35話 湖の乙女
「魔道具を作るって……どんなものを」
「そうですね、トレヴァーさんがどんな風に彼女に思いを伝えたいかですね」
「実は……ずっとこの指輪を渡したくて持っているのですが、彼女に指輪を差し出す男性は多くて」
「そこで差をつけますか」
マイアは鞄から手帳を取り出して魔法陣を描いた。
「こうかな……」
「ちょっと、それは……恥ずかしいというか」
「何言っているんです。この位しないと伝わらないですよ」
魔法陣の意図を読み取ったトレヴァーは顔を赤らめた。マイアはそのトレヴァーの訴えをばっさり切って、さらに魔法陣を書き加える。
「この魔法陣をこうずらしておいて動かすと、ぴったり重なった時にこんなこともできます」
「はああ……」
マイアがさらさらと書く魔法陣に今度はトレヴァーは釘付けになった。
「やはり独学と違いますね」
「師匠に恵まれたのです、私は」
そう言ってマイアは手帳のページを破るとトレヴァーに渡した。
「では、この設計図は差し上げますので、頑張ってみてください」
「あ、ありがとうございます……。あの、どうしてこんな初対面で親切にしてくれるんでしょう」
「え、あー……」
それもそうだ。ちょっと魔術談義をするという目的からは大分それてしまった。マイアは視線を泳がせて、そしてあるものに目をつけた。
「ああ、あのチョコレートを食べて見たいな、と思ってまして」
「なんだ、そんなこと」
こうしてマイアは高級チョコレートをお土産に家に帰ったのだった。
「アシュレイさん。これお土産です」
「おや、これは美味そうだな」
家に帰って早速アシュレイにチョコレートを渡すと彼は早速ひとつつまみ食いをしていた。
「うむ……中にとろりとしたナッツのペーストが入っている。こりこりした食感もいい」
「お夕食が入らなくなるまで食べないで下さいね」
「ちょっと味見しただけだ。そうだ、歌の練習はどうだ」
「ちゃんとやってますよ。来週にはカイルの前で歌います……歌いますとも」
どうやら友人の恋のキューピッドになれそうだと浮かれていたマイアは、アシュレイの言葉に急に現実に引き戻された。
「別に上手くなくていいと思うぞ。特にカイルに人間の歌の上手い下手が分かるかどうか」
「上手くなる以前に人前で歌うのが恥ずかしいので慣れときたいんです!」
「いつも歌ってるじゃないか」
「……え?」
「料理したり、洗濯したりしている時に」
アシュレイに言われてマイアはぎょっとした。確かに家事の間にそんな事もあったかと思うのだが。
「アシュレイさん……聞いてたんですかっ!?」
「聞いてもなにも聞こえてくるんだから」
「あーっ、もう恥ずかしい!」
マイアは顔を覆った。適当に作った調子っぱずれの歌を聴かれていたかと思うとマイアは顔から火が出そうだ。
そしてアシュレイは余計な事を言ったと後悔した。研究の合間に聞こえて来るマイアのご機嫌な歌声はアシュレイは決して嫌いではなかったのだ。
「大丈夫。マイアの歌は……好きだ。きっとカイルも気に入るさ!」
アシュレイは逃げるように部屋に向かうマイアの後ろ姿に向かって声を張り上げた。
それから数日。ベンジャミンと約束した歌の練習が終わった。
「かなり上達しましたよ! これなら大丈夫」
ベンジャミンはマイアにそう太鼓判を押す。
「そうでしょうか」
「ええ、ええ。あとは仕上げにこれですね。こちらはもう使わないので良かったら持って行ってください」
そう言って、出して来た箱。そこには薄水色の生地にシフォンを重ね、銀糸で刺繍を施した古風なドレスがあった。ミシェリーヌ姫の衣装である。
「いいんですか……? ティアラやアクセサリーも入っていますけど」
「ええ。硝子玉ですし。うちの看板女優はわがままで一度使った衣装は着ませんから」
「ではありがたくいただきます」
マイアはその衣装を受け取って、ベンジャミンに礼をした。
「劇場もどんどん綺麗になっていきますね」
「ええ、煤を取るのに難儀してますが……マイアさんもこけら落としにはきっと来てくださいね」
「ええ、是非」
マイアがレッスンを受けている間にヴィオラ座の工事はどんどんと進んでいた。新しくななった劇場で、街の本格的なお芝居をマイアは是非見て見たいと思った。
次の日、とうとうマイアがカイルに歌を披露する時がやってきた。
「おーい! まだなのか。そろそろいくぞ」
「待ってください……」
マイアはせかすアシュレイの声を聞きながら懸命に髪をセットしていた。普段アップに結わないので時間がかかる。ようやく髪型を整えたマイアはその上に座長から貰ったティアラを載せた。
「おい、マイア!」
「今できました! その……笑わないでくださいね……」
マイアはドアの影からそっと姿を現した。それまで仕度に時間がかかっている事にイラついていたアシュレイはマイアを見て一瞬息を飲んだ。
「おかしくないですか?」
そう聞いてくるマイアは髪をアップにしていつもより大人っぽく、古風なゆったりとしたドレスの柔らかい布が彼女の体の線を浮き上がらせている。そしてすんなりとした腕にはきらきらとガラスビーズが縫い込まれたロンググローブを填めている。
「……おかしくない」
アシュレイはついマイアのミシェリーヌ姫の衣装姿に見惚れてしまった事に憮然としながら、なんとかそう答えた。
「さ、カイルの所に行こう」
そして家の外に出てマイアの手を引くと、奥の泉へと飛んだ。
『やあ、待ったぞ』
「ごめんなさいね」
『おお、なんだその格好は』
カイルはめかし込んだマイアの姿を見てにこにこした。
「これがお芝居のお姫様の格好なのよ」
『へえ、きれいだな』
「そ、そう? ありがとう。そうね、村のお芝居ではいつもと違う綺麗な格好を見て、いいな素敵だなって思ったわ」
マイアの着ている衣装は本格的な劇場芝居の衣装でそれの何倍も立派なものなのだが。
『で、歌を歌ってくれるんだろう?』
「ええ。約束ですから。一週間練習をしてきたわ」
『そうかぁ……、こっちも観客を用意したぞ』
「えっ……」
マイアがびっくりして、カイルの指差す茂みを見ると、鹿やうさぎや狐がぴょこりと顔を出した。
「なんだびっくりした」
『さあ聞かせてくれよ』
動物たちに囲まれながら、カイルはぴょこぴょこと耳と尻尾をゆらしている。
「わかったわ……うおっほん!」
マイアは咳払いをして、大きく息を吸い込んだ。緑の舞台と森の観客。その中でマイアは歌い出した。
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