決意

(七)



 バーニィは操縦席にたどり着くと、ジオの肩をつかんで、その顔に無言でパンチを入れた。不意を突かれたジオはその拳を頬に受け、そのまま床に倒れ込んでしまった。


「痛ってえじゃねえか、この野郎、ナニしやがんだ!」


 そう言うジオの胸元を、バーニィは両手でつかんで言った。


「どうして撃ったんだ、ジオ。僕はやめろって言ったのに!」


「うるせえんだよっ!」


 バーニィの手をふりほどくと、今度はジオがバーニィに殴りかかった。ケンカ慣れしたジオの右ストレートが、バーニィの顔にヒットする。


「俺はな、こんなとこで死にたかぁねえんだよ!」


「クッ、やったな……!」


 ふたりはそのままつかみ合いになり、床に転がり込んだ。そんなふたりの姿を、乗組員クルーたちは黙って見ていた。


 だがとうとうアニスが、耐えきれなくなったように声を上げた。


「やめなよ、ふたりとも! やめなって!」


 そう言うと、彼女はふたりのもとに駆け寄って引き離した。アニスの目には、涙があふれ出していた。


「あたしは、あたしは……人殺しまでするつもりで、このふねに乗ってるんじゃないっ!」


「……ッ!」


 その言葉を聞くと、ジオは拳を握りしめたまま悔しそうにうつむき、そのまま発令所から駆けだして出ていってしまった。


「ジオっ、待って!」


 その後を、エミリアが追いかけていく。


 アニスはその場に座り込むと、ポロポロと涙をこぼしはじめた。バーニィはアニスのそばに近寄り、彼女の肩に手を当てて言った。


「ごめん、アニス」


 そしてバーニィは操縦席につき、そのままマーヴェリックの発進準備をはじめた。


「クリフ、サターンの様子は?」


 バーニィは、クリフの方に振り向くと、サターンの状況をたずねた。


「緊急浮上したみたいだ。そのまま海面に停止しているよ」


「そうか、よかった……」


 バーニィはひとまずほっとした様子で、操縦桿を握ると言った。


「マーヴェリック、全速前進。この海域を離脱する!」


「了解」


 クリフは、その命令に応じた。

 マーヴェリックはすべてのソーナーポッドをすばやく艦内に回収すると、再び南の方角に向かって進みはじめた。




 ジオとエミリアは、食堂にいた。しばらくたって、少し落ち着いたふたりは、静かにイスに腰掛けていた。


「怖かったんだ、俺……」


 ジオは、小さな声でそうつぶやいた。


「あのときは、本当にこのふねが沈められると思って、だから……」


 そんなジオにエミリアは、優しく話しかけた。


「ジオは、私たちを助けてくれたのよね」


「エミリア……」


 その言葉を聞くと、ジオの目にうっすらと光るものが現れた。

 そのとき食堂のドアが開き、バーニィたちが発令所から戻ってきた。それぞれがみな、ゆっくりと食堂のイスに腰を下ろした。


「ジオ……」


 バーニィは、うつむいているジオに向かって言った。


「サターンは無事だよ、沈んではいない」


「本当? よかったぁ……」


 それを聞いて、エミリアは安心したように表情を崩した。


「やっぱりあのとき、君は魚雷を撃つべきじゃなかった」


「……」


 バーニィは、沈黙したままのジオに向かって話を続ける。


「……でも、魚雷を装填させたのは僕だ。責任は僕にもある」


 そう言ったとき、他の乗組員クルーたちも食堂に帰ってくる。機関室にいたハンスも、役割を終えて彼らのもとに加わった。

 バーニィは、全員を前にあらためて話しはじめた。


「みんなに、僕から提案があるんだ」


 乗組員クルーたちは、静かに艦長の話に耳を傾ける。


「僕らはもう今後一切、人に向かって攻撃しないことにしたいんだ」


 バーニィの言葉に対し、クリフがたずねた。


「でももし、またさっきみたいに攻撃を受けたら?」


「そのときは……」


 少しの間考えて、バーニィはこう言った。


「全力で逃げよう!」


「……はあ?」


 その答えに少し拍子抜けしたようなクリフだったが、隣にいたアニスがその言葉にうなずきながら言った。


「そうだよ。このマーヴェリックは史上最速の潜水艦なんでしょ? だったら、バーって逃げちゃえばいいんだよ」


「あのねえ……。そんなに単純な話じゃないと思うけどな」


 そんなクリフに向かい、バーニィは言った。


「どんなときだって、撃たないですむ方法が必ずあるはずなんだ。僕はこのふねの艦長として、それを見つける努力をしたいんだ」


 そう言うと、バーニィはジオの方に近づいていき、右手を差し出した。


「本当に、そんなことができると思ってんのか?」


 ジオは、腕を組んだままバーニィの顔をにらんだ。


「私も、バーニィの意見に賛成よ」


 そばにいたエミリアは、ふたりの手を取って握手させた。


「私、ふたりを信じてるから。最後まで、仲良く協力していきましょ、ね?」


 エミリアは、ふたりの手を握ってそう言った。


「どうだかな」


 バーニィと握手させられながら、ジオは横を向いて言い放った。

 そんな様子を、乗組員クルーたちはそれぞれの思いを胸に見つめていた。


 そのときクリフは、そばに立っていたマノンが、この航海ではじめてちょっとだけほほえむ表情を見せたことに気がついていた。




 その夜のことだった。バーニィは就寝前に、艦内の見回りをしていた。

 魚雷発射管室の前を通りかかったとき、そこにフリッツがいるのを見つけた。


「フリッツ、ここにいたのか」


「う、うん。ちょっと見ておこうと思って……」


 フリッツは、マニュアルを見ながら制御コンソールに異常がないかどうか、チェックをしていた。バーニィは、あのフリッツが「水雷長」という役職に責任感を抱いているということを知って、少なからず驚いた。


「まだかかりそう?」


「ううん、もうすぐ終わる……。ねえ、バーニィ」


 そう言いながらフリッツは、めずらしくバーニィに話しかけた。


「なんだい?」


「……ぼ、僕ね、ここにはジオに無理矢理連れてこられたんだ」


「うん、そうだったね」


 バーニィは、タマスの基地でジオに強引に誘われたフリッツの姿を思い出した。


「このふねで南極に行くことになって、はじめは僕、いやだったんだ。怖かったし、不安だったし……。け、けどね、今はぜんぜん後悔していないよ」


「そっか」


 バーニィは、ふだんあまり自分から話をしないフリッツの気持ちを聞くことができて、なんだかうれしくなった。フリッツは話を続けた。


「バーニィ、知ってる? こ、ここにある魚雷やミサイルって、一発何万ドルもするんだって。すごいよね」


「ああ、聞いたことはあるけど……。そう言えば、まあそうだね」


 思いもしなかったフリッツの問いかけに、ちょっと感心したようにバーニィは答えた。


「ぼ、僕、シューティングゲームとかよく遊ぶんだけどさ、あれってボタンを押したら、いくらでも弾が出るじゃない? けど、今日、僕思ったんだ。本当は、たった一発ミサイルを撃とうとするだけでも、あんなにもつらくて重たくて、苦しい気持ちになるんだって……」


 フリッツの言葉を、バーニィは静かに聞いていた。


「だ、だから、今日バーニィがもう撃たないって言ったこと、なんだか僕、すごくうれしかったんだ」


「うん」


「でもね、一応準備だけはしておきたいんだ。ほ、ほら僕、『水雷長』だからさ……」


 そう言うとフリッツは作業を終え、バーニィといっしょに魚雷発射管室を出た。


「そ、それじゃバーニィ、僕、寝るね」


「うん、おやすみ」


 そう言って、フリッツは自分の部屋に戻っていった。




 見回りを終えようとして、最後にコンピュータルームの前に立ち寄ったとき、バーニィは部屋の中から、かすかに何かの音が聞こえてくることに気がついた。


「これは、笛? ……何かの音楽かな?」


 バーニィは、ドアに耳を押し当てて、その音を聴いた。それは、笛のような楽器で奏でられている音楽だった。バーニィはドアを開けることも忘れて、その場に立ち尽くしたままその笛の音を聴き続けた。


(なんだか、すごく優しい音だ……)


 目を閉じたまま、バーニィはそう感じていた。シンプルで素朴ながら、だからこそ心の中に直接響いてくるような、澄み切った音色だった。彼は、その音を聴きながら、自分の家があるコーラルシティーや家族のことを思い出していた。


(……母さん……)


 やがて、その笛の音は静かに止んだ。それは、ほんの数分のことだったが、バーニィはかなり長い時間に渡ってその音を聴いていたように感じていた。彼はそっと扉を開けて、中の人影に声をかけた。


「君だったのか、マノン」


「バーニィ……」


 コンピュータルームの中に立っていたのは、マノンだった。振り返った彼女の手には、白い陶器のオカリナが握られていた。彼女はこの冷たく無機質な部屋の中で、ひとりきりでオカリナを演奏していたのだ。


「それ、オカリナだね。すごくきれいな曲だったよ」


「え……。あ、ありがとう……」


 マノンはそう答えると、恥ずかしそうにうつむいた。そんな様子に、バーニィはさらに続けて言った。


「そうだ、今度みんなにも聴かせてあげるといいよ。きっと喜ぶと思うな」


「……」


 バーニィの言葉に、マノンは少し困った表情になって目線をそらせた。バーニィは腕時計を見ながら言った。


「もう、こんな時間か。そろそろ寝たほうがいいよ」


 そう言うバーニィに、マノンはかぶりを振って答えた。


「眠くない」


「え、こんなに夜遅いのに?」


「私ね、毎日ほとんど眠らないの。長くて一、二時間くらいかな」


「そうなんだ。すごいな、僕なんかキッチリ八時間は寝ないと調子出ないけどね」


 そう言って、ふたりは笑い合った。


「……バーニィ、あなたのお父さんって、アメルリア海軍の軍人さんなんですってね」


 そのとき、マノンから思いがけなく発せられたそんな問いに、バーニィは答えた。


「うん、そうだよ」


「あなたも、将来軍人になりたいの?」


 しばらく考えると、バーニィはその言葉にこう答える。


「わからないな。もちろん父さんのことは尊敬してるし、海も好きだけどね」


 バーニィはコンピュータルームの壁に背中をつけ、そのまま座り込んだ。マノンも続いて、彼の横にちょこんと座る。


「Si Vis Pacem, Para Bellum」


 そのとき、バーニィがまるで何かの呪文のように、そうつぶやいた。マノンは、不思議そうな表情で彼にたずねた。


「それ、なんのこと?」


 バーニィは、マノンに優しく微笑みかけながら話を続ける。


「シー・ウィス・パーケム、パラ・ベルム。これってラテン語でね、『なんじ、平和をほっさば、いくさに備えよ』っていう意味なんだ。僕の父さんに昔教えてもらった言葉なんだけど」


「そう……」


 マノンはうなずきながら、バーニィの話を聞いていた。


「父さんはね、人を傷つけるためじゃなく、人を守る備えのために軍にいるんだ」


 バーニィは、父親の顔を思い出しながら話しはじめた。


「母さんや妹や、アメルリアの国を守るのが、父さんたちの仕事なんだ。僕も父さんに守られて、今日まで生きてこられたんだと思ってる」


 そう話すバーニィの横顔を、マノンは真剣に見つめている。


「だから、僕も大事な人を守れる人間になりたいんだ。そのために必要な力を、どうやって使っていけばいいのかを、一生懸命考える大人になりたいんだ」


 そう言うとバーニィは、マノンの方を向いてちょっとだけ照れたように言った。


「……へへ、なんてね。実はまだ、あんまりわかんないんだけどさ」


 マノンは、バーニィの言葉に顔をほころばせていた。


「僕の今の仕事は、君やみんなを守ること。これができたらきっと——」


 バーニィは心を決めたように言った。


「何か、答えが見えるような気がするんだ」


 すると今度は逆に、バーニィがマノンに問いかける。


「ねえ、マノン。君のお父さんってどんな人だい?」


「……何でも知ってて、とっても優しい人よ。でも、もう一年以上も会ってないから……。私、お父さんのそばで、力になってあげたいの」


 マノンはふだん、自分のことをあまりくわしくは語らないが、その声にはバーニィの心に響くものがあった。


「そうか。君にも、守りたいものがあるんだね」


 バーニィがそう言うと、マノンはうなずいて答えた。そしてバーニィは立ち上がって、マノンに言った。


「さあマノン、もう部屋で休もう」


「うん。……おやすみなさい」


 ふたりは、それぞれの寝室に帰っていった。




続く


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