第10話 ラシャとワッハウの街が置かれた状況
眠りに落ちると、ワッハウの領主の館でラシャが割り当ててくれた部屋で目を覚ました。
側の椅子でザイルが本を読んでた。私が起きたのに気が付くと、
「おはよう」
と声をかけてきた。
「今は、朝?」
「朝というには少し遅い時間だけど、昼前というにはまだ早い時間かな。ラシャさんたちに声をかけてこようか?」
「それでもいいけど、私、ちゃんと領主様を届けられたんだよね?」
「もちろん。運び込まれてきた時は顔の表面がすごいことになってたけどね」
「今は痛みを感じないってことは、治ったってこと?魔法とか?」
「魔法って意味なら、ユリの体質だろうね。薬を塗るまでもなく、けっこうな勢いで傷がふさがって皮膚が元通りになっていってたから、とりあえず寝かしておこうってことになったんだ。声をかけても体揺さぶっても全然起きる様子が無かったし」
「まぁ、向こうに戻ってたしね。こないだセピアスの魔法を浴びた時は、そんな便利な回復能力は無かった・・・、いやあったか」
あのままだと出血多量で死んでておかしくなかったのが、最低限傷口は塞がってたりしたのだ。
「意識があちらに戻ってる時だけしか機能しないとか?」
「敵が目の前にいたら、そのままやられちゃうだろうけどね」
「無いよりはマシでしょ。じゃ、ラシャや領主様を呼んでくるね」
私はベッドから出て、またストップウォッチのスイッチを入れたり、こちらでの自分も自撮りしてみたりしたが、その間にラシャたちよりも先に来たのはイーナだった。
「ユリ、おかえりー!」
勢いよく飛び込んできたのを抱き留める。普通の男性くらいの背丈ならちょうど鳩尾に頭突きをくらうような感じの元気の良さだった。
「ただいまっていうのも変だけど、領主様助けに行ったりしてたから、ただいまで正しいのか」
「聞いたよー!ポイズン・ヒュドラも殴り殺しちゃったって!」
「まぁ、一人だけだったら、もっと苦戦してたよ。クェイナからもらった武具もすごい役立ったし。素手なら戦いたくない相手だった」
「ねぇねぇ、ユリは、ユリのお母さんに鍛えてもらって強くなったんだよね?」
「うん。そうだよ」
「じゃあ、あたしもユリに鍛えてもらえば、ユリみたく強くなれるかなぁ?」
十歳くらいのかわいい盛りの女の子が、素朴に自分を頼ってくれているのだ。私に妹はいないが、いたらこんな感じかなとうれしくなって、頭をぐりぐりと撫でながら答えた。
「強くはしてあげられると思う。でも、一人で盗賊や魔物を倒せるようになるかは、正直わからない。今の自分は、元の世界にいた自分の十倍くらいは強くなってるから、正直、まっとうな修行の成果としては参考にならないと思う」
「んーーーー、でも、弱いままよりはいいよ!ゴブリンたちに襲われても自分自身を守れるかも知れないしね!」
私は、一瞬言葉に詰まった後、
「そうだな」
とだけ応えて、またイーナの頭を撫でた。
そこでメイドさんが呼びにきて食堂まで連れて行かれた。上座には領主様とラシャが揃っていて、下座にはザイルが座っていたので、私はその中間くらいに座った。
私の前にだけ朝食が給仕されたけど、いちおう領主様の一言を待ってみると、領主様が言った。
「ユリ。返す返すもかたじけない。そなたがもしもこのワッハウに現れていなければ、私やラシャ以外にも、もっと多くの者が命を落としたり、もっと酷い目にあっていただろう。そなたの働きに報いたいと思うが、何か希望のものはあるか?ああ、食事は気にせず進めてくれ」
私は申し訳程度に焼かれて軽く焦げ目がついたパンのような食べ物(バターのような物が塗られてて溶けておいしそうだ)を一口かじってから応えた。
「前にもお話しした通り、ゴブリンたちからの申し出に応じて頂ければ、それで十分です。個人的には、そうですね。前回ラシャから借り受けてた魔道具、使う機会無かったので、預けておいてもらえると助かります」
「それだけで良いのか?」
ふと、傍らにいるイーナを思い出して、
「私はこちらに不定期に来られなくなったりいなくなったりするだろうから、その間イーナを預かって面倒見てもらえれば、十分過ぎます」
「それは問題無い。街や領主やその家族や配下を何度も救ってくれたのだからな。だが・・・」
言葉を濁した領主様がラシャと視線だけで無言の会話を交わしてから、領主様が申し訳なさそうに言った。
「ゴブリンたちからの申し出、私個人としては、受けても良いと考えている。粗暴なままのそこらの野良の群とならともかく、はっきりとした君主の下で統制がきいているというなら、和平の相手として交渉の余地はある。だが、な・・・」
「領主様。はっきり言って頂かないと、私にはわかりません。私はこの世界というか、この街や領主様がどんな状況に置かれているのか、分からないのですから」
「そうだな。この周辺は広範囲に渡って、魔物と人とがせめぎあっている地域だ。そして人は完全な同盟関係として一つにまとまっている訳ではないが、いくつかの派閥に分かれ派閥内では協力しながら、他の派閥とは勢力争いをしている。そして当然、このワッハウの領主たる私も、派閥の一つに属している。派閥内での立場は下の方ではないにしろ、上の方でもない」
「つまり、派閥の上には逆らえないし、逆らえば派閥の中からも狙われてしまうと?」
「表立って反旗を翻したり、別の派閥に乗り換えたりすれば一斉攻撃を受けるだろうが、今はまた別のやっかいごとが起きていてな」
領主様はまたちらりとラシャを見たが、ラシャは私が現れてからもまだ無言のままで、領主様はあきらめたように先を続けた。
「ラシャには、いくつも縁談が来ていて、本人の意志で断ったりしてきたのだが、その中でも激しくしつこく食い下がってきている相手がいてな。それが私の属する派閥の盟主の三男のザンネール・メイケンという方で、容姿にも剣にも魔法にも優れ、家柄も申し分無いとなれば本当なら良い縁談の筈だが、一人娘を嫁に欲しいの一点張りで」
「わがままな奴なんですか?」
「わがままなんてもんじゃないわ」
ラシャがやっと口をきいてくれたと思ったら、止まらなくなった。
「第七夫人の座は君の為にとっておいてあるんだ、とかふざけるんじゃないわよ。そりゃあ貴族だから複数の相手とってのもめずらしくは無いけれど、限度ってものがあるでしょ。それをあいつは相手が平民だろうが貴族だろうが既婚だろうが未婚だろうが、年上だろうが幼すぎる相手までおかまいなしなの」
「ある意味で、すごくないけどすごい奴だな。でも貴族の三男なら、次期当主でも無いんだろ?いくら派閥の盟主でも、そこまで賄ってもらえるもんなのか?」
「派閥の盟主殿の頭痛の種でもあるのだがな。剣の腕と魔法の冴えだけでなく、軍略にも通じているとなれば、多少のわがままは押し通してしまえるお方なのだ。我が家は我が家の事情があり、婿入りならばとあちらが受け入れられない条件を提示することで断り続けられたが、今回は、足下を見られてしまってな」
「というと?」
「盗賊とゴブリンとに街を蹂躙されてしまい、満足に動ける兵士の数は普段よりずっと少ない。住民が生活を立て直すまでの間税収は落ちたままになるだろう。蓄えを切り崩せば多少の無理は出来るかも知れないが、傭兵を雇えば済む話でもないし、そんな間も与えられなかった」
「与えられなかったって、まさか」
「ああ。五百の兵を率いて、こちらに向かっているそうだ。盟主様の都にいる家の者が急使を送ってくれたから先に知ることが出来たものの、きっと、ラシャの嫁入り話が蒸し返されるだろうが、それだけで済む筈も無い」
「例えば?」
「彼がワッハウの領主にもなってしまえば、ラシャが彼に嫁入りすることに問題は無くなってしまう」
「無理矢理って。でもそんなことしたら、派閥の他の者たちが黙っていないんじゃ?」
「それでも盟主に表立って刃向かえる者はそうはいない。それに、ワッハウの街の領主は魔物に街を落とされ、その身分を保証してもらう為に配下に下ったとか噂を立てられれば、大義名分まで与えてしまうことになるのだ・・・」
「なるほどね。ラシャは、どう?無理矢理にでもそんな相手の嫁にされたら」
「無いわ。そんな話になるくらいなら、私はあなたに嫁ぐもの」
きつい冗談の類とはいえ、
「ユリ殿が男でさえあれば・・・」
と領主様も嘆いておられた。
私は少し考えてみてから、領主様に尋ねた。
「私の話って、その相手に伝わってますかね?」
「私が使いを走らせて状況を先取り出来たのだ。街を落とされかけたことも、その顛末がどうなったのかも、ほとんどは派閥の盟主様にまで伝わったと見るべきだろう。そうでなければ、まとまった兵を三男であるザンネール閣下が率いてくる理由はない」
「治安維持に協力とか、適当な理由をつけて、この街を占領して私を好きにする為の囲い込みにするつもりなんでしょ。ほんとに下衆な奴」
「でも、このままだとそんな奴の好きにされちゃうんだろ?何か出来るのか?」
「私が行方をくらませば、とりあえず矛先はかわせるかもだけど、どの道占領されて、その統治がもっと酷いことにはなるかもね」
「領主様は、何か策はあります?派閥の仲間に声をかけて守ってもらうとか」
「声をかけるのはもうやっているが、まだどこからも返事は来ていない。今晩にもザンネール閣下はやってくるだろうから、間に合わないだろうな。いや、ラシャの身の振り先については、申し訳無いがユリ殿に性別を男と偽ってもらい、婚約したと婚儀だけは断らせてもらえるかも知れないが・・・」
「それは、私的には、取りたくない策ですね」
「であれば、あちらが提案してきた何かを、口先だけで何とかしのぐ策を見つけるしかあるまいな」
「一つ、確認です。今回の三男の出兵が派閥盟主黙認のもとに行われているとして、もしその目論見が外されても、ワッハウがどの道攻められることにはなりそうですか?」
「もしユリ殿がその力でザンネール閣下を討ち果たしたりしたら、それこそ避けられぬ破滅への道だろう」
「殺しはせずに、あきらめてもらえれば?」
「もしそれが可能なら、それが最善だろう。しかし可能なのか?」
「ラシャ。ザンネールというのはプライドが高い?」
「高いわね。高すぎて、女は自分のアクセサリー扱い。もしくはトロフィーね。気分でつけかえて、飽きれば捨てる」
「じゃあ、女には負けたことが無い?」
「女は子供を産む道具。自らを賛美させる為の存在だからね。当然、無いわ」
「じゃあ、その鼻っ柱を折ればいけるかな。ラシャ、領主様、こんなのはどうでしょう?あいつが私に勝てたらラシャはあいつの嫁になるし、領主様はワッハウの街をあいつに譲る。それ以外の手段では認めない。こうすれば、一対一の勝負には応じてくれると思うんだけど」
「私は、それでいいわ。ユリなら信じられるし」
「私も、ユリ殿に何度も救ってもらわなくては、街どころか自分の命まで何度か失っていただろうからな。いいだろう。私はその提案を呑むぞ」
こうして、ワッハウの街をめぐる派閥盟主三男とその兵の迎撃プランが出来上がっていった。
私はその後でセピアスを通してクェイナにも相談し、もしもザンネールという男が負けを認めなかった場合や、万が一私が勝てなかった場合の対策も練っておいたのだった。
ただ、最初からゴブリンの軍を伏せてというのは無しにしてもらった。それだと派閥の軍全体とゴブリンの軍というつぶし合いに発展しちゃうからね。あくまでも、私とザンネール閣下との私闘で決着をつけなくてはならなかった。
そしてその日の夕方。先行してザンネール閣下に接触し、なるべく時間稼ぎしてくれていたフンメルさんに連れられた派閥盟主三男と五百の兵士とに、私たちは対峙した。
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