2.
「あらぁ、優斗くんこんなに大きくなったのねぇ」
「男の子で髪の毛長いなんて、やっぱり都会の子だわぁ」
「こんなに立派な子が手伝いに来てくれるなんて、千代乃さんも鼻が高いんじゃないの」
「若い子の英気をもらっておかなくちゃ!」
老人会、もといキラメキ会に出ると、祖母と同じくらいの年のマダムたちに取り囲まれ、ベタベタと触られた。俺はビリケンでも撫で牛でもないっての。ご利益なんか持ってない。触られるたび、俺の若さが失われていくような気がしたのは、本当に気のせいだと思いたい。
ゆるキャラマスコットよろしく取り囲まれた俺は、されるがままになっていた。
「今日は、その、なんの集まりなの? これ」
ようやくもみくちゃから解放された俺は、祖母にそっと耳打ちして聞いてみた。
「これからスナックに移動して、カラオケ大会だよ。優斗、流行りの曲をみんなに教えてね」
「は、え? スナック? カラオケ?」
「大丈夫大丈夫。お酒はないから。その代わり若いお姉ちゃんもいないけど」
祖母たちが使うようなスナックで若いお姉ちゃんなんか期待していない。
「俺、歌下手だし、嫌だよ」
「いいんだよ。一緒に楽しむことが目的なんだから」
「楽しむったって……」
音楽なんて聞かないし、人前で歌うことも好きじゃない。音痴だし、リズム感もない。もう帰りたくなってきた。
たいした距離でもないのにバスに乗っての移動だった。祖母に引きずられ渋々乗り込むと、みかんやら黒飴やらせんべいやらオロナミンCやらがお供え物のごとく、俺の膝の上に積み上がった。遠足みたいな和気藹々としたバスの車内と、俺との温度差がありすぎてめんどうくさかった。
「よぉし、歌うぞ」
「賢三さんの吉幾三は何回聞いてもいいもんだよね」
「そういうきみ子さんの欧陽菲菲だってサマになってるよ」
「孫からAKB教えてもらったから、今日はそれを歌ってみんだ」
「恋ダンスとかっていうのが流行ってるんだと。簡単だから一緒に踊ってみようよ」
スナックに着くと途端にアップを開始したジジババに俺は面食らってしまった。吉幾三から恋ダンスまで網羅されているとは思わなかった。年寄りは演歌しか歌わないもんだと思っていたから。
今時の年寄りってみんなこうなのか?
「なぁ、ばあちゃん」
デンモクを身体からうんと離したところで操作している祖母に俺は話しかけた。
「みんな、こう、演歌とか歌わないの?」
「優斗は今流行ってる演歌、知ってる?」
「知らない」
「そういうことだよ。懐メロは歌うよ」
そう言いながら、祖母は嵐を入力していた。まじかよ。ばあちゃん、ジャニヲタだったのか。ていうか祖母にとっての懐メロってどのあたりの音楽なのだろう。
俺の混乱なんて気にも留めず、カラオケ大会は幕を上げた。演歌や歌謡曲なんかももちろんあるけれど、ところどころに挟まってくる五年くらい前の流行曲というラインナップに俺は平常心を保てずにいた。
「せっかく来てるんだから、優斗くんも歌いなさいよ」
「若い子たちで流行ってる曲が知りたいんだ。教えてくれ」
「楽しみだ、楽しみだ」
「いや、あの、ちょっと」
担ぎ上げられるというのはこのことだろう。あれよあれよという間に、円形の少しだけ高くなっているステージみたいなところに立たされてしまった。
一昔前の旅館の大広間にあるような、スタンドタイプの液晶とデンモク一体型のディスプレイが俺の前で出番を待っている。右側に刺さっている有線のマイクが妙に滑稽だ。
カラオケなんて、たいして行かないのにどうしようか。適当やって切り抜けるかと考えていると、祖母が傍らにやってきて、俺にそっと耳打ちした。
「ちゃんとやったら、今日の給料に色つけたる。プラス三千円」
そうしてニヤリと笑う顔は、悪戯好きの子供のようだった。祖母の手伝いをして、もらえる給料を俺は知らない。知らないけど、ここで一曲頑張ったら三千円はオイシイ。
「じゃあ、若い人たちで流行ってる曲を一曲、皆さんに教えます。簡単なフリもついてるので、覚えてみてください」
俺は決心して、マイクを通してジジババに話しかけた。エコーが効きすぎて、もわもわと声が反響する。めんどうくさいけど、三千円のためだ。
俺は二年くらい前に流行った、ユーロビートが特徴的なカバー曲を流した。正直、サビ以外は適当だ。でもどうせ分からないだろうと高をくくって、それっぽく歌っていく。サビに来て、サムズアップした手を振りながら、跳ねて見せる。
音感もリズム感もない俺の歌は聞くに堪えないし、振り付けだって全然音楽と噛み合ってないはずだ。それでも、ジジババは手拍子や掛け声、見よう見真似でやってみせてくれたりして、なかなかに盛り上がった。
「いやぁ、やっぱり違うね!」
「ジャンプするのは危ないけど手だけならできそうだ」
「ディスコみたいで楽しかった」
曲が終わると口々に感想を言ってくれて、俺は謎の達成感に包まれていた。
ドヤ顔で祖母の隣へ戻っていくと、祖母はツンとした様子で座っている。
「優斗、Aメロ適当に歌ったね」
「え……?」
「紅白出たグループだからね。知ってるよ。ばあちゃんの目はごまかせないねぇ」
「まじかよ」
「ばあちゃんの歌をよく聞いておきな」
ソファから立ち上がり、ゆっくりとステージに近付いていく姿は、百戦錬磨の戦士の様相だった。あの貫禄は一体どこから出てくるのだろう。
「いよっ! ちよさん、待ってました!」
「精密採点入れたか?」
「千代乃さんには、どうやっても勝てないんだよなぁ」
悔しそうにする者、わくわくと楽しそうにする者、その視線の真ん中に俺の祖母がいることが不思議でならなかった。
優しいイントロが流れて、持ち慣れたふうのマイクを前に祖母は歌い出した。身内が歌っている様子は、見せたくない部分を大衆に曝しているような恥ずかしさがある。
だが、孫の俺でもびっくりするくらい、上手かった。
俺がアップテンポであたためた会場の空気を一瞬にして塗り替えるほどの歌唱力。そしてこのバラードという選曲。
これを八十のババァが歌ってるっていうんだから、びっくりもする。どこにあるのかと思う肺活量で、のびやかな歌声は圧巻の一言だった。サビのダンスで息が切れた二十代と、ロングトーンが綺麗な八十代。惨めな気持ちになる。
「どうだい、優斗」
鳴りやまない拍手の中、芸能人のような振る舞いで俺の隣に戻ってきた祖母は言った。
「完敗です。てかよく知ってんね」
「朝ドラの曲だよ」
そう言うと、またにやりと笑う祖母。
「日頃の賜物だね」
「ボイトレとかしてんの?」
「いや、自分の身体に合わせて生きてるだけさね」
自分の身体に合わせて生きるというのなら、もっと年寄り臭く生きるべきではないのか? どう考えても、若い。
シワシワの顔で、楽しそうに笑い、話し、歴史が刻まれた年輪みたいな手で拍手したり、何かを食べたり飲んだり。それなのに、溌溂とした楽し気な空気からは年寄り臭さなんて感じない。目で見る景色はジジババなのに、空気は学校のクラスの中みたいな、変な空間だった。
二十二歳の俺より、ずっと若かった。
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