32話 魔石の交渉

『散歩かい、マイア』


 そんな風にして歩いているとひょいとバスケットを取り上げるものがいる。カイルだ。


「カイル。あなたを探していたの」

『俺に用か』

「そうなの。でもその前にこの草むらを抜けたらね」

『まかせろ』


 カイルが指を鳴らすとマイアの足元の草がぱかりと別れた。


『で、どうした』

「ええと……」


 マイアはアシュレイの言葉を思い出して、素直にカイルに要望を伝える事にした。


「街の劇場の照明を作るのに光の魔石が沢山欲しいの」

『光の魔石か……なぜそれが必要なんだ?』

「ろうそくでできた照明だと火事が起こりやすいからよ。危ないでしょ」

『ふーん』


 カイルは難しい顔をして考え込んだ。そしてマイアに聞いた。


『いっそ劇場がなければいいんじゃないか?』

「えっ?」

『私は長く生きているから知っている。人が沢山あつまるところだろう? そんなところでろうそくを焚くから火事が起こるのだ』

「そ、それはそうかもしれないけれど……」


 カイルの感覚はやはり人のそれとは違うのだ、とマイアは思った。


「でも劇場がなければいいなんて乱暴だわ」

『そうか、では劇場の良さを教えてくれ』

「えっ……無理よ。私、行った事ないもの」

『じゃあこの話はなしだな』


 カイルの姿がスッと薄くなっていく。マイアは慌ててカイルにしがみついた。


「待って、村の祭りのお芝居なら見た事あるわ。とっても楽しかった!」

『へえ、どんな?』

「悪いドラゴンの出た土地を騎士が旅するの。そして騎士は御姫様と恋を

して結婚するの」

『うーん?』


 カイルには人間の価値観での物語の流れがよく分からないみたいだった。どこが面白いのか、という顔をしている。


「村で一番の美人がおめかしして歌も歌うの。私はいつか、そのお姫様になりたいと思っていたわ」


 マイアはこれまであまり考えないようにしていた村での生活を思い出していた。そう、丁度今位の歳になったら、とかつてのマイアは村祭りのお姫様役に憧れていたのだった。


『それは……見て見たいな』

「だったら、劇場の座長さんに本物の女優さんを連れてきてもらいましょう。ポスターを見ただけだけど、とんでもない美人だったわ」

『いや、私はマイアがいい。そうだ、光の魔石を沢山集めてくる代わりにマイアはそのお姫様の格好をして歌を歌ってくれ』

「ええっ……」


 カイルの要望にマイアはぎょっとした。歌なんて人前で歌ったことない。


「それはちょっと……」

『できないか。じゃあ魔石は無理だ。諦めろ』

「待って、えっとその……やってみるから!」


 マイアはまた消えさろうとするカイルに追いすがった。


『ほう?』

「だけど時間をちょうだい。その……せめて歌の練習をさせて……」

『うむ、いいぞ。気長に待っている』


 カイルは楽しげに口の端を吊り上げるとくるりと宙返りした。そして金色の狼の姿に変化するとぴょんぴょん跳ねながら森の茂みへと消えていった。


「なんで……こんな事になっちゃったのかしら……」


 後に残されたマイアは呆然として、家へと戻った。


「お帰り早かったな」


 アシュレイは帰ってきたマイアの表情を見て、交渉は決裂したのかなと思った。


「楽しいピクニックとは行かなかったようだな」


 マイアのバスケットの中身はそのままだ。カイルと昼食を囲むことにはならなかったようだ。


「……アシュレイさーん……」

「どうした」

「歌、歌を教えてください……」

「はあ?」


 しかし半泣きで訳の分からない事を言いだしたマイアにアシュレイは度肝を抜かれた。そして混乱しているマイアを宥めてなんでそんな事になったのかを知った。


「無理な要求なら断ればいいと言ったろう」

「うーん、でも劇場の事を考えたらと思って」


 歌うくらいで魔石が手に入るのだ、という思いととても恥ずかしいという思いがマイアの中で天秤にかけられてわずかに前者が勝ったのだ。


「それはともかくさすがの俺も、歌は教えられん。伴奏ならしてやれるけどな」

「伴奏って……面白がってません?」

「ははは。確かにな」


 アシュレイは笑いながら素直に認めた後、真面目な顔をしてマイアに向き直った。


「マイア、歌なら街にもっと頼れる人がいるだろう。違うか?」

「そう……ですね」


 マイアの脳裏にまず、レイモンドの顔が思い浮かんだ。そしてヴィオラ座の座長ベンジャミン。


「でも森の精霊の事を話さないと……」

「そんな事か。一般人が精霊の怒りを買ったら命じゃ済まんと言って置け。ちなみに嘘じゃないぞ。知っているものは知っている事だしな」

「え……そうなんですか?」

「言ったろう、マイア。お前は気に入られているんだ」


 マイアは下手に魔石のある場所を漏らして森が混乱してしまう事を危惧していたのだが、精霊とはそのようにか弱いものではないらしい。むしろレイモンド達、街の人間の心配をするべきだったようだ。


「わかりました。……相談してみます」

「うむ。……で、伴奏はいるのか?」

「要らないです!」


 マイアは半笑いでまたそんな事を言っているアシュレイの肩を叩いた。




「――と、いう訳で……」

「歌を練習しなきゃならないと」

「はい」


 翌日、フローリオ商会の商談室でマイアとレイモンドはお互い微妙な顔つきで向かい合わせに座っていた。


「それにしても……マイアさん、精霊から直接魔石を仕入れていたというのには驚きです」

「黙っていてすみません。森に入ってこられたら困ると思って……」

「いえ、そんな芸当できるのマイアさんくらいじゃないですか? 僕等が魔石を採るのは精霊が放棄した森からですから。精霊や魔術師のいる森は安易に入ってはいけないんです。……それを甘くみて僕がどうなったか知ってるでしょうに」

「そうでしたね」


 レイモンドは黒の魔女の森に積み荷を探しに行って呪われた。そしてアシュレイの元に助けを求めにきたのだ。


「でも心配なので、この事はあんまり触れ回らないでください」

「はい、もちろんです。で、歌ですが……やはりベンジャミン座長に頼るのがいいですね。うちの商会の茶話会で余興をする事になった、とかにしておきましょう」


 相変わらずレイモンドの頭の回転は速い。


「レイモンドさん、いつもすみません」

「いえ……僕もマイアさんに頼られるのは悪い気しませんから。男なんてそんなもんですよ」

「えっ?」

「なんてね。さて今日はどこにランチに行きます?」


 一瞬だけ、レイモンドはマイアを正面からじっと見つめた。マイアがどきりとして視線を上げた時には、もういつもの柔和なレイモンドがいるだけだった。

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