九、グルメな街の駅

 降り続いた雨も止んで、列車は草原くさはらの間を快調に進んでいた。バケツに溜まった雨水を走る列車の中から草たちに振りかけ、でもすぐに水を掛けた草は見えなくなってしまう。

 窓から身を乗り出して前の方を見てみると、黒い機関車二両の、そのもっと向こうに街が一つ見えた。あのくらいだと、もうあと十分もすれば街に入るだろう。

 街に入るとすぐに、食べ物のにおいが列車の中を満たした。でも、列車の中に食べ物があるわけでは無い。外からのにおいが入ってくるのだ。

「なんだか、お腹空いてきたなぁ」

 外を見れば、あちこちに飲食店らしい看板が出ていた。その数は、どう考えても住む人の数に対して多い。一見すると普通の住宅よりも飲食店の方が数が多いくらいなのだ。あれで商売やっていけるのだろうか。

「ルナさん、喜んでくださいよ!」

「ふぇ?」

 車掌さんは、なんだかいつになく嬉しそうだった。

「ここに止まるんですよ、この街の駅に、臨時で!」

 そう言って車掌さんは、私の向かいに座った。

「凄い街ですよ、まったく」

「食べ物ですか?」

「そりゃもう。ここは食事がとても美味しいことで有名な街でして、それも街にある殆どすべての飲食店が一級と来たものです」

 ああお腹が空いてきたなぁと、車掌さんは独りごちた。

「でも、それだけ食事が美味しいのに臨時停車なんですか?」

 窓から前を見ると、大きな機関車が真っ黒い煙を上げていた。

「それがここの食事はどれも大衆向けの、なんといいますか、高級な料理ではないんですよ。この列車、一応国をずーっと走る列車なわけでして、切符もそう安くは無いわけですよ。管理局はまあ、この列車に乗るのはお金持ちだと判断するわけです。そうすると、ここは領都から然程離れているわけでも無く、高級料理店が立ち並ぶようなお店でもない。なーんで止まらないのかなぁ、ほんとに」

 殆ど息継ぎをしないで、車掌さんは言ってのけた。

「それは楽しみ――」

「ああっ! もう駅に到着しちゃうじゃないですか! 早く管理局に休暇申請を入れなければ‼」

 車掌さんは私のことなんて見もしないで、早々に車掌室へと退散していった。中からは、やたらと大きな声で休暇を申請する声が聞こえた。


「おっと」

 ソフィアさんが停車のショックでよろめいて、私が座っていた座席の背もたれに手を突いた。

「車掌、めちゃくちゃ喜んでただろ」

 私は頷いた。

「あいつ、私の飯はちゃんと一人前しか食べない癖に、こういう駅に止まるとすーぐはしゃいであれ食べようこれ食べようと言い出すからなぁ」

 ソフィアさんの目線の先は閉じた車掌室の扉だった。多分、今管理局からの返事を待っているのだろう。

「私はギリギリまで列車に残って掃除しとくから、ルナちゃんは好きなもの食べてきなよ。手荷物以外の荷物も、私が預かっておくからさ」

「ああ、ありがとうござ――」

「ルナさん! 早く準備してくださいホラ食べに行きますよ‼」

 車掌室の扉がガンと大きな音を立てた。

「行ってやりな」

 私は財布と銃を持って、上着を着て列車を降りた。

 車掌さんは、今までに見たことのないほど足取りが軽かった。何も考えないで歩いていると、いつの間にか十メートルくらい間隔が空いてしまうのだ。

 時々小走りを混ぜながら、私は車掌さんのあとを追う。

 改札を抜け、駅前に出る。駅を出たら、食べ物のにおいは一層強くなった。駅前のロータリーに面した建物が殆ど全部飲食店なのだ。それは、そうなる。

「まずはここから行きましょう」

 車掌さんは出て右手前側にあった、看板にラーメンと書かれたお店に迷わずに入っていった。店はカウンター席が殆どで、奥に一つだけテーブルがあるくらいだった。厨房を囲むように半円状になったカウンターテーブルの、丸くて赤い椅子に車掌さんと二人で並んで座った。店内には私たちの他には誰も居なかった。

「ラーメン一つ」

 車掌さんはどこも見ないでそう言った。

「ラーメン一つね」

「ルナさんはどうしますか?」

「じゃあ、私も、そのラーメンっていうのを」

「ラーメン二つね」

 鉢巻を頭に巻いた禿頭の店主さんが、二人分のお水をカウンターに置いた。

 しかし、外のにおいも相当だったけれど、店の中はその比ではない。多分、店ものにすっかり染みついているのだろう。

「ところでルナさんは、もしかしてラーメンをご存知でない?」

「え? はい、食べたこと無いです」

 働いていた喫茶店にも、ラーメンというメニューは無かった。

「この間私がチャーハンを頼んでたの覚えてます?」

「そうでしたっけ?」

「ええ、あの、出発して一番最初に食堂車にいらしたときの」

 そう言われてみれば、確かにチャーハンという名前のものを頼んでいたような気がする。

「あれと同じ国発祥の料理でしてね」

 車掌さんが、宙に地図を書き始める。この国がある大陸を描いたところまでは解ったけれど、その先はさっぱりだった。

「あい、ラーメン二つ」

 カウンターの上に二つ、どんぶりに入ったラーメンが、どんと置かれた。

 車掌さんは、置かれるなりどんぶりを両手で持って汁を啜った。

「これは、豚骨醤油ですね、いや美味しい」

「おお、判りますか」

「そりゃあわかりますとも。では麺も失礼して……」

 ズズズ、と音を立てて、車掌さんの口の中に麺が入っていった。

 私は、よくわからなかったから、普通に麺から食べ始めた。

 ラーメンは美味しかった。車掌さんみたいに汁を全部飲んだりはしなかったけれど、麺に絡んだスープは濃厚で、口当たりはまろやかだった。チャーシューも分厚くて、味がちゃんと通って噛めば噛むほど美味しい。

 そしてラーメン屋を出て車掌さんは。

「さて、次は何を食べましょうか」

 そう言った。

「ふぇ? まだ食べるんですか?」

「そりゃもう、せっかくここへ来たんですから、沢山食べないと損です損」

 ラーメンだって、結構な量があったはずなのに。

「お、あそこにシチューのお店がありますね」

 行きましょう、と言って車掌さんは最初と変わらぬ歩調で歩き始めた。私は、車掌さんの二分の一くらいのペースで車掌さんが見つけたお店まで歩いた。


「ああ、もう、私ダメ」

 公園のベンチに座って、私は車掌さんにそう言った。三日くらい何も食べなくても一切お腹が空かないような気持ちになる。

「そうですねぇ、流石に私もだいぶつらくなってきました。もう四時半ですし、宿に向かいますか」

「宿?」

「え? 私もしかしてルナさんに何も伝えてない……? 列車の方は整備と編成を組み直さなきゃいけないわけでして、今は駅に居ません。なので、今日は管理局持ちで乗客乗員全員宿に泊まりますよ」

 なるほど言われてみれば、私が乗っていた車両も雨漏りしていたわけだし、整備の一つや二つくらいするだろう。

 で、問題なのは。

「宿ってどこに?」

「駅前です」

「やっぱり…………」

 歩ける気がしない。この公園があるのは、駅から一キロちょっと歩いたところ。今そこのお店でデザートにパフェを食べたのだ。高々一キロでも、歩いたら吐く自信がある。

 ――そんな自信は要らない。

 三十分ちょっと掛けて、宿まで漸く辿り着く。イメージ的には、宿と言うよりはホテルの方が近いような気がした。

 ロビーにはソフィアさんと機関車の二人が居た。私はソフィアさんの近くにあったソファに、何も考えずに倒れこんだ。

「死ぬ……」

 私がそう呟くのとほぼ同時に、向かいにあるソファに車掌さんが座った。

「で? どれだけ食べてきたの?」

「ええと、まずそこのラーメンを食べまして」

「ビーフシチューパスタハンバーガーカレーステーキ」

「それからデザートにパフェを食べましたね」

 後半はもう、半ば自棄食やけぐいだった。正直、入ったかと言えば入っていないし、ラーメン以外は半分以上私の分も車掌さんが食べた。

「恐ろしいな」

 機関助士さんはそう言って金髪を触った。

「それより車掌さんに付いて行ったルナちゃんのほうが私は恐ろしいよ」

「それは――同感」

 乗員四人に囲まれて、私は暫くソファに横になっていた。

 私は夜ご飯は食べなかったけれど、車掌さんは夜ご飯も完食したらしい。翌日も機関車の二人と一緒にあちこち出かけて色々と食べて回ったとか。その間私は、ずっと宿の自分の部屋に籠っていた。

 もう二度と、こういう駅で車掌さんと一緒に食べには行かないと心に誓った。


 真新しい茶色の客車と、いつもの機関車がホームに止まっている。機関車の煙突からは白い煙が細く上がっていた。

「我々が好き勝手食っている間に随分と綺麗になったものですね」

 車掌さんはあまり嬉しそうではなかった。

「機関車も、色々とパーツが変わった」

「そうっすか?」

「ああ」

「食堂車は綺麗外側まで綺麗になったけど、特に変更はなさそうね」

 おのおの、列車に向かってそんなことを言っていた。私には、綺麗になったこと以外はよくわからなかった。

「さて、では仕事に戻りますか」

 車掌さんがそう言ったのを皮切りに、みんな自分の乗るべき場所に乗り込んでいく。私も、一番前の扉から客車に乗り込んだ。

「そうそう、ルナさん」

 車掌さんが振り返る。

「このあと列車は領境を通ります。パトリアの隣、モンスは入領税が高いですからお気をつ――え? 駅弁売ってる? 買います買います、ちょっと待って!」

 車掌さんは最後までいうことなく、私の横を通って駅弁を買いに行った。

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