51話 幸福って

 その頃のアシュレイは暗い夜の空を散歩するのが好きだった。その日もほろ酔いで夜風に吹かれていたアシュレイはごく弱い魔力を感じてあたりを見渡した。


「精霊のものではない。人間……?」


 これだけの微力な魔力を感じ取れるのはアシュレイくらいだろう。考えられるのはまったく訓練を受けたことがない人間か……子供。

 夜の森に子供とは。アシュレイはその方向に向かって飛び、杉の木のてっぺんに降り立った。すると茶色い髪の少女が蹲っている。彼女は不安そうに肩をすくめ、ふくろうの声がするとびくっと周りを見渡していた。


「何か変な気配がすると思ったら……子供か」


 急に目の前に現れたアシュレイに一日歩き通しのくたびれた少女は驚き固まった。


「おじさん……誰?」

「俺はおじさんではない、天才魔術師のアシュレイだ。こんな夜中に森にいたら狼に食われてしまう。さ、こっちにおいで」


 そう言って今にも泣き出しそうな彼女の髪を撫でてやった。このまま置いておく訳にはいかない。アシュレイは少女を抱いて家に戻った。夕食のスープの残りを分けてやるとほっとしたのか、彼女は泣き出してそしてぽつりぽつりと事情を話し始めた……。


「……猫の子のように拾うべきではなかった」

『では、マイアを狼の餌にするべきだったか?』

「そんな訳ないだろう!」


 アシュレイはカイルを怒鳴りつけた。


「ただ……マイアが人間だという事をもっと考えるべきだったんだ」

『お前もそうではないか』

「俺は人の世を捨てた」

『はっ』


 その言葉をカイルは鼻で笑って一蹴した。


『ならば小娘一人に振り回されるな』

「……」

『いい加減認めろ、アシュレイ……お前はマイアを愛している』

「あ、愛……、しかしあの子は子供で……」

『もう十六歳だ。結婚するものも子を成すものもいる。……本当は分かっているんだろう』


 カイルは強い酒を水のように飲んでいる。が、酔っている風ではない。


「……だから遠ざけたんだ」

『アシュレイよ。あの子も人間、お前も人間。どこに遠ざける要素がある』

「あの子を育てたのは俺だ。だから俺はあの子を幸せにしてやらねば」

『その幸せとは誰が決める』


 カイルは頑ななアシュレイに少し怒っているようだった。


「……マイアが」

『そうだな。お前が決めることではない』


 カイルの言葉はいちいちアシュレイに痛かった。マイアが家を出てからアシュレイはずっとイライラしていたし、部屋も荒れていた。マイアを拾う前は淡々と暮らしていた……だからその生活に戻るだけだと思ったのに。


「……カイル、俺はそろそろ帰る」

『ん、そうだな。もう眠った方がいいだろう……それとな、アシュレイ』

「なんだ」

『お前だってお前の幸せを考えていいんだぞ』

「……余計なお世話だ」


 アシュレイは吐き捨てるようにそう言うと、マントを羽ばたかせ夜の空に飛び立っていった。


「俺の幸せ……俺の幸せは……」


 そう小さく口の中で何度も呟きながら。




 一方でマイアは、レイモンドが心配しない程度に仕事をしたりアビゲイルと街に繰り出したりしていた。注文していたドレスも届いた。そうして街の暮らしがすぎていく。街の暮らしに慣れていく。


「明日……か……」


 そしてアビゲイルの婚約パーティーはとうとう明日にせまった。マイアは吊してあるドレスを眺める。やはりエリーの腕は確かだ。この美しいドレスを着るのが今から楽しみである。


「アビゲイルはああ言っていたけど……明日はうんとお祝いしますからね」


 マイアはそう言ってその日はベッドに潜り込んだ。




「……マイア。綺麗よ」

「もう、先に言わないでよ」


 そして翌日。昼過ぎからマイアとアビゲイルはドレスアップを始めた。アビゲイルは豊かな金髪を巻きあげて、ピンクのフリルたっぷりのドレスに身をつつんでいた。彼女の若さと幸福さを象徴するように、最後にその髪にピンクの薔薇が飾られる。


「アビゲイル、綺麗よ……すっごく綺麗」

「当然よ、きっとこの街いちばんに綺麗なのは私よ!」


 マイアの賛辞におどけて答えてみたアビゲイルの頬は、熟れた桃のように染まっている。


「……もうすぐね」

「うん」


 その時、窓の外にマイアの小鳥のゴーレムがやってきた。窓を開けてメモを取り出す。


「まもなく迎えに来ますって。私、待合にもう向かわなきゃ」

「それじゃまたあとでね」

「ええ」


 マイアが待合室で待っていると、礼服に身を包んだレイモンドがやってきた。


「マイアさん……とても……美しいです……」

「あ、ありがとうございます」


 レイモンドの歯に衣着せぬ賛辞にマイアは顔を赤らめた。


「なんとなく、マイアさんの鞄の飾りの雰囲気と似てますね」

「え……」


 マイアの仕事鞄にはせめて女性らしくと青い五片の花の飾りがついている。そんな所まで見てくれていたのか、とマイアは少し嬉しくなった。


「こういうのが多分好きなんです」

「ですね。マイアさんらしくてよく似合ってます」


 レイモンドはそう言って目を細めて美しく着飾ったマイアを眺めた。


「さあ、時間です。マイアさん、参りましょう」


 すっと差し出されたレイモンドの腕をマイアはとった。


「ええ」


 そして、二人は腕をくんで、ヒギンズ家の大広間に向かった。キラキラとシャンデリアが輝く。レイモンドとマイアは従僕がすました顔をして来客者の名を呼んでいくのを並びながら待つ。


「フローリオ商会のレイモンド・フローリオ様、『ランブレイユの森のマイア』様」


 そう呼ばれて、二人は進み出た。


「あれが……例の劇場の……」

「ほら、前に遺産相続でもめたあの家の問題を解決したのもあの方ですって」

「フローリオ商会の秘蔵っ子か……」


 人々のさざめきに紛れて二人の噂話が流れていく。


「さ、行きましょう」

「は……はい」


 一瞬、人々の少々ぶしつけな視線に飲まれてしまいそうなマイアだったが、隣のレイモンドは平然とした顔で会場内を進んだ。


「飲み物をどうぞ、マイアさん」

「ありがとうございます」

「……祝いの席です。良い夜になりますよう」

「ええ」


 あとは主役のアビゲイルのを待つだけだ。マイアとレイモンドは微笑み合いながら乾杯をし、彼女とその婚約者、トレヴァーの登場を待った。

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