一方通行は今日でおしまい

飴月

四井さんと黒瀬くんは明日から




『こんにちは、こんばんは!! クロマルです! 今日は1時間ぐらい雑談配信をしていこうと思いまーす。みんな、楽しみにしてくれてた?』


「めっちゃ楽しみだったよー!」



 スマホから聞こえてきた大好きな声に対して、テンションの高い声で返事をした。これが日常になったのは、いつからだっけ。


 私、四井よつい初葉はつはには大好きな配信者さんがいる。


 名前はクロマルさん。お気に入りの音声配信アプリの新着欄を間違えてクリックし、彼の配信を開いた瞬間、私は彼の声に一目惚れをしてしまったのだ。


 それから配信を追いかけるようになって、今では配信開始の通知があるたびにアプリを起動している。


 クロマルさんのリスナーになってから、私の頭の中はクロマルさんのことでいっぱいになった。


 同い年の高校生2年生で17歳だってことも、図書委員だってことも。


 趣味が好きな作家さんの出身地巡りってことも、ミステリー小説に目がないことも。


 好きな食べ物がコンビニの菓子パンだってことも、休みの日はいつも家で配信してるってことも、他にもたくさん、たくさん彼のことを知っている。いいところも悪いところも、溢れ返るほど知っている。


 それでも、この気持ちは一方通行だ。彼は私のことなんて何も知らないだろう。唯一知っているかもしれないのは、ユーザーネームである『四葉』という名前だけ。私のことは『よく配信に来る同い年ぐらいの女の子』という程度の認識でしかないと思う。


 私ばっかり彼のことを知って、彼でいっぱいになっていく。耳から流し込まれた情報が洪水のように渦巻いて、頭を埋め尽くしていく。


 それが少し辛くて、配信に来るのをやめようとしたこともあったけれど、耳から流れ込む彼の声に身体が満たされる感覚から離れられそうにはなかった。


 あーあ、ガチ恋ってしんどい。生きている人間に恋しているのに、友達みたいに手の届かないアイドルや2次元に恋しているわけではないのに、一生叶わないような気がするから苦しい。


 まぁ、それでも好きなのはやめないし、きっと毎回配信を見に来るんだけどさ。


 でも。でも一度でいいから、実際に耳元で囁いて欲しいな。


 そんなことを思いながら目を閉じでうっとりと声を聞いていると、話題は恋バナになった。



『クロマルさんの恋バナが聞きたいです? えー? 恥ずかしいんだけどなぁ。そもそも俺、好きな人に話しかけれるようなタイプじゃないから、全然エピソードないんだけど』



『え、そうなんだ。それは意外かも』



 私がそうコメントすると、クロマルさんが私のコメントを拾ってくれたようで。



『意外かもって? いや、マジなの。友達もいないし、学校ではほとんど喋らないもん。クラスメイトにさえ敬語だし、ずっとマスクつけてるし。まぁ、クラスメイトと話すのなんて提出物出すときぐらいだから困らないっていうね。はは、陰キャ極め過ぎたわ』



 自嘲気味に言って笑ったクロマルさんは、さらに言葉を続けた。



『俺の好きな子さぁ、めちゃくちゃ陽の側の子なんだよね。だから、見てるだけで精一杯っていうか。え、ならなんで気になり始めたのかって? 結局顔に惹かれたのか? うるせぇ、顔だけじゃねーよ! いや確かに顔も超かわいいけどね!? その子、よく図書室に本を借りに来るんだけどさ。いつも借りてく本が俺の好みとドンピシャなんだよなぁ。それから自然と目で追いかけるようになっちゃってさ』



 ──ふーん。私もよく図書室に本、借りに行くけどね。クロマルさんがオススメしてくれたやつは、全部読んだけど。



『そしたらさ、小指に髪の毛を巻きつけて照れ隠しするところとか、変な犬のキーホルダーを鞄につけて、めっちゃダサいのに嬉しそうに自慢してるとことか、意外とネットに詳しいとことかさ。全部可愛く見えてきて、もうこれは恋だなーって思ったわけ』



 ──私もよくするけどね、それ。

 

 ──変な犬のキーホルダーも買ったけどね。そもそもダサくないし! ブサカワだし!!


 そんなことを心の中で呟いて、クロマルさんからは見えもしないのに首をブンブンと横に振る。何を勝手にクロマルさんの好きな人になりきってるんだ。私ってば、流石にイタイ。



『何? 話したことはないのかって? あるよ! 一回だけだけどな!! 勇気を出してこの前、彼女が本を借りに来た時に、この本好きなんですかって聞いてみたの。そしたら、好きな配信者さんがオススメしてたから気になったんだって笑顔で答えてくれたし!! 返事するのにいっぱいいっぱいになって「俺も好きです」としか返せなかったことが悔やまれるけど! マジで勿体ないことしたよなぁ……。その配信者、誰だよ! 羨ましいわ!!』



 それは、私のセリフだ。私もクロマルさんとそんな話がしたい。


 そう思ってバタバタと足を布団に叩きつけていると、私も最近そんな会話をクラスメイトで図書委員の黒瀬くろせくんとしたことを思い出した。


 ん? ちょっと待って。そういえば。その時の黒瀬くんの声、誰かに似てるって思ったんだ。


 でも、マスク越しだから聞き取りにくかったし、早くクロマルさんの勧める本が読みたかったから、思考から消し去ったんだった。


 え、まさか。そんなことってある?


 急に心臓がドクドクとなり出した私を置き去りにするように、クロマルさんは話を続ける。



『うわ、質問多いな。みんな恋バナ大好きかよ。ん、その時の本は何だったんですか? ほら、俺がこの前オススメした本だよ。兄弟がデスゲームに巻き込まれる話』



 ウソ。私が黒瀬くんと話した時の本も、確かそれだったはずだ。



『なになに、その子の好きなポイントを語って欲しい? ……みんなが引かないなら語るけどさ。俺の好きな子、綺麗な黒髪ロングヘアーなんだよね。そこが俺の推しポイント。最近はポニーテールにしちゃってるんだけど、俺は下ろしたままの方が好き。オススメした本のさ、妹の髪型に似てるし。絶対そっちの方が似合ってると思う』



 また、心臓がドキリと音を立てる。


 だって最近、私も髪型をポニーテールに変えたばっかりだったから。


 この奇跡みたいな偶然は、本物だろうか。


 学校でほとんど話さず、いつもマスクをしていて、声を聞いたことがほとんどない黒瀬くん。クロマルさんのお気に入りの菓子パンをよく食べている黒瀬くん。図書委員な黒瀬くん。好きな本が同じ黒瀬くん。


 最近ポニーテールに変えた私。鞄に変な犬のキーホルダーをつけている私。クロマルさんに出会ってから、図書室へ通ってばかりの私。クロマルさんの語るエピソードを最近体験したばかりの私。


 考えるだけで頬が熱くなって、心臓の音がどんどん早くなる。


 好き。好きだよ。クロマルさん。


 一度現実味を帯びてしまったせいで、普段は抑え込んでいた気持ちがドクドクと溢れ出す。


 クロマルさんが、黒瀬くんだったらどんなにいいだろうか。


 私が、クロマルさんの好きな人だったらどんなにいいだろうか。


 このコメントが、もし読まれたら。勇気を出して、明日、黒瀬くんに話しかけてみよう。


 そう思って、願掛けをするように、震える指先でコメントを打った。



『クロマルさんは、もしその人に告白するとしたら何て言いますか』


『お! 四葉さんじゃん! 今日2回目だよね、いつも来てくれてありがと。んー、そうだなぁ……』


「待って!? 私のコメント、また読まれた!?」



 1日2回読まれることはほとんどないから、絶対無理だと思ったのに。だから、願掛けにしたのに。


 奇跡みたいな偶然は運命に変わると、クロマルさんが勧めてくれた本に書いてあった。もしかしてこれが、運命ってやつなのか。


 クロマルさんが私のコメントを読んだ瞬間から、緊張でスマホを持っている手の震えが止まらない。



『でも俺多分、告白とか出来ないと思う。多分話しかけるのでさえ、好きな本は何ですかって聞くのが限界かな。で、逆にオススメ教えてくださいって言われたら、俺の知る限りで1番の恋愛小説を勧めるの。それが俺の精一杯の告白だと思う。絶対気づかれないだろうし、何それって言われてスルーされるだろうけどさ』


「……かわいすぎじゃん」



 少しで照れくさそうにそう言ったクロマルさんがあまりに可愛くて、うるさかった心臓がもっとうるさくなる。


 この声が好きだ。優しいこの声から、私の耳が恋をした。


 でも今は違うんだよ。声が好きなのは勿論だけど、その控えめな性格が好きで、クロマルさんの好きな本が好きで、なんかもう『クロマル』という文字の羅列すら、彼の名前だと思うと愛おしい。


 声から、全部全部好きになった。私の耳だけじゃなくて、全部がクロマルさんに恋をしている。


 だから、もっと近づきたい。


 私ばっかり彼の情報でいっぱいになるんじゃなくて、耳から一方的に流し込まれた情報にいっぱいいっぱいになるんじゃなくて。


 私ばっかり、彼で埋め尽くされた生活なんて不公平だからさ。


 私の情報も彼に流し込んで、苦しいぐらい、溢れそうなぐらい、いっぱいいっぱいになって欲しいわけなんですよ!!


 だから私は、そんな思いを込めてスマホに指を滑らせてコメントを打った。



『私だったらその告白、絶対にスルーしたりしませんけど』



 むしろ、自分から近づきにいきますけど。




















 そして翌日。私はトイレの鏡で色つきのリップを塗り、ポニーテールに結んでいた髪をほどいて、借りていた本を抱えて図書室の扉を開いた。


 それから一直線に、カウンターで本の貸し借りをしている黒瀬くんの元へ向かう。



「黒瀬くん、本の返却お願いしていい?」


「っ!? は、はい!」



 黒瀬くんからマスク越しに聞こえてきた声は100%クロマルさんのもので、どうして今まで気づかなかったのだと自分が嫌になる。


 でも、そんな気持ちは飲み込んで、手続きをしてくれている黒瀬くんに話しかけた。



「そういやこの前話してたことなんだけど。私、好きな配信者さんがいてね」


「……? はい」


「クロマルさんっていう配信者さんが特に好きで、『四葉』っていうユーザーネームで、よく配信を聴きにいくの」


「……!?」



 そう言った瞬間、黒瀬くんの顔が、マスクをしていても分かるほど真っ赤に染まる。そして、手続きをしていた本を大きな音を立てて落としたので、彼が拾う前に手に取って差し出す。



「この本もね、クロマルさんが勧めてたから読むことにしたんだ」


「そ、そうなんですね……?」


「うん、そうなの。それでね、黒瀬くんに質問があるんだけど」



 私は暴れ回る心臓を抑えるように深呼吸をしてから、こちらを見つめている黒瀬くんの目を見て口を開いた。



「黒瀬くんの好きな本って何?」



 すると黒瀬くんは、顔をさらに真っ赤にして、意を決したように



「少し、待っててもらえますか?」



 と言って、私が手渡した本をカウンターに置いて席を立った。そして、一冊の本を手にして戻ってくる。それから、震える声で私に、大きめの文庫本を差し出して顔を俯けた。



「……俺のイチオシはこれです。医者と患者の、儚い恋愛小説なんですけど」



 黒瀬くんが持ってきてくれた本が恋愛小説だということに、心が跳ね回る。でもその鼓動すらも伝わって欲しくて、本を渡そうとしてくれた黒瀬くんの手にそっと触れた。そして、顔を近づけて耳元で囁く。



「…………私も好き」


「……っ、え、あ、この本、知ってたんですか?」


「そうじゃなくて。クロマルさんのことが……黒瀬くんのことが、大好き」



 そう言って黒瀬くんから顔を離し、目を真っ直ぐに見つめた。



「もしかして今の、告白じゃなかった?」



 すると、黒瀬くんの顔がいっそう赤く染まる。そして、恐る恐るといった様子で言葉を吐き出した。



「ッ……えっと、告白でした。四井さんのことが、好きです……」


「……ふふ、よかったぁ。緊張したぁ……」



 私はそう言ってしゃがみ込み、熱くなった頬を手で覆い隠した。


 あぁ、まるで奇跡みたいだ。ずっと好きだったクロマルさんが黒瀬くんで、クロマルさんのリスナーだったからこそ、この告白をスルーせずにすんで……たった今、両想いになった。


 両想いになったんだから、私も黒瀬くんに、私をたくさん流し込みたい。私で溢れるぐらい、いっぱいいっぱいになって欲しい。


 だから、立ち上がって図書室のカウンターに手をつき、もう一度黒瀬くんの耳元に唇を寄せた。すると、黒瀬くんはビクッとして少し後ずさる。それでも、それに気がつかないふりをして口を開いた。



「ねぇ。明日は、私の好きな恋愛小説を勧めてもいいかな」


「も、勿論です!」


「……そうじゃないでしょ。敬語なんてやめてよ。私達、好き同士なんだよ。これから、付き合うんだよ?」


「つ、付き合っ!?」


「え、違った? 私は付き合いたいけど、黒瀬くんと一緒にいたいけど……黒瀬くんは、やだ?」


「そんなわけないです!!」


「ふふ、よかった。いや、よくないか。それならタメ口で話してくれないと」



 私がそう言ってクスクスと笑うと、くすぐったそうに黒瀬くんが身動ぎする。それをいいことに、



「黒瀬くんがタメ口で話してくれないと、もっと近づいちゃうけど」



 と言うと、黒瀬くんは空気にすぐ溶けてしまいそうな声で「……っ分かったから」と呟いた。私はそれに満足して、黒瀬くんから離れる。


 目の前の黒瀬くんは、顔を真っ赤にして、潤んだ瞳で私を見つめている。その様子が恋しくて、愛おしくて、どうしようもなく嬉しかったから頬が緩んだ。


 だって多分、今の黒瀬くんは私でいっぱいだ。


 今まで私がクロマルさんに悶えてきた分、もっともっと私を流し込むから。私の趣味も、好きなことも、たくさんたくさん、これから伝えていくね。だから、黒瀬くんの中が私で溢れて苦しくなるぐらい、私のこと好きになってよ。


 私は心の中でそう呟いて黒瀬くんから離れ、貸してくれた恋愛小説を腕の中でギュッと抱きしめた。



 一方通行は、今日でおしまい。

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