第46話 女勇者の後悔

 その夜、私は眠れなかった。と言うより、起きていなければならないという謎の使命感に駆られていた。でもなんで起きていなきゃいけないのかは良く分からなかった。ただ漠然とした不安があって、もし今寝てしまったら、起きたときに大事な何かが無くなっている様な気がした。もう二度と、あの喪失を味わいたくなかった。


「…………?」


 喪失?そんな大袈裟な経験を、私はこれまでにしたことがあっただろうか?


 私はこれまで普通に生きてきた。実家はケーキ屋で、たまに家の手伝いをしながら独り暮らしをしている。今現在は専門学生だ。来年には卒業して、その後は実家で働きながら、いつかは自分のお店を持つのだ。


 至って、普通の人生。


 ……部屋は暗い。無駄なものは置かれていない。私にはミニマリストの気があるらしい。そろそろ寝ようかな。何故か私は、寝ることもせずにずっと突っ立っている。部屋の隅にはベッド。そこで寝ることに謎の抵抗がある。しょうがない。今日はリビングで寝よう。


 リビングのカーテンの隙間からは、陽の光が漏れている。もうそんな時間?当たり前だけどリビングには誰もいない。でも、それにも違和感を感じる。とても大事な友達がいた気がする。いつも一緒だった。いつも助けてくれる。私のために。


「……●●ちゃん」


 ……気持ち悪い。頭の中を誤魔化されているような感覚。吐き気がする。


 私は洗面所に向かう。鏡を見る。目元が赤い。泣いた後?


「……何か、変だ」


 近頃、何か、へんだー。


 子供の頃に見た映画。ヘンダーランドの大冒険。主人公の男の子が人形の女の子と一緒に悪い魔女をやっつける物語。あの話では、トランプを持って呪文を唱えると魔法が使えるのだ。スゲーナスゴイデス。


 …………魔法。


 何でもできる。特別な力。人知を越えた神の御業。


 ……違う。私の頭の中に言葉が浮かぶ。あれは、誰から聞いた話だったか。とても大切な人だった気がする。


【魔法は奇跡なんかじゃない。それぞれに明確な法則があるんだ。でも、炎にしろ水にしろ風にしろ、基本は同じ。森羅万象の最小単位であるマナを、望む形に組み上げる】


 そう、教えてくれた。そしてそれは、その通りだった。


【ロコ。君のその眼があれば、それはとても簡単な事だ。まぁ僕は天才だから必要ないけどね。それにさ。見ただけで何でも分かる。そんなの詰まらないだろ?】


 どういう意味だろう。良く分からない。見たら分かる?


 私は、鏡に写る自分を見る。


 うん。彼の言った通りだ。本当に、何でも分かる。だから瞬時に理解する。


 ……


 これは、私じゃない。


 私は、私を分解する。


 分解しながら、私がイメージする私を再構築する。


 回復魔法。同時に状態異常解除魔法でもある。体がやり方を覚えていた。


 おかげで思い出す。


「蓮君、ほむちゃん……」


 そうだ。忘れていた。正確には世界に記憶を改竄されていた。と言うことは、蓮君は本当に異世界に行ってしまったということ。ほむちゃんも行ってしまったのだろうか?


 直後、私は耐え難い寒気に襲われる。あれから、どれだけの時間が経った?蓮君が旅立ってからおおよそ10時間。向こうの世界では1000時間だから約40日。私は向こうの世界の人々を助けながらダラダラやっていたから時間が掛かった。でも蓮君は違う。多分だけど、蓮君はほむちゃんから私の冒険についての話を聞いてるはず。だから向こうの世界の人々が現実に生きている訳じゃないことも知っている。魔法についても理解しているし、何よりほむちゃんが付いている。最速で事を運べば、そう時間は掛からないはず。


 もう、帰ってきても良いのではないだろうか。


 …………それから私は日々を過ごす。私は記憶を取り戻したけど、同時に偽りの記憶も持っていた。だけど生活は変わらない。今は夏休みで学校に行く必要はないし、ケーキ屋のバイトもとい手伝いもそのまま。変わった事と言えば、ケーキ屋の主人夫婦が私の親になっていたことくらい。彼らは私にとても優しくて、妹ともすぐに仲良くなった。


 一日が経ち。一週間が過ぎ。一ヶ月なんてあっという間だった。


 もうすぐ、夏休みが終わってしまう。

 

 最悪の考えが頭をよぎる。


 つまり、蓮君は


 もちろん、無事に魔王を倒して星に忘れられた私の存在を元に戻せればベスト。だけど、仮にそれが失敗したとしても、蓮君がいなくなった事による世界の辻褄合わせによって、

私はこの星に役割を与えられる。現にこうして、私は何不自由のない生活を送れてしまっている。このままいけば、普通の人生、普通の幸せを掴める。……蓮君の犠牲によって。


 蓮君にとっての想定外は、私が記憶を元通りにしてしまった事だろう。本来なら、偽りの記憶に疑問すら抱かず、私は幸せに生きたはずなのだ。きっとそれが蓮君の願いだったのだと思う。だけどもう。


「……ぅ。ぅぁ……。ぁああああああああぁぁぁぁ……」


 蓮君、無理だよ。こんな状態で幸せになんかなれる訳ない。それとも、この思いもいつかは忘れてしまうのだろうか。その可能性も否定できない。世界の辻褄合わせの力は凄まじい。彼らが居なくなってから、私は一睡もしていない。体は魔法で保っている。一日に三度は体の再構築を行っている。そうでもしなければ、私の中から彼らの存在が消えてしまう確信があった。


 ……体は大丈夫だ。でも、いつまで心が持つか自分でも分からなかった。だって、本当に辛いのだ。いっそ全て忘れてしまいたいくらいに。


 私は後悔していた。こんな事なら、さっさと蓮君の家を出るべきだったのだ。彼に甘えず、大人しく国のお世話になるべきだった。あるいは、山奥や無人島で生きても良かった。私ならそれが出来る。ほむちゃんだっていたのだ。


 異世界へ旅立とうとする彼をもっと真剣に止めるべきだった。何故そうできなかったのか。結局私は、自分が可愛かったのだ。魔王討伐と引き換えに失ったはずの記憶に、いつまでもありもしない暖かみを、疼痛のように感じていた。強がってはみても、やっぱりそれを取り戻したかったのだ。その結果がこれ。


 私は私を好きになってくれた男の子を利用して。


 彼を死なせてしまったかもしれない。


 再生の魔王にも言われたこと。


 私がもし、本当の勇者なら……。


 あの旅を経てなお、私は何も成長していない。


 今の私に出来ること。


「天使様、もし私の声が聞こえていたら。私を、もう一度異世界へ。蓮君を助けるために……。もう、この世界に帰れなくても良い。彼を助けた後でどうなっても構わない。だから……」


 ……返事はない。もう無駄だと分かっている。呪文のように毎日唱えている。私に出来るせめてもの贖罪。でも所詮はこれも、自分の心を守るために言っている事に過ぎない。


 眠れないと、夜はこんなにも長い。


「……蓮君、私は優しくなんてないの。ただ、弱いだけ。あなたに好きになって貰えるような、立派な人間じゃない」


 私は暗闇に向けて独り言ちる。


「そんな事、言わないで下さいよ。ロコさんは優しいし、料理も上手ですし、可愛いし、面白いし、魔法も使える。こんなに素敵な人、中々いません」


 私の心は、遂に限界を迎えてしまったのだろう。


 目の前には、なにやらぼやけて映る不安定な勇者の影。


 きっと幻想に違いない。


 早く、涙を拭いて確認しないと。

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