激情

沼郎

激情

 激情に駆られ、人の心を踏みにじってしまいました。何度その光景を思い返しても最低だったと思います。


 馬鹿力で炬燵を持ち上げ、何度もその人に叩きつけました。殺したいと思う事は何度もありましたが、本気で殺そうと思ったことは一度もないのです。それでも叩きつけるのを止めなかったのは、未だに父親の事を馬鹿にするのを許せなかったのです。


 僕は6人家族でした。父と母と9つ離れた兄と祖父と祖母。僕を含めみな父を毛嫌いしていました。心の底から嫌っていたわけではないのですが、僕以外の家族が常に僕に父への悪態を吐き、それを聞かされていたので自然とそうなっていったのです。


 歳が10を超えた年に祖父も祖母も亡くなりました。僕らは涙を堪え切れずに泣きじゃくっていましたが父だけが清々した表情を浮かべ、ろくに死に顔も拝まないので僕は怒りを覚えました。常日頃溜まった恨みの総数を請け負い晴らすように罵倒を浴びせて蹴飛ばしてやりました。


 父は何も言わず、顔も合わせる事すらなくなりました。この事を思い出す度に僕は僕を殺したいくらい怒りが込み上げてきます。


 僕はいつも妬んでいました。甘えん坊の僕は愛されたかったのです。みんなから好かれたかったのです。兄はいつも従兄弟を優先して僕が何か目立とうとすると決まって不機嫌になり、母に泣きつくも微笑ましいのだと笑うのです。だから僕はずっと従兄弟を羨んでいました。同時に疎ましく思っても居ました。


 それでも何度か感情を爆発させて狂ったように暴れた事があります。ただ幼い僕の力は捻じ伏せられ、兄との力の差に悔しい思いをするほかなかったのです。


 そんな兄が決まって僕の味方をするのは兄が嫌いであろう父と相対する時なのです。僕が何か父にしてやると家族は喜ぶのです。だから僕は好かれようとそんな行動をしてしまいました。僕はそんな僕を一生許すつもりはありません。


 歳を14を超える頃、父は家族に暴力を振るうようになっていました。毎晩兄と父が対立し、最終的に父対僕らの構図が出来上がり、父が扉に鍵を掛けて僕らを拒絶して終わります。そんな生活が2年ほど続いた後、両親は離婚しました。


 離婚とほぼ同時期に僕も学校へ行かなくなりました。そのころから僕の暴力性は増したと思います。学校の人や友人や従兄弟含め無理矢理学校へ行かせる人達に憎しみが蓄積されたのです。それがある日爆発してしまったのです。


 家にある家具の殆どをなぎ倒し、ガラスや壁に穴を開けて収まらない怒りを発散し続けました。そして警察が訪ねて血の気が引くまでずっと暴れ続けました。その日を境に強引に連れていかれる事はなくなりましたが、同じ家族としても扱われなくなりました。まるで僕は爆弾のような存在になり、虚しくなりました。


 16歳と年甲斐もなく喚き声を上げて僕はこの世界のどこにもいないのだと家を飛び出して走り続けました。農道を真っ直ぐ走り続けて脇の砂利道を超えて、それでも地理に詳しくない僕は恐怖心に負けて遠くへ行くことが出来ませんでした。空虚に満ちた深い遊水地のど真ん中で叫び続けました。


 一日以上はそこで過ごしたと思います。僕は密かに母が迎えに来てくれるのではないかと期待していたのですが来ることはなく、結局どうしようもなく家に帰ったのです。そして家に帰るや否や母親の前で号泣して咽び泣いて見せます。涙があふれてきたのですが、悲しい気持ちではありませんでした。それでも涙を見せて泣いたのは、僕の心が僕が悲しんでいるっていう事を伝えたかったからだと思います。


 家に居づらいときは偶に遊水地で黄昏るのが日課となってしまいました。これが運命なのかどうか僕にはわかりませんが、四年ぶりに父親と再会しました。随分穏やかで昔見た気性の荒い父とは全くかけ離れていました。散々嫌っていた態度を見せていた僕に優しく接してくれたのです。不器用ではありましたが、寂しさではち切れそうだった僕の心を癒してくれました。


 父は決して母や兄の悪口を言うことなく僕の事だけを聞いてくれたことを僕はたまらなく嬉しかったのです。涙は大して出ませんでしたが心の底から泣き叫んですすり泣いたと思います。だってこんなにも感情が揺さぶられているのだから。


 息子であるために僕はアルバイトを始めました。学年は違うけれど学校を再開し、免許も取りました。この変わりように家族は僕を爆弾扱いはしなくなりました。けれど未だに父の悪口を言い続けるこの家族へ向ける視線が冷たくなりました。こんな家族を養う為に必死に働いていたのだろうと考える度に色んな感情が渦巻きます。


 大人になる為に我慢はしたのです。それでも最早我慢の限界でした。僕は込みあがった怒りを爆発させて激情に身を任せ、暴力を振るってしまいました。食器棚へと突き飛ばし、揉み合ってガラスを割り、タンスに頭を押し付け、指の骨を逆に曲げ、眼球を押し潰し、頬の肉を噛み千切り、怯える兄に止むことなく炬燵で追撃を浴びせ続けました。


 何度も言うのですが本気で殺そうと思った事はありません。ただ僕は知ってほしかったのです。僕が怒っているのだということを、知ってほしかったのです。


 僕はこんな事をする為に生まれた訳ではなかったのですが、身をもって知ってもらえればなと思います。僕の想いを書き綴る事は出来ませんが反撃に胸に喰らった包丁で死ぬ最期も僕らしくていいのかなとも思います。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

激情 沼郎 @ritti

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ