第10話 オトギリソウ
どれくらい時間が経っただろうか。
どこかで音がしたような気がして、私は目を覚ました。
(…何かいる。)
私は起き上がって暗闇に目を凝らした。
(何?)
川の近くに、正確には私の結界の周りに多くの気配を感じる。
結界を張っているため相手からはこちらは見えないが、私は息を殺して気配のする方向に近づいた。
「!」
気配の正体は犬だった。
城で働いていたときに一度だけ見かけたことがある。
大きなかぎづめを猫のように出したり引っ込めたりして相手を攻撃する、追跡にも戦闘にも向いている犬だ。
(これは…城の紋章?)
犬の首輪には城の紋章が彫られたメダルが下がっていた。
(こんなところまで追いかけてきてたなんて。)
私の存在には気づいていなかったが、野生の勘で自分の目の前に何かがいることは認識しているのだろう。犬は結界近くに立ち止まり、何かを探すようにじっとこちらを見ている。
犬がここにいるということは、私を探す人たちもすぐにここに来るだろう。
私は音を立てないようトランクに荷物を詰め、焚火を消した。
(どうやって脱出しよう。)
少しでも存在を悟られたら、犬はこちらに襲い掛かってくるだろう。
うまく対処できたとしても、騒ぎを聞きつけて追手が駆け付けて来るに違いない。
そうすれば、私がここまで逃げてきたことが分かってしまう。
重要なのは、私がここにいること、そしてその目的地を悟られないことだ。
(勝算はないけど、これで行くしかない。)
私は手を胸の近くで組み、そしてゆっくりと開いた。
手の平には茶色い小鳥が乗っていた。
本物の小鳥ではなく、私の想像を具現化したものだ。
「…よろしくね。」
小さな声で小鳥に呟き、目的地と反対側に放った。
小鳥が飛び立つと、犬たちはそれに反応して小鳥を追いかけていった。
(うまくいった!)
私は急いでトランクを拾い上げると、森の中へと走った。
なるべく遠くまで逃げなければ。
ハアッハアッ…。
暗くて足元が見えない分、走るのが非常に難しい。
(匂いを消さなくちゃ!)
犬たちは恐らく私の匂いを追ってここまで来たのだろう。
魔力が切れればあの小鳥は消えてしまう。
そうすれば、犬たちは私の匂いに気づいてまたこちらを追い始めるかもしれない。
(どうすれば…!)
「あっ!」
木の根に足を取られ、私は斜面を転がっていった。
「うう…。」
あちこち打ち付けて、全身が痛い。
それに加え、数か所から出血しているのが分かった。
これでは遠くまで走れない。
(血の匂いなんて余計気付かれちゃう!)
何とか立ち上がろうとするも、足が痛くて体を少し浮かせるのが精いっぱいだった。
(魔法を…!)
ここから動けない以上、隠れる必要がある。
私は風を巻き上げ、周りの落ち葉を自分の上にかぶせた。
(これなら…しばらくカモフラージュできる…。)
落ち葉の下で、痛みを感じるところに魔法を使って氷を当てて冷やしていく。
(今日のところは、ここで静かにしていよう…。)
歩くこともできないため、結界を張ることもできない。
(危険な動物とか来ないといいけど…。)
そう思っていた矢先、辺りの空気が一気に冷たくなった。
「何?」
ズル…ズル…と、何かが近づいてくるのが分かる。
先ほどの犬よりはるかに大きな何かが。
視線だけを動かして、私は落ち葉の隙間から外の様子をうかがった。
(…うそでしょ?)
近づいてきたのは、私のことなど一巻きで絞殺しそうなほど巨大な白蛇だった。
大蛇はためらうことなくこちらに近づき、目の前で止まると、しげしげと私の顔を覗き込んだ。
私はその大きさと、この状況に驚いて目を見開くばかりだったが、不思議と恐怖は感じなかった。
「あ…。」
おかしな話だが、この蛇なら言葉が通じると思った。
私は何か言おうと口を開いた―その時、無数の犬が駆けてくる音が聞こえた。
(マズイ!)
思ったより早く追いつかれてしまったようだ。
蛇も足音に気づいて音のする方向に顔を向けた。
「お願い…。」
かすれるような声で蛇に語り掛けると、蛇はこちらに視線を戻した。
「助けて…。」
私は蛇の真っ白な瞳をじっと見つめた。
蛇は瞬きをすると、長い同体で私の周りを守るように囲った。
その荒い息が聞こえるほど、犬たちはこちらに近づいていた。
グルルルル…!
白一色に染まった景色の中でも、犬たちと蛇がにらみ合っているのが分かった。
「ガウ!!」
一匹が威嚇するように吠えた。その瞬間、何かが起きた。
「…クウーン」
犬たちは情けない声を出して一目散に走っていった。
(何があったの?)
体を起こすことができないまま、私は辺りの様子をうかがったが、蛇は何事もなかったようにその場で丸くなった。
追手から逃げられたのと、守ってもらう事の安心感からか、私はいつのまにか眠ってしまった。
オトギリソウ:敵意・迷信
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