居酒屋にて
「結婚ってさ、機能的に考えるともう必要ないのよ。
だってさ、昔はコンビニも無ぇ、スーパーも無ぇ、だから食材の買い出しから風呂の準備、掃除洗濯誰かやる人間が必要だったわけだ。だから働く人間と家を管理する人間、この二人が共同生活二人三脚でやっていこうってことでしょ?だから結婚は機能的に必要だったわけだ。今はコンビニでもスーパーでもなんでもあるだろ?なんならスマホで注文即日配達だろ?風呂も自動でお湯まで注がれる。もう必要ないんだよ2人も!じゃ結婚って何かっていったら、そりゃ愛だよ!愛!人間は愛の時代だよ!」
後ろの席の誰かが愛について話している。もしかしたら別の席かもしれない。個室に区切られている割には声が聞こえる。昼間の居酒屋だったことも関係するだろうか。ただ、興味深い話ではなかった。なぜなら私には彼女もいないからである。将来の伴侶の話など微塵も興味はない。
さらになんでこんな昼間からこんな居酒屋にいるかといえば、私の正面に座る茶髪のスーツ姿のイケイケお兄さんと出会ってしまったのが原因だ。
友人のケイゴがどうしても会ってほしい人がいるというので時間を作ったが、これは明らかに例の勧誘のやつだ。
客も少なく落ち着いて話ができるだろうと案内されたのは、ランチから夜中まで営業の個室居酒屋『ぐでんぐでん』だ。この界隈で個室居酒屋なら『ぐでんぐでん』、大衆酒場なら『千鳥足』と決まっている。そして今私はこのハヤシという男と共に『ぐでんぐでん』いる。
そろそろハヤシはこう言うだろう。怪しがるなっていう方が難しいよねと。
「まぁ、一橋君。まだあったばかりだから怪しまないでという方が難しいよね」
ほら来た。
ケイゴの話なんて信じなければよかった。正確に言えば怪しさはプンプンだった。
ケイゴは私の隣に住む有村架純似の女子大生を見るために私の部屋に入り浸るようになった。毎日繰り広げられる宅飲みに私のお財布事情は非常に危険な状態だった。
そんなときにケイゴが人の気も知らずに、じゃお金を生み出すマネーマシーンを保有している知人に会わせてやると言ってきたのがきっかけだ。
このケイゴという男の顔の広さは侮れない。笑顔を型で固めたようなお面を素早く脱着できる彼はまるでマジシャンだ。ただ、ケイゴは決して嫌なやつではないことを私は知っている。私と二人で部屋にいるときは嘘のような無表情で私のベッドに腰かけていた。何か緊張の糸を忘れたような顔だ。初めて家に招いたケイゴに気分でも悪いのかと聞くと、「なんかハジメと一緒にいるとすごく落ち着くんだ。ニコニコしなくて済むというかさ。あっ、めんどくさいと思うならもう来ないよ」
あの寂しそうな顔は今でも忘れられない。
私はケイゴのこんな側面に触れたことが何だかうれしくなった。そんなことよりラーメンでも食おうぜと買ってきたカップ麺にお湯を注ぐと、中身の縮れ麺のようにケイゴの顔も緩んだ。それから2人で朝まで飲んだ。途中、コンビニでビールを10本まとめて買った時は店員の女の子に怪訝な目を向けられた。ケイゴが少し会話をしていたようだったが覚えていない。コンビニの帰り道に有村架純似の隣人の話をしたところまでは覚えている。そういえば次の日ケイゴから私が何か叫んだで大変だったと言われたが。
とにもかくにも、今この居酒屋『ぐでんぐでん』から脱出するのが今のミッションである。
「ところで一橋君はお金を得て何をしたいの?」
ハヤシにとっては本題に入るためのジャブのような質問だったのだろうが、私の耳の鼓膜にひっかかった気がした。
コンビニでお酒を買いたい、とりあえず遊ぶお金が欲しい。何かが違う気がした。 私は一体何が欲しいのだろうか。ハヤシの口が動くのが見えたが、今は意識が全部脳に向かっている。
高くもない腕時計の秒針も気にならなくなっていた。
「オレンジのダッフルコートの子をデートに誘う為ですかね。」
自分でもびっくりした。まったくの赤の他人にこんなことを言ってしまうとは。
ハヤシは面食らったように数秒固まったあと、言葉に詰まりながら素敵ですねと返し、今日は解散することになった。当たり前だ、カモだと思った相手が急に恋愛相談をオッパじめようとする勢いで告白を始めればきっと怪しい組織の敏腕幹部もめんどくさがるに違いない。結局ハヤシは何かあれば駒場君に伝えてくれれば時間をつくるという捨て台詞のような定型文をその場に残し足早に『ぐでんぐでん』から姿を消した。
そこに千鳥足の初老の男が私の個室にドスンと座った。
「感動した!まさかあのインチキ詐欺サークルの勧誘を愛の力でねじ伏せるとは恐れ入った!あいつはいつもココで勧誘をするんだ。いいかね、愛の終着点は結婚ではないのだよ、、、ゴニョゴニョ」
この後、私はこのオヤジの話を夜まで聞いた。後ろの席だと思ったが結局店の隅にいたこの愛論者のオヤジとゆかいな仲間達を3人、私を足して4人でワイワイ飲んだ。さすがに夕方になっても連絡をよこさない私のことが心配になったのか、駒場ケイゴが『ぐでんぐでん』に現れた。
顔を真っ赤にした初老のおやじと、意気揚々と鳥の唐揚げをほうばる私を見てケイゴは笑った。愛想笑いのお面を忘れたらしく、腹の底から笑った顔だった気がする。
「お疲れ様でしたー!」
1人の女子が足早に店を後にした。
チラッと見えた後姿はオレンジのダッフルコートだった。
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