社用車にて

 この駅は利用者の数の割に小さな駅だ。近くに有名な私大があるというだけあって、朝の時間帯は大勢の学生で埋め尽くされる。私は駅の出口から少し離れた歩道で先輩を待った。上着はまだパリッとした作業着で、作業を一切していないことがバレバレの作業着だ。中には白のワイシャツに就活の時に買った青いネクタイを付けて下はスーツのパンツをはいている。革靴にはだいぶ慣れてきたが、やっぱり冬になってもまだまだ『服に着られている』感覚がした。

私の肩を叩くように小さなクラクションが鳴った。運転席には先輩が乗っており、助手席には課長が乗っていた。私の前に車が止まると私は後ろの扉を開けてあいさつした。

「おはようございます。」

おう、と軽い返事を返したのは私の5つ上の本庄先輩だ。先輩は本当に面倒見のいい先輩で学生時代に野球に打ち込み、後輩の扱いや先輩やお客様との打ち解け方もかなり慣れているようで『新人は本庄につけておけ』的な風習が弊社ではあるようだ。

助手席の堀越課長は同じ部内で少し気難しいところがあるのだと周りから聞いていたが、私にはそう感じなかった。不器用であることと、必要以上に会話をしないことは違うことだと思うからだ。まるで私の父の様だった。


私の父は母と違いべらべらおしゃべりをするタイプではないし、かといって亭主関白を気取った昭和男でもなかった。いつも気難しい顔をしていたが、それはいつも真剣に物事を考えて見ている様に感じたからだ。昔お小遣いでゲームが欲しいと言った時に母には必要ないと怒られたが、父からは手持ちのお小遣いに対していくら使って、お前が毎月買っている物をやりくりできるのなら問題はないと言ってくれた。それが私なら大丈夫だと信じてもらえているようで非常にうれしかったのを今でも覚えている。だからという訳ではないが、私は父の様な人に苦手意識をもったことは一度もなかった。


「この時間帯電車混んでただろ?」

何でもない世間話で私の背筋は再度伸びた。

「はい、やっぱりこの時間帯は多いですね」

本当にただの世間話であったが、私は先輩の言葉を聞き逃さないように、少し前のめりになって話を聞いていた。

「ところで、今日の調査はどんな物件なんですか?」

私の仕事はマンションなどの集合住宅を修繕する工事会社に勤めていて、今日は来年着工予定のマンションの現地調査が主な内容だ。私は前の現場を無事終えて、今この車に乗っている3人で現場を運営することになる。いわゆる現場監督というやつだ。

この前の現場については、ほぼ検査の手伝いであっちに行ったり、こっちにいったり、私の席など存在しないような検査要員で、あえて管理したものあげれば品質管理になるのだろうか。今回の現場の様に着工と同時に携わる案件は初めてなので緊張している。


「世帯数は200世帯だから、まぁ堀越所長と俺が現場を回すってよりは、お前もこみで3人で管理をする感じだからガンガン仕事振るから気合入れてけよ!」


本庄先輩なりに鼓舞してくれたのだろうが、私は少し首元が苦しくなり、ネクタイの閉まり具合を気にした。

現場に到着すると私は妙な緊張感が漂った車内から脱出できてホッ肩を撫でおろした。

「黒川君」

堀越課長が私を呼んだのですぐ近くにとんでいった。

「画板に図面を取り付けて、カメラ忘れずに。よろしくね。」

「わかりました。」

調査は屋上から始まり廊下・階段・外構と回っていく。打診検査という壁に貼られたタイルを叩く音でタイルの不具合部分を探す調査をしたり、細かい納まりを覗きこんだり、各々気になるところをバラバラに動くので、2人に均等に近づきは写真をとりメモ取ることを繰り返した。建物を直す修繕工事と新築工事の違いは、人が棲んでいるか否かという部分が非常に大きい。私たちは完全なる部外者。朝から晩まで騒音と臭気を垂れ流す厄介な連中である。しかもこの規模になると毎日平均50人程度の職人が来場する為、朝が戦場と化すのが目に見えている。


そうこうしているうちに、あっという間に昼休みになった。

今日は午前中に調査、午後からも引き続き調査の予定であったが、調査は午前中で終了した。「黒川―、飯屋さがすぞ~」

3人で有名私大の近くの商店街にやってきた。

「学生がやっぱり多いっすね」

私は堀越課長に声をかけたが、そうだなという返事だけもらった。もちろんこんな返しになるのは想定済みだった。立派なコミュニケーションである。

「ここいいじゃん!」

本庄先輩が選んだのは居酒屋だった。

「昼から飲むんですか?」

真剣な顔の私に馬鹿と本庄先輩に頭を殴られた。堀越課長から今日初めての笑顔が見えた。

この個室居酒屋『ぐでんぐでん』は客が少なく個室なのでほぼ貸し切りだった。ほぼというのは奥まった個室からつまらぬ結婚論が聞こえたようだったが、壁に遮られて特に気にはならなかった。


「好きなの頼んでいいぞ」

堀越課長は私にメニューを渡してきた。居酒屋にしてはランチメニューが豊富だったが、日替わりを頼むことで選択時間を短縮した。すると本庄先輩は一本電話を掛けた。知り合いの同僚の様な話し方だったが。

その間に堀越課長にメニューを渡すと、私は大丈夫だからと断ってきた。

昼ご飯を食べないのかと課長に聞こうとしたその時、本庄先輩がオッケーですと堀越課長に笑いかけた。

それを聞いた堀越課長はニヤリと笑って店員を呼んだ。

「生3つ」

私は体を乗り出してオウムの様に生3つと復唱した。

「なんだよ、黒川、酒駄目なのか?」

「いえ、そうではなくて。大丈夫なんすか?」

「とりあえず生3つ日替わり2つ、あと唐揚げとタコワサ」

「はい、生が3つ、日替わり定食が2つ、唐揚げが御1つ、タコワサが御1つ以上でよろしいですか?」

「とりあえずそれで!!」本庄先輩が付け足した。

「少々お待ちくださいませ」

店員が席を離れると先輩たちはおもむろに上着を脱ぎだした。

「黒川、お前も客に見られると面倒くさいから上着脱いどけ。」

「いいんですか?午後も調査っすよ」

「もう終わったろ?もう一回この寒い中調査したいの?」

「そういうわけじゃないっすけど。車はどうするんっすか?」

「今別のやつが近くにいて午後から車使いたいっていうからそいつに乗って帰ってもらうわ。」

何とも本庄先輩の段取りの良い事か。私は呆れて笑ってしまった。

「こちら生になりまーす」

「お姉さんありがと!」

「ごゆっくりどうぞー!」

先に来た生をそれぞれの前に回しながら本庄先輩が堀越課長に尋ねた。

「課長。今の店員の子、有村架純に似てませんでした?」

「俺も思ったっす」私もすかさず喰い気味で反応すると、

「お前らよく見てるねぇ。似てたけど。」

3人で大笑いすると、大分早めの乾杯をした。

いつもよりアルコールが足早に体を駆け巡った気がした。

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