網の上にはひとりだけ(お題:焼肉)
「食べ物の恨みは恐ろしい、って言うよな」
俺は、スマホを見つめながら先輩がそうぽつりと零した言葉を聞き逃さなかった。
「……まだ、さっきのカルビ、怒ってます?」
「うん」
ほんの数分前、俺はうっかり、彼の育てたカルビを
ちなみに、旨く焼くコツは「肉の声を聴くこと」らしい。どんなファンタジーだ、と思わなくもないが、実際に旨いからどうしようもない。
「でも、まぁ。そうじゃないんだ。聞け」
先輩は、いつものフランクな口調で俺を諭しながら、豚バラ肉を焼き始めた。一緒に注文した同期が焼かれていったのを見送った、かなり遅咲きに当たる肉もついに焼けるときが来たのだ。
「『飯テロ』ってあるよな。旨そうな飯の写真をSNS上で出すやつ」
「あぁ、俺もよく被弾してます」
「お前はテロ以前に自分の食に金かけろ、馬鹿」
「仰る通りッス」
「……まぁ、お前の場合、しょうがない部分もあるか」
じゅうじゅうと、音だけで腹が減ってくる景気の良さで、どことも知らぬ肉が焼けていく。
先輩は俺の境遇に同情しつつ、ぐいと烏龍茶を呷った。ラフなのは口ぶりだけで、仕事も、肉を焼く手つきも丁寧だし、男同士の二人きりなのに酒は飲まないし、上着のボタンはきっちり首元まで止めているし、几帳面な印象の勝る人物である。
「っと、それ焼けてる。皿寄越せ」
「あ、ども」
「で、だ。……俺達の仕事は、
俺の取り皿に、牛のハツと、豚の何かと、それから玉ねぎを取って、先輩は言った。
「何してんだお前」
「俺達の仕事は飯テロだって」
「馬鹿」
先輩は呆れながら、自分の皿にもいくつか肉を取った。俺の皿とは、玉ねぎとピーマンが違う程度だ。焼け具合も、照り具合も同じで、きっと旨さも同じなのだろう。
炎がゆらりゆらりと揺らめいて眩しい舞台に、先輩が丁寧な手つきでまた新しい肉を並べていく。今度は、牛タン塩と、鶏のブツ切りと、幾種類かの野菜だ。
「焼肉ってやつはよ、『素材のままじゃどんな味か、そもそも食えるかもわかんねーもんを掴み取って』『味付けしたり、配置考えたりして、焼いて』『旨そうな姿をお届けする』こと」
「……うす」
「で、俺達の仕事は『見た目は可愛いが素質があるかわからん子を見極めて』『丁寧にレッスンと演出をして』『だけど絶対にアホどもには触らせない。綺麗な姿だけを魅せつける』」
「……なるほど」
俺は、感嘆の余り短い返答しか出来なかった。先輩は、それを良しと思ったのか、悪しと思ったのかはわからないが、トングを静かに置いて、それから真っ直ぐに俺を見て、改めて言った。
「なぁ、
俺は、厳かに頷いた。それ以上のリアクションを出来なかった。こじつけのような、ともすれば漫画みたいな発想だったけど、そんなレトリックの軽さはない。俺は、敏腕プロデューサーの煙を貫く視線にただただ気圧されていた。
「……じゃあ、その『食い物の恨み』ってのは……ファンが怖い、ってことですか?」
「馬鹿言うな。それなら元から飯テロしねぇだろ? それに、全然怖かねぇ」
「うーんごもっとも。俺も本気で恨むわけじゃないしなぁ」
「ほれ、食え。冷めるぞ」
ぱん、と小さく手拍子。へらりと圧を解いた先輩に促されるまま、ならばどういう意味だろう、と考えながら俺はハツを口に運んだ。タレと相まって、非常に美味い。先ほどは「食い頃を見極めた」と驕ったが、しかし先輩が直々に見極めた肉はもう一段旨い。
「お前、まだまだ食うだろ。次は何がいい?」
「あー、じゃあ海鮮系がいいです」
「そういや今日はまだだったな」
「あとメロンソーダ」
「子供舌」
「ウッス」
先輩はけらけら笑いながら、丁度良く通り掛かった店員を呼び止めた。そのまま、海鮮物やら、サイコロステーキやら、牛、豚、鶏の基本セットやらを一通り頼む。
……まだまだ食べる、とは言ったけど、それにしても少し多いんじゃないか? 俺は、先輩の底知れぬ食欲に感嘆しながら、玉ねぎの甘みを噛みしめた。
「……なんの話だったっけ」
「焼肉とアイドル稼業は似てる、って話っス」
「あぁ、そうだ。……で、恨むのは誰だって話だったか」
「先輩、覚えてるじゃないですか」
「今思い出した」
俺達はまたけらけら笑う。先ほどと同じ。
けれど、今回だけは、先輩の顔がふっと引き締まって笑いが収まった。しんと静まり返ったその表情は、仕事と同じ温度の顔だ。心の炎を内側に抑え込んで、努めて冷静に困難を捌く、冷たくて熱い顔だ。
「実誠」
「……どうしたんですか?」
「実誠。大事な話をしよう」
「え、なん、ですか」
次の肉を焼こうとトングへ伸ばした手を仕舞い、背筋を糺した。口ぶりだけはフランクな男が、語気さえも硬くした。
「……食い物の恨みは恐ろしい、って言うよな」
俺は、その言葉の真剣さにひやりとしたものを感じた。空調の適切な店内で、炎の近い焼肉屋で、辛い物だって食べてきた夜、今、初めて汗が伝うのを感じた。
「はい」
俺は、なんとか答えを返す。先輩は茶化すことなく、続ける。
「食い物の恨みは恐ろしい。……恨むのは誰だ? 見せられるファンか? 焼き方、食うものを選ばれる同席者か? ……どっちも、か?」
「……」
俺は先輩の焼肉奉行ぶりに文句がないので何も恨んでません。そんな言葉は、差し挟めなかった。
「……なぁ。こうして俺が話してる間に、肉は焼けてるよな」
「あ、はい。食いますか?」
「食う。取ってくれ。……でも、食えなかったら、どうなる?」
「……焦げて、ってことですか?」
「あぁ」
俺は先輩の取り皿を受け取りながら、考えを巡らせる。何を言いたいんだ、この人は。
「……食い頃まで上手に焼かれて。その上で、食ってもらえなかったら」
「はい」
「肉は、どう思う? ……恨んだり、するのかな?」
「……先輩? あの、さっきから何を」
先輩は、俺が差し出した問いも、先輩の分の肉も受け取らなかった。ただ静かに、上着のボタンをはずして、ちゃらり、とアクセサリーを揺らした。
「……アイドルは、食い頃になって、俺達に食ってもらえなかったアイドルは、どう思うんだろうな? ……俺は、愛憎で言えば、憎ではなく愛なのだと教え込まれているけど、お前はどう思う?」
その首元には、三つの指輪が銀のチェーンに通されていた。
「なぁ、実誠。お前は、食い残すんじゃないぞ」
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