33話 レッスン
レイモンドと新しくできたというレストランに行ったあと、二人はヴィオラ座に向かった。
「マイアさんの食べていた薄切りのカツレツは美味しそうでしたね。僕の鶏の香草煮込みはちょっと薄味だったな……」
レイモンドはそう言いながら手元の手帳にメモをとっている。
「レイモンドさん、本当に本を出版するつもりですか?」
「最近、ちょっとその気になってきました。マイアさんの反応が新鮮なので……」
そんな事を言っている間に目的地のヴィオラ座についた。工事は進み、燃えた資材の運び出しは終わったようだ。
「もしもし、ベンジャミンさん!」
レイモンドは勝手知ったる顔で劇場に入っていくと座長のベンジャミンを見つけて声をかけた。
「こんにちは」
マイアがベンジャミンに声をかけると彼の顔は明るく輝いた。
「どーも、どーも! どうしました?」
「座長、今日は折り入ってお願いがあって参りました」
「ほう、なんでしょうお願いとは」
「実は……歌を教えて貰えないかと……」
「歌、ですか」
さすがのベンジャミンもぽかんとしている。魔道具の技師から歌の指南を求められるとは、さすがの彼も予想外だったろう。そしてそこにレイモンドが割り込んだ。
「実は今度の商会の茶話会でマイアさんが余興をする事になりまして……楽器は出来ないというんで無難に歌なんかどうかと思いましてね。一週間ほどお願いしたいなと」
にこにこと笑顔のままそう言ったレイモンドはそれらしくふっと声のトーンを抑えてベンジャミンの耳元に囁いた。
「そこに投資家の方も来られるんですよ。マイアさんが気に入られたら、魔石も手に入って照明の話も具体的になるかも……」
「なっ、そうですか! して演目はなにを……?」
「私、生まれた村の村祭りのお芝居の歌くらいしか知らないんです。えーとタイトルは……」
「「「『ウィルフリッドとミシェリーヌ』」」」
「鉄板ですなぁ~」
三人、息ぴったりに揃ったそのタイトルは王道中の王道、誰もが知っている物語だった。
「マイアさんが歌うなら『ウィルフリッドへの思い歌』ですかな」
「だと思います……曲名は分からないけど、終盤で歌う歌です」
「なるほどなるほど、たしか……こっちに楽譜があります。おーい誰か! 手伝ってくれ!」
ベンジャミンは劇団の人に楽譜を探しに行かせると、マイアの頭のてっぺんから下まで見渡した。
「どうせなら雰囲気が出るようにミシェリーヌ姫の衣装も用意しましょう。それもどっかにあったと思います」
「衣装なんて……」
マイアは赤くなった頬を手で隠した。それを見てベンジャミンはレイモンドを肘でつついた。
「いやあ、いいですねぇ。初々しい反応で!」
「確かにそうですね」
「やめてください二人とも……」
ふたりにからかわれたマイアは今度こそ真っ赤な顔でふたりをしかった。
「では、基本の発声練習からしましょう。私に合わせて声を出してください。あーー」
「ああ……」
「もっとお腹から、はい! あーーーー」
「あー!」
「よろしい」
ベンジャミンは楽譜を発見すると、ピアノのあるホールでマイアにレッスンをつけ始めた。ホールはまだ火事の爪痕があって痛々しい。
「中々良い声をしてますよ。どうです、劇場再開のこけら落としにバックコーラスとして出てみます?」
「え、いや……無理ですって!」
ベンジャミンによいしょされながらマイアが真面目な顔で答えているのをレイモンドは笑いを堪えながら見ていた。
「それでは僕は仕事に戻りますから! ベンジャミンさんよろしくお願いしますね」
「はい、お任せください」
歌の練習が順調に進みそうだと確かめたレイモンドは先に帰ってしまった。マイアはその後一時間ほど、基本の発声をさせられていた。
「はい、今日はこれくらいにしましょう」
「ありがとうございました……でも……これでいいんでしょうか。今日は歌ってないのですが」
「大丈夫、基本の発声ができればあとは堂々と歌えばなんとか格好はつきますよ。安心してください。私はプロです」
「そうですか……」
ベンジャミンの言葉に安心したマイアは劇場の中を見渡した。
「……どのへんに照明をつけるんですか?」
「あそこからあそこまでずらっと。それからメインのシャンデリアをあちらに」
「沢山要りますね。照明器具をつくるとしたら」
ざっと200は要るだろうか……とマイアは目算を立てた。
「早くなんとかしてこの劇場街の灯を取り戻さなければいけませんなぁ」
その横で、ベンジャミンはため息まじりにぼやいている。マイアはそれを聞いて身が引き締まる感じがした。
「ベンジャミンさん、また明日も来ます。ご指導お願いします」
「はい、お待ちしてます」
そう言うとマイアはヴィオラ座を後にした。
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