4.

「ばあちゃん……おはよう」


 祖母の家に来て早二週間。今日は早起きして朝食でも作ろうかと思っていた。思っていたが、祖母の方が早かった。時計は五時二十一分。俺にしてはかなり早朝なのだが、祖母はもう家の掃除やら洗濯やらをしている。格好も寝巻きではないし、この人はいつだらけるのだろう。


「今日は早いんだね。雪でも降るか?」


「うっせ」


「早起きは三文の徳っていうからね。優斗には今日はいいことがあるさね」


 適当なことを言わないでほしい。こっそり起きて祖母を驚かすつもりが台無しだ。


「飯、俺作るよ」


 そう言って、祖母を見ずに冷蔵庫の中を確認した。


「優斗あんた、料理できるのかい?」


「バカにすんなよ。俺だって一人暮らししてたんだから、作れるものくらいあるよ」


 卵とベーコンを手にとって振り返ると、祖母がニコニコとこちらを見ている。


「……何?」


「孫に朝ご飯作ってもらえるなんて、思ってもいなかったからね。嬉しいんだよ」


 そういうとスキップしそうなほどウキウキな様子で、勝手口から庭へ出て行った。


 この二週間、毎日似たり寄ったりの日々だった。朝は七時すぎには朝食をとる。午前中はキラメキ会に行ったり、新聞を読んだり、掃除をしたり、裏に住んでいる家族の子供を見送ったり、近所のジジババとお茶を飲んだり。お昼ご飯を食べてからは、夕ご飯の買い物を考えたり、テレビを見たり、買い物に出かけたり、近所のジジババとお茶を飲んだり。早めの夕食の後に風呂に入り、あとは他愛のない話をしたり、近所のジジババからもらったおすそ分けに舌鼓を打ったりした。


 おんなじような毎日の繰り返しの中で、祖母はそれでもどこか楽しげだった。めんどうくさい家事や食事も手を抜かず、やるべきことはきっちりとやって生きていた。


 ベーコンエッグを作りながら俺は俺に驚いていた。さっきは祖母の手前、自炊くらいできると言ったけれど、実際一人暮らしで料理をしたのなんて数えるくらいしかない。めんどうくさかったから。材料を揃えるのも、作るのも、片付けるのもめんどうだったから。


 それが今日の俺は、わざわざ早起きをして祖母のために朝食を作ろうとしている。


 祖母に言われるから、俺も規則正しく、日常に目を向ける生活にようやくなってきたわけだが、そのことが自分で信じられない気持ちだ。


 余熱で火を通す間、昨日の残り物やおすそ分けでもらった煮物なんかを食卓に並べる。やかんを火にかけ、戸棚からお吸い物の素を取り出し、椀に用意しておく。


「朝ご飯を食べたら、今日はこれをやろうかね」


 そう言って祖母が戻ってきた。手には庭で育てている花たちが握られていた。


「これって何」


「ドライフラワーづくりだよ。簡単だから、優斗もやるんだよ」


 新聞紙を広げた上に、持って来た花を置き、席に着いた。


「ほんと簡単なもんしか作れなかったけど」


 俺が作ったのはベーコンエッグだけ。米だって、他のおかずだって、祖母か近所の人が作ったものだ。


「こういうのはね、気持ちが大事なんさ。まさか、優斗に朝ご飯を作ってもらえるとは、ばあちゃん思ってなかったからね。嬉しいよ」


 いただきますと言って箸を取り、ちょっと固焼きになった目玉焼きに手をつける祖母。一口一口味わって食べている様子を見ると、なんだかくすぐったい。


「美味しいねぇ。ありがとうね」


「そんな、誰が作ってもおんなじだよ」


「だから、気持ちが大事なんさ」


 しょうゆをドバドバかけて、俺はさっさと平らげた。ベーコンの塩気と、卵の匂いと、しょうゆの味だ。というか、しょうゆをかけたらなんだって同じ味になる。


「ごちそうさま。美味しかったよ。また作ってほしいね」


「……気が向いたらね」


 恭しく手を合わせて祖母が言う。綺麗になった皿に、達成感を覚えた。


「さ、片付けて、次はこっちを手伝ってもらおうかね」


 祖母が食卓を片付けていく。俺は食器類を流しに下げて、洗い物を始めた。


「優斗の作った朝ご飯だったから、ばあちゃん今日も元気に生きられそうだわ」


 まだ言うか。恥ずかしいからもうやめてほしいと思いつつ、こんなことで喜んでくれるのならもう少し頑張ろうかなという気になる。


「いつだってばあちゃんは元気だろ」


「年寄りは労わるもんだよ。あちこち痛いし、色々ガタがきてるんだよ」


 この祖母がガタついているっていうのなら、世の中の老人たちは一体どうなってしまうのだろう。


 さっさと食器を洗い終えて振り返ると、食卓には新聞紙が綺麗に敷かれ、その上にさまざまな花が置いてあった。色も形も全然違っていたが、俺にはどれがどれだか分からない。


「ドライフラワーって、簡単に作れるの?」


「こうして葉っぱを取って、一本ずつ逆さに吊るしておけばいいんだ。しばらくはお天気崩れそうにないから、大丈夫」


 オレンジ色の花が咲いている一本を手に取り、ぶちぶちと葉っぱをむしっていく祖母。


「ドライフラワーより、生花の方が綺麗じゃん。このとってきた花だって、花瓶に生けた方がいいんじゃないの?」


「そりゃ生花も綺麗さね。だけどせっかくだから手をかけて、冬の間も楽しめるようにしたいじゃないか」


「ふうん」


 祖母のやり方を見様見真似で手伝う。


「ていうか、この赤いの、花? 色がついた葉っぱじゃないの?」


「それはケイトウっていうんだよ。ドライフラワーにしても色が残って綺麗なんさ」


「じゃあこっちの、栗のイガみたいなのは? これも花?」


「それはバレンギクっていうんだよ。花びらがついてるのもいいけど、ドライフラワーにするには花びらが落ちた方が都合がいいんだ」


「へえ」


 一本一本、これはマリーゴールドだのサルビアだの、嬉々として語る祖母。花なんてどれも同じだと思っていた俺はちんぷんかんぷんだったけど。こんなに色んな種類の花が、庭にあったなんて知らなかった。


 一本の紐にくくった花たちは、パーティーで飾るリースみたいだった。それを俺が吊るして、部屋の中が少しだけ今風に変わった。


「ばあちゃんて、昔から花とか好きだったの?」


 一服のお茶を飲みながら、祖母に聞いてみる。


「昔はそんなでもなかったよ。でも、こう歳をとるとね、綺麗な時なんて一瞬だっていうことがよく分かってきて、それが愛おしいんだよ」


 乾かしている花を眺めながら、お茶をすする祖母。


「誰だっていつかは死ぬんだけど、どうせ死ぬんなら毎日一生懸命生きた方が楽しいじゃないか。苦しいことや辛いことも若い頃にはそりゃあったさ。やりたくないこともたくさんあったし、どうしてこんなところに居るんだろうと思うこともあった。だからこそ、生き抜いてきた今、めんどうくさいことや手間がかかることが、楽しいんだよ」


 祖母が毎日楽しげなのは、祖母の生き様そのものだったのか。


「優斗も最近はいい顔をするようになったね。ついこの前までは死んだ魚の目みたいだった」


 あっはっはと豪快に笑い飛ばされる俺。そんなにひどい顔をしていたのだろうか。


 祖母と過ごす日々は、今でもめんどうくさいけど、俺にはなかった大事なものが詰まっているような気がしてきた。

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