を閉じ、オカリナを吹きはじめた。バーニィがコンピュータルームで聴いた、あの曲だった。どこかもの悲しい曲調で、この曲をはじめて耳にするアニスやクリフにも、故郷に残してきた家族のことを思い起こさせていた。

 太平洋の真ん中に停泊する、マーヴェリックの艦橋セイルの上で急きょはじまったオカリナのコンサートに、乗組員クルーの少年たちはしばし酔いしれていた。




 やがて、マノンはその曲を吹き終えた。バーニィたちは、大きな拍手でその曲を賞賛した。アニスにいたっては、その目に涙まで浮かべていた。


「上手ね、マノン! あたし、感動しちゃった」


「そう……?」


 それを聞いてマノンは、少し恥ずかしそうに言った。


「ええ。本当に素敵だったわ、マノン」


 そう声をかけたのはエミリアだった。水遊びをしていたジオやハンス、フリッツもいつのまにか近くまでやって来て、マノンの曲に耳を傾けていたのだった。


「なあマノン、せっかくだから、もう一曲やってくれよ。……できれば、もうちょっとノリのイイヤツ、さ」


 めずらしくジオが、マノンに話しかけた。マノンは驚いたような表情で、思わずバーニィの方を見た。バーニィは、笑顔でうなずいて答えた。

 マノンは少し明るい顔になって、再びオカリナをかまえた。今度は、先ほどよりもずっとテンポが速く、にぎやかな音楽があふれ出してきた。

 曲の盛り上がりに合わせて、少年たちは自然に手を叩いてリズムを取りはじめた。オカリナと拍手の音が、マーヴェリックを中心としたこの海域に鳴り響いた。


 そのとき、思いもよらないことが起こった。彼らのすぐそばで、突然大きな水しぶきが上がったのである。


「わあっ! なんだ?」


「これ……イルカよ!」


 少年たちの前に現れたのは、なんと野生のイルカだった。それも、一頭ではない。十数頭にもおよぶイルカの群れが、オカリナの音に引き寄せられるようにやって来たのである。


「こんなにいっぱい……すごい」


「あ、こっちからも来た!」


「きゃあっ! カワイイっ!」


 イルカたちは、思いおもいに周囲を泳ぎ回り、海上に身を躍らせてブリーチングを楽しんでいた。はじめて見るであろう人間の少年たちをまったく怖がる様子もなく、手を伸ばせば触れられる距離まで人懐っこく近づいてくる。


「ほら、こっちこっち……。ひゃあっ!」


「うわっと! ……やったな、コイツ!」


 思いがけない訪問者の出現に、乗組員クルーたちのテンションは一気に盛り上がった。バーニィやアニスも、再び海に飛び込んでイルカたちと戯れはじめた。


 マノンは、いつのまにかオカリナを吹き終えていた。彼女は、イルカと大騒ぎしている少年たちの様子を満足そうに見つめている。そんなマノンを、クリフは複雑な表情でながめていた。


「……クリフ、私、もう艦内なかに入ってるね」


「う、うん」


 クリフの心を知ってか知らずか、そう言うとマノンは静かにマーヴェリックの艦内へと帰っていった。クリフは、ため息をつきながら手元のパソコンの電源を落とすと、ゆっくりとディスプレイをたたんだ。

 少年たちはまだまだ飽きることなく、イルカとの海水浴に夢中だった。




 たっぷりと太陽の光を浴び、水遊びを楽しんだ乗組員クルーたちは、十分に満足してマーヴェリックの艦内に戻っていた。ふねは潜行を開始し、南極への航路へと復帰していた。

 夕食の前にシャワーを浴びようとしていたエミリアに、クリフは声をかけた。


「エミリア、ちょっといいかな?」


「あら、クリフ。なあに?」


 居住区に続くデッキに彼女を呼び寄せ、周りに誰もいないことを確かめると、クリフは小さな声で話しはじめた。


「実は、折り入って君に頼みがあるんだけど……」


「まあ、今度はいったい何かしら」


 エミリアは数日前、マーヴェリックの艦長を選んだときの、クリフとの会話を思い出しながら、にっこりとほほえんだ。


「これからシャワー室に行くと思うけど、そのときにマノンに声をかけて、彼女といっしょに入ってほしいんだ」


「何ですって?」


 エミリアは、ちょっとげんそうな顔になって聞き返した。


「彼女の体に、どこか変わったところがないか……。できれば、彼女の生い立ちとか家族のことについてもいろいろと聞き出してもらえれば、さらにありがたいんだけど」


 早口でまくし立てるクリフに、エミリアは何かに気づいた様子で話しかけた。


「……あなた、あの娘マノンが好きなの?」


 エミリアはそう言うと、いたずらっぽく笑った。クリフは、その思いがけない問いかけにしばらく絶句していたが、突然小さな瞳をいっぱいに見開いて、否定の言葉を発した。


「いや! 別にそういう意味ではなくて……」


「それにしても、『体の変わったところ』だなんて……」


 エミリアは口元に手を当てると、続けてこう言った。


「クリフって、意外とエッチね」


「ば、馬鹿な! そうじゃないよ、僕はただ……」


 耳まで真っ赤にして弁解するクリフを、エミリアはさえぎった。


「いいわ。ここはお姉さんに任しときなさい」


 クリフにそう言い残し、エミリアは居住区の方へと駆けていった。


(まったく……)


 ひとりデッキに残されたクリフはそうつぶやきながら、これまでに味わったことのないような心臓の高鳴りを感じていた。




「マノン、私とシャワーに行かない?」


 エミリアは、居住区にいたマノンに話しかけた。


「ううん。私、海に入ってないし、別にいい」


 エミリアからの珍しいお誘いを、マノンは丁寧に断った。


「ダメよ! 潮風に当たったんだから、髪もきっとベタベタになっちゃうわ。私がきれいに流してあげるから、ね?」


 いつになく、ちょっぴり強い口調でそう言うと、エミリアはマノンの手を引いてシャワー室へと向かっていった。そんな彼女の様子を、アニスやほかの少年たちは驚いたように見ていた。


「急にどうしたんだろ、エミリア」


「さあ……?」


 服を脱ぐと、エミリアはシャワーの蛇口を開いた。お湯の温度がちょうどいい頃合いになったことを確認すると、エミリアはマノンを呼び寄せた。


「ほらマノン、こっちにいらっしゃい」


 はじめは少し躊躇ちゅうちょしていたマノンだったが、やがて思い切ったように、エミリアの手招きに応じた。彼女は脱いだ服をそばにたたむと、ゆっくりと洗い場に入っていった。


「きれいな髪ね」


 エミリアは、マノンの頭にお湯を流しながら言った。


「私、ちょっとくせっ毛だから、こういうストレートの黒髪ってあこがれるわ」


「そう……?」


 香りのいいシャンプーを手際よく泡立たせ、エミリアはマノンの髪を丁寧に洗っていった。


「それに、肌も白くてすべすべ。まるでお人形さんみたい」


「あ、ありがとう……」


 マノンはエミリアのほめ言葉を、少し恥ずかしそうに聞いていた。もともとひとりっ子のエミリアは、なんだか自分に妹ができたような気がして、ウキウキした気分になって話を続けた。


「もうすぐ、南極に着くわね。お父さんに会えるの、うれしいでしょう?」


「うん」


 マノンはうつむいたまま、それでもその言葉に少し顔をほころばせて返事をした。


「お父さんのお名前、聞いていい?」


「……タチバナ・幸蔵コーゾー。大脳生理学の科学者なの」


「へえ。私のパパも、大学の教授プロフェッサーなのよ」


 エミリアは話しながら、マノンの髪の泡をすすぎ流していく。


「お父さんは、南極でどんなお仕事をしているの?」


「人間だけじゃなくて、いろいろな動物の脳の仕組みを研究しているの。極地には、さまざまな種類の海洋生物が住んでいるから……」


「そう。きっと、立派なかたなのね」


「うん……」


 マノンが、思ったよりも自分に心を開いてくれていると感じたエミリアは、今まで気になっていたことをたずねてみた。


「ねえマノン、タマスの基地にあなたを連れてきたのって、いったいどんな人たちか、教えてくれる?」


 マノンは、エミリアのその質問に若干体を硬くした。しかし彼女は、かぶりを振りつつこう答えた。


「……私も、くわしいことは何も知らないの。ただ、『水の都プロジェクト・計画アクアポリス』の関係者っていうことしか……」


「『水の都プロジェクト・計画アクアポリス』? どこかの研究機関の名前なのかしら……」


 それは、エミリアにとって聞いたことのない言葉だった。


「その人たちは、あなたをどうしようとしていたの?」


「私の持ってる能力ちからを調べるって……」


 そう言うと、マノンは黙ってしまった。その表情を見ていると、エミリアはこれ以上の深い詮索をする気にはなれなかった。


 やがて、マノンの洗髪は終わった。少々沈んでしまった空気を変えたくなって、エミリアはいよいよ本題について質問しはじめた。


「ところでマノン。……このふねの中にぃ、好きな人ってぇ、いたりするの、かな?」


「えっ?」


 マノンはタオルで髪を拭きながら、エミリアの方を振り向いた。


「んーたとえば、気になるっていうかぁ……興味があるというかぁ……そんな人?」


 エミリアはわき上がる期待を抑えつつ、そう問いかけた。


「べつに……好きっていうわけじゃないけど……」


「うんうん!」


「優しいな、って思うのは……」


「だれだれ?」


 エミリアは、自然とマノンの目前に顔を寄せていた。


「……バーニィ、かな」


 その言葉を聞いて、エミリアは残念な気持ちと、「やっぱりね」という気持ちの両方を感じていた。それでも、いちおうこの件についての依頼者クライアントに関する意見についても聞いておくべきだと、彼女は考えた。


「ねえ、クリフのことって、どう思う?」


「クリフ?」


 しばらく考えたあと、マノンは答えた。


「……よくわかんない」


 そのとき、シャワー室に素っ裸のアニスが入ってきた。


「ねえねえ、あたしも入る! ……あれ、マノンはもう出ちゃうの?」


「うん。シャンプーしてくれてありがとう、エミリア」


 そう言うと、マノンはシャワー室を出て行った。アニスは、マノンの姿を見送りながら残念そうにつぶやいた。


「なんだ、あたしもいっしょに話したかったのに」


 そんなアニスに、エミリアは諭すように言った。


「アニス、『昨日の友は今日の敵』よ」


「?」


 アニスは、不思議そうな顔をしてエミリアを見た。




「ねえ、さっき頼んだマノンのことだけど……」


 夕食後、クリフは再びエミリアに話しかけた。


「彼女、どうだった?」


「え? どうって……」


 エミリアはクリフの顔を見ると、話をはぐらかすように聞き返した。


「どこか変わったところとか、なかったかな」


「ううん。べつに、どこにもおかしなところなんてないわ。普通のかわいい女の子よ」


 エミリアは、マノンが何か特別な能力を持っているのかもしれないということは、クリフには伏せておくことにした。


「そうか……。彼女とは、何か話したかい?」


「そうね。確か、お父さんの名前は『コーゾー・タチバナ』っていって、大脳生理学者だって言ってたわ。それから、彼女をタマスの基地に連れてきたのは『水の都プロジェクト・計画アクアポリス』の関係者っていうことだけど、くわしいことは彼女にもよくわからないんですって」


「大脳生理学者のコーゾー・タチバナ……。水の都プロジェクト・計画アクアポリス……」


 クリフは、エミリアから教えられたキーワードを、頭の中にしっかりと刻みつけた。

 どちらも、どこかで聞いたことがあるような気がする言葉だった。詳細については、マーヴェリックのデータベースにアクセスすれば何かわかるかもしれないと、クリフは考えていた。


「それで、話はそれだけ? エミリア」


「うん……まあね」


 エミリアは、マノンがクリフよりもバーニィに興味があるということを、話すべきかどうか迷っていた。するとクリフは、彼女に感謝の言葉を伝えた。


「ありがとう、エミリア。やっぱり君に頼んでよかったよ」


 そう話すクリフに、エミリアは優しく語りかけた。


「ねえクリフ。もっと積極的にアプローチすれば、彼女もきっとあなたの良さに気づくわ。だから、がんばって、ね?」


 そう言うと、エミリアは自分の部屋へと帰っていった。クリフは、彼女の思い込みに対して、深いため息をつくしかなかった。




「見つかったのか?」


 グラント司令長官は、管制官の報告に対して言った。


「はっ。衛星からの画像データとの照合により、ほぼ間違いなく『CSN-X1エックスワン』のものと思われます」


「そうか、見せたまえ」


 アメルリアの軍事衛星から撮影したその写真には、海中に浮かぶ一隻の潜水艦が写し出されていた。それは、紛れもなく電脳原子力サイバネティック潜水艦・サブマリン、マーヴェリックだった。

 バーニィたちがほんの息抜きのために浮上した、ちょうどそのときの姿がしっかりと衛星のカメラによって捉えられていたのだ。画質はかなり鮮明で、驚くべきことにボートを浮かべて水遊びをする子どもたちの姿までもが、はっきりと確認できた。


「スペンサー博士。君の言うとおり、X1エックスワンが南極のマクマリーン研究基地へ向かっているということは、どうやら確実なようだ」


 グラント司令長官は、写真を掲げつつそう言った。


「そのようですな。今度こそ、無事に捕まえられるといいのですが」


 スペンサー博士は、マーヴェリックの画像を見ながらそう言った。その言葉には、せっかくマーヴェリックを発見しながらも、返り討ちにあってしまったサターンの失態を匂わせるようなニュアンスが含まれていた。


「次は、あんな失敗などせん」


 グラント司令長官は不機嫌そうに言った。


「あのふねに搭載されているコンピュータについての対策は、すでに万全なのだからな」


 それを提供したのはほかならぬこの自分なのだが、ということは決して言葉に出すことはなく、スペンサー博士はただひと言だけ忠告をした。


「司令、あのふねにはコーラルシティーの中学生の子どもたちと、実験体エクスペリメント・ディーが搭乗しているということもお忘れなく」


「ああ、そんなことはたいした問題ではなかろう。いずれにせよ、完璧に処理できるはずだ」


 博士の言葉に、司令は鼻を鳴らして答えた。


「……それでは、私はこれで」


「うむ、ご苦労だった」


 短くあいさつを述べてスペンサー博士は、司令のオフィスを退出した。彼は表に用意してあった車に乗り込むと、タマスの基地を後にした。


「空港に向かってくれ」


 運転手にそう告げると、スペンサー博士は懐から携帯電話スマホを取りだし、親指でキーパッドを操作しはじめた。


「もう、ご用はお済みになったのですか、博士?」


 運転手はたずねた。


「ああ。もう二度と、この国アメルリアの土を踏むことはない」


 電話機を耳に当てながら、スペンサー博士ははっきりとそう言った。




 その夜、バーニィの部屋をノックする音がした。ノートパソコンを抱えたクリフだった。


「ごめんバーニィ、起きてる?」


「ああ、クリフ。どうしたの、こんな遅くに?」


 ドアを開け、バーニィは彼を迎え入れた。


「ちょっと、君に話しておきたいことがあるんだ」


 そう言うと、クリフはバーニィにパソコンの画面を見せた。


「これ、なんなの?」


「マーヴェリックのデータベースに直接つながるようになっているんだ。さすがに軍事用だけあって、すごいデータ量だよ」


 クリフはキーボードの操作をはじめると、画面を指さしながらバーニィに問いかけた。


「バーニィ、この人に見覚えがあるよね?」


「……うん、タマスの基地でマノンといっしょにいた男だ」


 バーニィはそう答えた。


「これは、ランバート工科大学のジェローム・スペンサー博士。彼は、マノンの父親で大脳生理学の権威である橘幸蔵博士と協力して、ある画期的な人工知能を完成させたんだ」


「人工知能?」


「そう、マーヴェリックの制御コンピュータさ」


「じゃあ、このふねはマノンのお父さんとこの人が作ったっていうこと?」


 思わずバーニィは、驚きの声を上げる。クリフはその言葉にうなずきながら、話を続けた。


「それからマノンは、自分を海軍基地に連れてきたのは『水の都プロジェクト・計画アクアポリス』の関係者だって言ってたらしいんだ。バーニィは、何か心当たりがあるかい?」


水の都プロジェクト・計画アクアポリス……」


 バーニィはその言葉を聞くと、あることを思い出した。


「確かそれって、環境保護団体の名前だよ。人間の手から海の自然を守ろうっていう主張をしているんだけど、ひんぱんに漁船や旅客船を襲ったりして、かなり過激な活動をしているグループだって聞いたことがある」


「そんな団体が、このスペンサー博士にどんな関係があるんだろう?」


 クリフはそうつぶやきながら、考えをめぐらせた。


「マノンに聞いてみれば、何かわかるかもしれないね」


 バーニィがそう言うと、クリフは少し顔を曇らせた。


「それでバーニィ。実はもうひとつ、このデータベースを調べていて、ある重大なことがわかったんだ」


「重大なこと?」


「うん……。記録によると、橘博士は三ヶ月前に交通事故で亡くなっているんだ」


「なんだって? それじゃあ、マノンのお父さんが南極にいるっていうのは……」


 クリフは黙ったまま、かぶりを振った。


「クリフ……このこと、みんなに言うのかい?」


 バーニィはそうたずねたが、クリフは何も答えなかった。




続く


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