第4話 ロベリア
「こっちよ。」
案内されて着いたのは、使用人専用の入り口だった。
「お客様には触れないこと。何を言われても笑顔で対応すること。仕事を終わったらすぐに下がること。いい?これだけは注意してね。」
「わかりました。」
私はスッと背筋を伸ばした。
大丈夫。私を知っている人なんて、いないんだから。
そう自分に言い聞かせ、私は案内してくれた女性に続いて会場に入った。
使用人たちがバタバタと忙しそうに駆け回っていた裏方とは正反対に、会場には優雅でゆったりとした雰囲気が流れていた。
(大きい会場だなあ。)
きょろきょろしないように気をつけながら、私は辺りを見回した。
キラキラと輝く大きなシャンデリアに、様々な宝石や豪華な服を身にまとった人々。
テレビでしか見たことがない世界が、目の前に広がっていた。
「ここよ。」
小さな声で女性が言ったとおりに料理を運ぶと、私はそそくさと会場を去ろうとした。
その時、
「君。ちょっといいかね?」
と、恰幅の良い一人の男性が私に声をかけてきた。
たくさんの勲章を胸につけているあたり、おそらく軍人だろう。
「…はい。」
私は笑顔で男性を振り返った。
「ちょっと、これを持っていてくれないか。」
男性はそう言うと、食べかけの料理が乗った皿を私に手渡してきた。
「かしこまりました。」
私が両手でそれを受け取ると、男性はどこかへ歩いて行ってしまった。
(え、これどうすればいいの?)
一緒に来た使用人の女性を見ると、女性は付いて行けとジェスチャーを送ってきた。
(ええ…荷物持ちですか…?)
私は仕方なく男性の後を付いて行くことにした。
周りの貴族たちにぶつからないよう注意しながら歩いて行くと、男性が不意に立ち止まった。
「やあ!お久しぶりですな!」
男性の明るい声の後に、聞き覚えのある声が返ってきた。
「ご無沙汰だな。大佐。」
その声を聴いて、背中に寒気が走った。
(この声は…)
恐る恐る視界を上げると、あの王子が立っていた。
幸い、相手は私のことには気づいていないようだ。
「この前の遠征は見事であったな。」
「いやいや、殿下のご支援のおかげですぞ。兵士の確保もすぐにできましたしな。」
「ははは。国を担っていく立場として当然のことをしたまでだ。」
二人は楽しそうに会話を続けている。
(うう…早く終われー!)
なるべく王子の方を向かないように顔を背けていると、
「ルミエール様!」
と後ろから高い声がして、こちらに向かって走る足音が聞こえた。
(そうだ。王子がいるなら当然あの子も…)
重なる不幸に半ば辟易する。
足音が近づき、栗色の髪が顔をかすめた―その時、
(!)
私は思わずその少女の腕をつかんだ。
「きゃっ!何?」
少女は驚いた声を出して私を振り返った。
出会った人なら絶対に忘れないであろう可愛らしい顔立ち、ぱっちり開いた瞳。
「あ、あなた…」
モカちゃんは私の顔を見てより驚いたように目を見開いた。
「それ、飲んじゃダメ。」
「え?」
私はモカちゃんの持つグラスに目を向けた。
銀食器を磨いたから知っている。使用される食器にそんなにさびた色の物はなかった。
「それ、毒が入っているから飲んじゃダメ。」
私の言葉に、サアっと顔が青くなるモカちゃん。
「おい、何をしている。」
王子が言うと、すぐそばにいた護衛の騎士が、モカちゃんの掴む私の腕をねじ上げた。
ガチャンという音がして私が持っていた皿が落ちる。
「お前…あの時の―!」
王子が私に気づいて声を上げた。
「何を考えている。巫女に手を上げるなど、捕まりたいのか。」
厳しい声で王子が言った。
「いいえ、違います。その方のグラスに毒が入っていたのです。」
私は腕の痛みに耐えながら王子に訴えた。
しかし王子は取り合うそぶりも見せず、
「はっ何をたわけたことを。このグラスは銀でできているのだぞ?毒が入っていれば一目でわかる。」
と、王子がモカちゃんのグラスを傾けて見せた。
するとそこには、先ほどまでくっきりと出ていた錆が無くなっていた。
(!さっきまで出ていたのに!)
しかし、あれ程までに濃い色を見間違えるはずがない。
(なんで…!)
訳が分からず混乱していると、
「ど、どうしてなの…?」
モカちゃんが泣きそうな声を出して私に近づいた。
「私が巫女に選ばれたから?」
ウルウルと目に涙をためて言うモカちゃんに、私はびっくりした。
(何言ってるの、この子。)
助けようという意識が、急に冷めていった。
「いえ、私の勘違いだったようです。申し訳ございません。」
証拠がないとなればこちらも引き下がるしかないだろう。私は頭を下げた。
会場は静まり返り、周りの人々が何かあったのかとこちらを見ているのを感じる。
王子は私の言葉にハッと笑うと、
「しらじらしい。どうせ巫女に選ばれたモカを逆恨みしているのだろう?」
とあざけった。
(なっ!)
言い返したかったが、ここで歯向かったところでこちらが不利になるだけだ。
「…。」
私は手をぎゅっと握りしめて頭を下げ続けた。
「殿下、それはどういうことですか?」
大佐が混乱したように言うのが聞こえる。
「ちょうどよい。皆にもこの身の程知らずの愚行を教えて差し上げよう。」
王子が見物人たちに向かってそう言うと、私は無理やり跪かされた。
「うっ…」
「この女は間違えて召喚され、城での仕事を与えてもらったにもかかわらず、巫女であるモカに醜い嫉妬心から手を上げ、さらには毒が盛られているなどとのたまったのだ!」
王子の声が会場にこだまし、それと同時にざわざわと客たちがざわめき始める。
「あの使用人が巫女様に手を上げたのか?」
「なんて無礼な!」
「恥知らず!」
周りの声が耳に入ってくる。
(やめて…)
私は恥ずかしさと怒りで耳をふさぎたい思いだった。
「ルミエール様!この子は悪くありません!ただちょっと私に嫉妬してしまっただけです!」
モカちゃんの甲高い声が聞こえる。
「巫女様はお優しいのね…」
「それに比べてあの醜女は。」
(もうやめて…!)
「はっお前は見た目だけでなく、心も醜いのだな。」
王子が低い声でそう言った。
「!!」
その瞬間、私の怒りは限界に達した。
頭が重くなる感覚と同時に、燦然と輝いていたシャンデリアの光は破裂音と共に消え去り、辺りは闇に包まれた。
「な、なんだ!?」
明るかった空は一気に暗くなり、雷の音が会場いっぱいに響き渡った。
屋内にもかかわらず、会場内に風が吹き荒れる。
「キャー!」
「うわああ!!」
会場にいた客たちは皆パニックになり、我先にと出口へ押し寄せた。
「きゃああ!」
「近衛兵!何をしている!状況を鎮めろ!」
王子の怒号と共に、バタバタと言う足音と共に兵たちが入ってきた。
すると私をねじ上げていた力が少し弱まり、私はその隙に使用人通路へと駆けだした。
(な、なにが起こったの!?)
状況を把握しきれないまま、対応に追われる使用人たちの間をぬって私は走った。
(やばい!このままじゃ…)
「ルリ!」
誰かに呼ばれ、私は足を止めて振り返った。
メアリさんとフローが、私の方に向かって走ってくる。
「メアリさん、フロー…」
二人の顔を見て安心したためか、急に足の力が抜けて、私はその場に立ちすくんでしまった。
「一体何があったんだい!?表はすごい騒ぎだよ!」
メアリさんは動転したようにそう言った。
「ルリ、ルリは異世界から来たの…?」
フローがそう呟くと、メアリさんがハッとしたように私を見た。
「あんたまさか、神力を使ったのかい!?」
私はうつむいたまま首を振った。
バレてしまった。私が巫女のなり損ないだと。しかもあんな屈辱的な方法で。
「違うよ。ルリが掴まれた時、辺りが真っ暗になって、急にお外が暗くなったの。」
フローの言葉に、メアリさんが眉間を抑えた。
「これはまずいことになったね…とりあえず、あんたは今すぐここから逃げたほうが良い。」
メアリさんはそう言うと、
「フロー、ルリを裏出口まで連れて言ってあげな。」
と、どこかへ走っていってしまった。
「ルリ、行こ?」
私は黙ってフローに付いて行った。
出口に向かいながら、私もフローも口を閉ざしたままだった。
王子から非難を受けているとき、私は仲良くなった人たちのことばかり考えていた。
見ず知らずの私を受け入れ、仲間として見てくれていたみんな。
恐らくそのうちの何人かは、フローのようにあの場を目撃していただろう。
(絶対、幻滅されたにきまってる…。)
前を走るフローの顔を見るのが怖かった。
「ここだよ。」
さびれた扉の前に着くと、フローは私を振り返った。
人気のない暗い通路に、フローがどんな表情をしているのか分からない。
「…ありがとう。」
「メアリがルリの物、持ってきてくれると思うから…。」
「うん…」
そうして、沈黙が訪れた。
「あのね、ルリ―」
「ごめん。」
フローが口を開いたが、私はそれを遮った。
「え?」
「ごめんね、フロー。ずっと隠してて。がっかりしたでしょ?」
涙をこらえながら、私は言った。
「こんな、可愛くもない私が、巫女のなり損ないだったなんて。」
向こうから顔が見えていないと分かっていても、顔をそらさずにはいられない。
「恥ずかしくて、黙ってたの。みんなに失望されたくなくて、嘘ついてたの。可愛くないし、それに私―」
「そんなことないよ!」
フローはそう言うと、私の両肩をつかんだ。
「ルリが巫女でも、そうじゃなくても、私達はルリだからお友達になったんだもん!」
わずかな明かりに照らされて、フローの顔が映し出された。
まっすぐで、真剣なまなざし。
「ルリは私たちの大事な友達だもん!そんなこと言うなんて、ルリ自身に失礼だよ!」
フローの言葉に、私は思わず涙を流した。
「みんなそんなことでルリのこと嫌いになったりしないよ。」
フローはふっと優しい表情になると、私の手をぎゅっと握った。
「ありがとう…」
私はそう言って涙を拭いた。
すると、通路の奥から人の足音と共に、
「あんたたち、大丈夫かい?」
と言ってメアリさんがトランクを持って走ってきた。
「メアリさん!」
「ああ、無事に来れたようだね。上じゃ兵士たちがあんたのこと探してるよ。早くここを出たほうが良い。」
「でも、私どこへ行けばいいのか分かりません。」
第一、この城の外に出たことすらないのに。
「それなら大丈夫だ。ここから少し遠いんだけどね、あたしの住んでたククル村ってのがあるから、そこへ行くといい。あたしの友達だと村長に言えば、そこにしばらくはいさせてもらえる。」
「え…でもそれは迷惑じゃ…?」
「そんなこと言ってる場合かい?いいからとにかく村へ行きな。場所はこれが示してくれる。」
そう言って渡されたのは、メアリさんがいつもしている指輪だった。
「これって…!」
「あたしはこれがなくても村に帰れるから心配する必要はないよ。それよりも、あんたはまず自分の心配をしな。」
メアリさんは私の手に指輪を持たせると、自分の手をその上に重ねた。
「メアリさん…ありがとう。」
「いいんだよ。」
メアリさんはそう言ってトランクを渡すと、私の背中をグイっと押した。
「その魔術書を使えば何とかなるさ。さあ、行きな!」
「気を付けてねー。」
私は二人に見送られながら、扉を開けた。
激しい風と雨が一気に通路に流れ込んでくる。
「本当に、何から何までありがとうございました。」
「辛気臭いこと言うんじゃないよ。また絶対に会うんだから。いいかい?」
「まっててねー!」
「はい!」
そう言って、私は暗い道へと足を踏み出した。
この世界に来て初めての外。
少し怖いけれど、私には支えてくれる友達がいるってわかったんだ。
それだけで、今は十分だった。
「みんなにも、ありがとうって伝えてください!」
私は振り返って二人にそう叫んだ。
メアリさんとフローは、それに応えるように手を振ると、見えなくなるまで私を見送ってくれていた。
ロベリア:悪意
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