御歳ドライフラワー
燈 歩
1.
「優斗! いつまで寝てんだい!」
階段下から声が聞こえる。祖母の声だ。とても八十とは思えない大きな声。
俺はなんでここにいるんだっけ?
寝ぼけた頭で必死に思い出す。自分がどこにいるのか。
『ばあちゃんの家へ住み込みで働くよう、頼んでおいたから』
そうだ、母さんにそう言われて、しぶしぶここへやって来たんだっけ。ああ、めんどくさい。一体何時だよ。
スマホを確認すれば、朝七時十三分。普段なら完全に寝ている時間だ。
「朝ご飯が冷めちゃうから、早く起きて!」
また怒鳴られた。布団の中で盛大なため息をついてから、のそのそと部屋を出た。
「おはよう」
「……おはようございます」
祖母は壺のぬか床からぬかだらけのきゅうりを引っ張り上げているところだった。
食卓にはご飯にみそ汁、焼きシャケ、焼き海苔、納豆、卵焼きと朝食らしい朝食が並べられている。
「早く顔を洗っておいで」
席に着く前にそうキッチンを追い出され、洗面所に向かった。鏡の中の自分はひどく眠そうな顔をしていた。髪の毛だって、寝癖がつき放題ついている。洗顔、歯磨きを終え、あちこち好き勝手についている寝癖をどうにかしようと試みた。
なんとなく切るのが面倒くさくてそのままにしていた髪の毛は、手入れをしないと一層面倒くさいことになるのだと、気づいたのはつい最近である。水で濡らしたり、櫛で何度も梳いたりしたけれど、左後頭部の一ヶ所だけは頑なに直ってはくれなかった。諦めて、キッチンへ戻る。
「いただきます」
「……いただきます」
挨拶というものにうるさい祖母は、俺が言うのをじいっと眺めているから言わざるを得ない。孫に対して、祖父母は甘いのが世の常識ではないのか?
「今日は挨拶がてら、キラメキ会に一緒に行ってもらおうと思ってるから、髪型なんとかしなさい」
朝食をモリモリ食べながら祖母が言う。
「きらめき……なに?」
「キラメキ会。老人会だよ老人会。この辺りの年寄り集めて、輪投げとか温泉旅行とかボランティアとかカラオケとか、みんなでワイワイするお楽しみ会さ」
「老人会って……。自分で言っちゃう?」
「だってそうだろう。もうこっちは棺桶に片足突っ込んでんだから」
あっはっはと快活に笑う祖母はとても楽しそうだ。
真っ白になった少ない髪を耳のあたりで切りそろえ、ゆったりとした藍染のワンピースを着ている祖母。祖父は俺が生まれる前に他界してしまって、そこから祖母は一人で第二の人生を切り開いてきた。
家業は不動産屋業。といっても、この家の裏手にある一軒家を家族向けに貸し出しているだけなのだが。本人は至って自由に、好き勝手毎日を生きているように見える。俺も、土地を転がしながら悠々自適の生活を送りたいもんだ。
一年前になんとなく大学を辞めた俺は、なんとなくバイトをしたり、なんとなくニートを味わったりする生活を送っていた。この「なんとなく」の正体がなんなのか、俺自身にもよくわからない。生まれた理由がないように、たいした理由なんて探すだけ無駄だと思って「そういうもんだ」として過ごしている。
なんにでも理由をつけなければ存在できないことが、そもそも間違っていると思うんだ。
そんな生活を続けていたら堪忍袋の尾が切れた両親に、半ば家を追い出される形で祖母のところに来るハメになってしまった。めんどうくさいけれど、祖母の手伝いなんてたかが知れているだろう、とここにやってきたわけだが、こんなに早朝から叩き起こされるとは思わなかった。
「八時半までには家を出るから、それまでに食器洗いと、風呂掃除、玄関の掃き掃除を終わらせて、支度しておいてね」
「結構タイトなんすけど」
「遅く起きる優斗が悪いさね」
いや、昨日なんも言われてないし。言ってくれれば、それなりに起きたよ。多分。「あたしの付き人をして仕事を覚えること」なんていう訳の分からないことを言っていた、昨日の祖母にそう言いたい。
文句を言おうかとも思ったけれど、祖母のことだ。何倍にもなって返ってくるに違いない。無駄な労力を使いたくなかった俺は、素直に「はい」とだけ返事をした。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます